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山田宗太朗、千夜千冊に挑む 第6夜:ジョナサン・グリーン『辞書の世界史』~文化を利用する征服者たち~

senyasensatsu

【松岡正剛・千夜千冊】http://1000ya.isis.ne.jp/
いわずとしれた知の巨人が営々と築き上げた
本のエベレスト。
挑むのは若輩・山田宗太朗!
この読書エッセイは頂点に辿り着くのか!?

第6夜:ジョナサン・グリーン『辞書の世界史』~文化を利用する征服者たち~
 
 今回はもう結論から言っちゃうけど、こんなに退屈な読書は久しぶりだ!
 
 本書は、タイトルの通り、辞書がどのように生まれ、どのように現在の形になっていったかを時系列で追う。もちろん、実際に世界中すべての辞書を網羅できるはずがなく、本書は英語辞書のみに焦点を絞っていて、英語以前の辞書としてはラテン語辞書等の歴史を扱っている。
 辞書の世界史、というテーマじたいはおもしろい。実際、本書の序章は結構興味深く、私は期待を持って読み始めた。しかし、本書に書かれていることのほとんどは、その辞書を編纂した者それぞれの個人的な年代記なのである。曰く、「◯◯は××年に生まれ……」等々。それが延々続く。読み進めるうち、私は、「……知らねーよそんなこと」と心の中で悪態をつかずにはいられなくなった。「そんなとこ広げてもおもしろくないだろ」と。
 これは資料だ。一般人が興味を持って読める本ではないと思う。研究者でなければ、相当の辞書マニア、それも英語辞書マニアでなければ読みきれないだろう。
 この本は入手するのにも苦労した。第4夜で取り上げたロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』も近くの図書館になく取り寄せたが、本書にいたっては、取り寄せたら、同じ題名の違う本が届いたのだった(『辞書の世界史――粘土版からコンピューターまで』という本)。
「あの、これじゃないんですけど……」
 と図書館でカウンターの若い女性に告げると、彼女は迷惑そうに眉間に皺を寄せてパソコンをカタカタしたあげく、
「……そういう本はないです」
 と言い切ったのだ。
「え? ないって、この世に存在しないってことですか?」
「タイトルお間違えではありませんかね」
「いや、確かにこれのはずなんですけど。ジョナサン・グリーンって人。出て来ません?」
「……さあ? 見つかりませんね」
「……」
 なーんだ。そんな本は存在しなかったのか。まぼろし~。
 
 なんて話になるはずがない。あるわ。ググったら一発で出るわ。普通にAmazonで買った。中古で二千円だったけど、定価だと七千円近くするらしい。もちろん絶版。そりゃ絶版になるさ。だいたい無意味に長過ぎる。二段組で本文554ページもある。これをきちんと読んだだけでも褒めてほしい……いや、きちんとは読めてないか。すでに内容ほとんど忘れてるし……。
 
 なんてグチってばかりではさらに退屈になるだけなので、少しはマジメに何か書こう。
 本書によれば、辞書編纂の歴史は文字の歴史と同じくらい古いとされている。その最古のものはシュメール語で書かれているそうだ。シュメール語は、現在だとイラクにあたる南メソポタミア地方に住んでいた部族の言葉である。このシュメール人を征服したのが、近隣のアッカド人。文字を持っていなかったアッカド人は、単に武力で制圧するだけではなく、相手の文化を取り込んでしまうことが、相手を我がものにする最善の方法だと考えた。そこで辞書を作った。最初の辞書はシュメール/アッカドの翻訳辞書だったというわけだ。シュメール/アッカドの書記たちが基本的には翻訳者であり、彼らは、征服された国の記号体系を、征服した国の人々が理解できるように変換した(と、こういう話がずっと続けば私だって少しは本書を楽しむことができたのに……)。自分たちが侵略した国の言語的遺産を認め、利用することなしには、自らの政治的社会的優位性を発揮することができなかった、ということか。ジョナサン・グリーンは、「相手の文化の方が自分たちのものより優れているという前提で仕事をした」と書いている。これはちょっと言い過ぎ、根拠不充分だと思うが、しかし、征服者が被征服者の文化を重要視していたという点は注目すべきだろう。
 
 本書と同時進行で、私はミシェル・ウェルベックの『服従』を読んでいた。この作品では、2022年にフランスでイスラム政権が樹立される。大統領のモアメド・ベン・アッベスはイスラム原理主義者とはかけ離れた人物で、エコール・ポリテクニーク(フランスのエリート養成高等教育機関) とフランス国立行政学院(フランス随一のエリート官僚養成学校) を出た若きエリートであり、国民に安心を与えるようなふくよかな体型を保ち(国民を安心させるためにふくよかな体型を保ってるって、ちょっとおもしろい)、快活にして冷静で有能な政治家として描かれている。政策はかなりラディカルなもので、たとえば義務教育が十二歳までとなり、それまで高等教育にかけられていた莫大な予算が大幅に削減され、ソルボンヌ大学はイスラム大学となり、大学教授たちはイスラム教への改宗を求められ、一夫多妻制が採用される。ベン・アッベスの目指すところはヨーロッパの南下、具体的には北アフリカから中東にかけてのアラブ諸国を取り込み、新たなローマ帝国あるいはオスマン帝国を再建することだとされている。ありえない設定だと思われるかもしれないが、かなり緻密な政治制度・社会情勢分析のもとに論理が組み立てられているので、非常にリアリティのある作品に仕上がっている。この話、どれほどウェルベックが悪意を持って書いたか知らないが(ウェルベックのイスラム批判は有名。しかし、『服従』からは悪意ではなく皮肉と諦めを感じる)、ちょうどアッカド人がシュメール人を征服したように、イスラム(アラブ) がフランス文化(ヨーロッパ) の内側に入り込み、それを利用する物語だと読むこともできると思った。言うまでもないことだが、ウェルベックはジョージ・W・ブッシュとは比較にならないほど知的に洗練されているのである。
 
 日本の現代文学に目を向けてみると、二十二世紀の日本を舞台にした、村上龍『歌うクジラ』という作品があるが、この作品では逆に、政府によって敬語が廃止されたり、政府に反抗する者たちがあえて助詞を崩した日本語を使ったりしている。これなども、文化や言語を相当重要視し、それを利用して自分たちの政治的社会的優位性を発揮する為政者のもとで、世界が動いているというわけだ……ところで、村上龍は世界的にかなり過小評価されている作家だと思うのですが、みなさんどう思いますか。『歌うクジラ』だけではなく、近年では『半島を出よ』、また今年は『オールド・テロリスト』など、もっと国際的に評価されていい傑作小説を書いています。私は村上春樹も好きですが、龍の方が断然上だと思っていて、なぜ春樹ばかり毎年ノーベル賞候補とされるのか納得がいきません。もしかして龍が司会を務めるあの変なテレビ番組がいけないのでしょうか(あっ、ジョナサン・グリーンがつまらなかったからってつい自分の好きな作家の話をしてしまった。話を戻します)。
 
 紀元前四世紀に入ると、辞書は、前の時代の古典を読み解くための道具として使われるようになった。この時代では、優れた学者でさえ前の時代の古典(たとえばホメロスなど) を読み解くことが困難になっていたらしい。こうして辞書は、文学作品で用いられた語が集められ、古典を読み解く助けとなり、これが十七世紀までずーっと続き、そうしてようやくサミュエル・ジョンソンが現れ、現在の辞書の原型が出来た……と、こんな要約をしても全然おもしろくないので、今回はもう、この辺で書くのをやめる。終わり。
 
 最後にひとつだけ。本書の、『土俗語』と題された章にこんな記述があって、
 

『ロンドン年代記』の記述によれば、1381年の農民一揆のときに大勢のフラマン人が首をはねられたが、それは「パンとチーズ」を
『breede and chese』
と言えずに
『case and brode』
と言ったからだったという。

 
 ということらしいのだが、私はこれを読んで、ふと、チャールズ・ブコウスキーの『くそったれ! 少年時代』を思い出した。
 というのも、この、いかにもパンクなタイトルの小説、実は原題が全然違っていて、『Ham on rye』という。直訳すれば、『ライ麦パンにハム』とか『ハムを挟んだライ麦パン』といった感じ。読んだ人はわかるだろうが、この原題が全然内容を反映していなくて、いまいちピンと来ないのである。本文中にライ麦パンとハムは出て来ない。河出文庫のあとがきによれば、訳者の中川五郎も意味がよくわからないという。私もなんとなくこれが引っかかっていた。そもそも『Ham on rye』なんてタイトル、ダサいし。邦題の方がずっといい。
 だが、先の引用部を念頭に置いてみれば、『ライ麦パンにハム』とは「パンとチーズ」をもじったものなのではないかという気がしてくる。つまりブコウスキーは、首をはねられたフラマン人に自分をなぞらえたのではないか?
 
 そう仮定すると、このアル中スケベパンク作家にも、実は幅広い知識を備えたインテリ作家の側面があったのかもしれないと思える。
 馬鹿には小説は書けないということだ。

宗太朗の本棚
10月号

yamada

山田宗太朗(やまだそうたろう)
早稲田大学スポーツ科学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了。
2013年からKindle等で小説を発表し始める。2014年、第一回CRUNCH NOVELS新人賞最終候補。ユリイカ「今月の作品」佳作(2014.11)。カルチャー誌『アヴァンギャルドでいこう』編集人。音楽ユニットPUNK IPAs作詞担当。ときどきバーテンダー。
twitter: @ssafsaf
tumblr: http://ssafsaf.tumblr.com
blog: http://borntobeavantgarde.hatenablog.com