F T R @
九州発! 日本中が楽しくなるWEB文芸誌。美術館・博物館のイベント情報、気になる本や本屋さん、読みたい物語がきっと見付かります

本が好きってだけで良いじゃないか。でももっと他にもあるんじゃないか。

20140602230745-3f15612c-xl1

元々、本が好きだったんだ。
外で遊ぶのも嫌いじゃなかった。なかったんだけど、外に出てしまうとほかの誰かと大勢になることが多くて、そうなると自分ひとりのペースじゃなくなる。それにひきかえ、本を読むのは完全に自由だった。好きなときに、好きな速度で、何度だって同じところを読めたし、何十回だって同じ本を読めた。ほかの誰かといっしょなら、またその本って言われるし、もうそこ読んだじゃんって言われる。ひとりで読めば、自由だった。

自分でもおかしくなるくらい、加地というヤツはペース配分が奇妙で、きっとひとの倍くらいは成長が遅い。
たとえば中学生の頃、周囲はロックを聞きアイドルを追い掛けバンドに熱狂していたのに、加地にはその価値がよくわからなかった。朗読やドラマCDやラジオの方が面白くて好きだった。音の世界が、よくわからなかった。
たとえば二十歳の頃、周囲はニーチェがどうだとか、サルトルがどうだとか、いやハイデッガーがなんとかだとか、加地にとっては難解な、どう読むのかもわからないものを熱心に語り、加地ときたらミステリに夢中だった。
別にどっちも悪くない。悪いとは今も思わない。今は音の世界も、難解なばかりだと思っていた書物も楽しみの一部で、それでも、どっちだって加地には大切で面白くて楽しい世界で、ただ、それを楽しいと気付くのが、ひとよりきっとずっと遅かった。

だから今でも。
加地は何でも読むし、なんでも面白い。面白いものは、面白い。
素晴らしいものは素晴らしいし、今はわからないものでも、とにかく目を通す癖はついた。なにしろ、数年後に「あ!」ってなることをもう知ってるんだ。

加地にとって、世の中で一番退屈しない場所は図書館と本屋だ。
こどもの頃、列車に揺られて半日を掛けた母方の郷里への帰省をするのが夏の恒例で、そんな時は母が「好きな本を二冊だけ買って良いよ」と町で一番大きな書店に放り込んでくれたのだけど、弟と二人、本を選ぶのに五時間も書店にいて酷く怒られるのさえ、恒例になっていた。

あの頃、本屋さんはワンダーランドだった。

いつからだろう。書店に足を運び、陳列された棚を見てすこしがっかりすることが増えたのは。
ベストセラーが並び、ベストセラーを出した作家の新作が並び、映画やドラマの原作ばかりが並び、思いがけず見出した宝物みたいな本には簡単には出会えなくなってしまった。
おかしいと思わないか。
昔、ちっとも面白さがわからなかった本が今は面白いのに。昔、ちっとも楽しくなかった本が今は楽しいのに。そうしてあの頃から面白く楽しかった本は今でもやっぱり面白くて楽しいのに。楽しみは広がり、読めるものは増えたはずなのに。

いつからか、思うようになった。
本が好きなだけじゃ、駄目なのかもしれない。いや、だめじゃないけど、もっと他にもあるんじゃないか。
そうだよ、自分で書こう。自分で書けないなら、書ける人を見つけて書いてもらって自分で本を出そう。
本屋も、自分でやれば良いじゃないか。そうしたら、きっとまた本屋はワンダーランドになるだろう。

そうやって、手始めに。
加地は『片隅』からはじめようと、思ったのだった。
ここから、この『片隅』から。

写真:牧の戸峠第一展望台近くの樹氷(大分県):熊本素材写真アーカイブス「キロクマ