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猟人 津村信夫

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 鉄砲打ちと云ふものには、よく、秋の汽車の中で出会つた。赤ら顔で、大柄な、さうして大抵、沈黙勝ちな人が多い。
 三等寝台のあつた頃だ。
 初冬の寒い夜更け、信越線の或る駅から、上り列車に乗り込むと、私の座席に、鳥打帽を被つた二人の男が坐つてゐた。
 一目見てすぐ猟人だとわかつたが、夥しい獲物を携へてゐた。さうして、その獲物の鳥の、足や羽根には、ところどころ雪粉がついてゐた。
 二人は向ひ合つてゐるが、別に、話をしてゐるのでもない、只どちらかの顔に、時々満足らしい微笑が浮ぶ。
「どうれ、寝るとしようか」
 やゝたつて、一人が云つた。相手は、軽くうなづいた。
 多分、今日一日中、吹雪の中を信越の国境ひで獲物を追つてゐたのだらう、私はさう判断した。
 何気なく、「見事な鳥ですね、それはなんですか」と私は話しかけた。すると、二人はたいへん不機嫌な顔になつた、さうして、一人の男が、「山鳥ですよ」と吐き出すやうに答へた。それはまるで怒つたやうな声であつた。それでゐて、別に人に悪い感じを与へるといふのでもなかつた。
 私は下のベツドにやすんだ。男達は、もう一本紙巻煙草を根もとまで、美味さうに吸つてから、獲物を大切さうに提げて寝台の小さな梯子を登つて行つた。
 目をつむつてからも、私は何故か、上に寝てゐる猟人と、その獲物のことが気になつた。あの氷漬けになつたやうな鳥達が、私の夢の中まで忍び込んで来るやうに思はれた。

 戸隠ゆきの汽車の中で、うとうとしてゐると、私は肩をたゝかれた。渋ぶさうに目をあけると、私を呼び起した男は目の前に立つてゐた。赤ら顔の髭のある人であつた。背も随分高かつた。「すみませんね」と低いが、よく通る声で云つた。
 私と並んで坐ると、男はゆつくり外套の隠しから、小瓶を出してきた。どうやら酒が這入つてゐるらしい。膝の上に新聞を一枚おいたが、別にそれを読むのでもない、又すつかり目をさまされてしまつた私に向つて、話しかけてもこない。思ひ出したやうに、その小瓶の酒をちびりちびり飲み初めた。その内男は小瓶の詰をすると、それを脇にかゝへ、頭をうしろにもたせかけた。二三分もすると、気持ちよささうに鼾をかき出した。足の間には、ずしりと重さうな袋が置いてあつた。
 汽車の窓は、まだうす暗かつた。この男の仕事を初める物の音に、私はもう一度目をさました。
 男は袋と猟銃を手にしてゐた。もうさいぜんの秘密めいた酒の小瓶は何処にしまつたのか見当らなかつた。
「いや、お邪魔をしました」男は私にそれだけ云つてから、今度はひとりごとのやうに、「夜明けまで、火に暖まつてゆかなくちや」と呟いた。思ひがけないやうな山間で、汽車がごくんと停ると、男は静かに降りて行つた。
 
 その日の午后は、私は、飯綱原を走つてゐる乗合の客になつてゐた。
 寒さの早いこのあたりでは、もう紅葉の時機はすぎて、黄色くす枯れた林は、奥の方まで見透された。
 車中は例によつて、いろんな人が乗つてゐた。鞄を持つた医者、子を負つた女、そんな中に、お巡りさんも一人ゐた。
 お巡りさんは、人のよささうな感じで、隣の人と世間話などしてゐたが、やうやく、戸隠の峯々が見え初めたころ突然、車中で立ち上つた。窓から何物かを探しもとめるらしかつた。
 すると隣にゐた農人は、すぐ、「入り込んだらしいかね」と声をかけた。お巡りさんは、それには返事をしなかつた。お巡りさんは林の方を眺めてゐる、かと思ふと、美しく晴れた空の方にも目をやつた。
「やっぱり今のはさうかね」農夫は自分ものび上るやうにして、もう一度声をかけた。
「しやうのねえ奴だ」お巡りさんはやつと返事をした。さうして、今迄の笑顔は消えて、その面持は、一寸曇つてゐた。
 車中の小事件はそれだけであつた。私には何のことか、よく分らなかつた。
 
 坊の主人と、晩飯のあと、炉端で岩魚釣りの話をしてゐた。
 岩魚釣りも、カーバイトを燃やして、夜釣りをやる、これは中々面白いが、寒くなると川の中を歩くのはたいへんだ、全身が冷え切つてしまふ、もう駄目ですねと、話してくれる。私は思ひ出したやうに、火を掻きたてゝ主人の言葉に耳をかしてゐた。
 すると、突然、表の戸をたゝくものがあつた。主人が立つて行つて、障子を明ると、土間の入口に、二人の服装の違つた人が立つてゐた。
 眼鏡をかけた方の人は、早速云つた。
「署の者ですが、お宅には、猟師は泊つてゐませんか」
 この人達はお巡りさんであつたのだ。
「御覧の通りです、別に居りません」
 主人がさう云つて答へると、二人は別にそれ以上詳しくはきかなかつた。
「今夜は風が強いですね、御苦労様」
 主人は表戸をしめると、また炉の傍に戻つてきた。
「どうやら、密猟者が山に入り込んだと見えますね」
 主人はさう云つた。
 明日から猟が解禁になる、その前日を覗つて、こつそり鉄砲打ちをやるものがゐる、それで、あゝやつて、坊の一軒々々を調べて歩くのだ、さう云つて説明してくれた。
 私はやつと、昼間の乗合中の小事件も了解された。
「だが、あゝやつて、一寸覗いただけで、猟師の泊つてゐるのが、わかるか知ら」
 私がさう云つて訊くと、「なーに、犬を連れてゐるので、すぐ分りますよ」と主人は答へた。お内儀さんも傍から、「さう云へば、今夜は犬の泣き声もきこえませんね」と口を出した。
 戸隠の坊と猟師では、あまり似つかはしくもない。しかし、秋おそい、山村の小話としては、捨て難い、私はそんな風にも思つた。さうして、もう一度、炉の火を掻き立てゝゐると、私はふと、車中で見た赤ら顔の男の事が思ひ出された。
 勿論、あれらの人が、密猟者だと云ふのではない。
 只、無口で、どこかいかつい所もあり、あの秘密めいた小瓶の酒を静かに飲み、高鼾をかき、さうして降りるときも、こつそり出てゆく、猟人と云ふものの、或る性格を思ひ出したに過ぎなかつた。

非常に多くの詩や童話を残した広島の作家、原民喜です。
「僕は堪えよ、静けさに堪えよ。幻に堪えよ。生の深みに堪えよ。堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。一つの嘆きに堪えよ。無数の嘆きに堪えよ。嘆きよ、嘆きよ、僕を貫け。帰るところを失った僕を貫け。突き放された世界の僕を貫け」(『鎮魂歌』) などの凛と強い言葉が、彼の中にあっただろう怒りや悲しみや強さや弱さを大変よくあらわしているように思います。
言葉の強さを信じ、そして信じる為にか、自ら死を選んだ、強くて弱い、ひとりの人間としての原を、この文章からも垣間見ることが出来ます。(KJ)

底本:「日本の名随筆20 冬」作品社
   1984(昭和59)年6月25日第1刷発行
   1987(昭和62)年8月10日第4刷発行
底本の親本:「津村信夫全集 第二巻」角川書店
   1974(昭和49)年11月初版発行
入力:とみ~ばあ
校正:今井忠夫
2000年12月25日公開
2006年1月6日修正:青空文庫