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〈3・11〉をめぐる現代小説⑥ 金原ひとみ『持たざる者』が示す「それぞれ」の震災後── 松本和也

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 ここまで、現役小説家がさまざまな距離感から書いた、しかし共通項としては〈3・11〉をモチーフとした現代小説をとりあげてきた。ただし、その読解に際しては、必ずしも〈3・11〉という観点からばかりではなく、それぞれの小説表現に応じた読解を展開してきた。その延長線上で、〈3・11〉から執筆までの経過時間が長い小説として、金原ひとみ『持たざる者』(集英社、二〇一五) をとりあげたい。さしあたり〈3・11〉をモチーフとした小説とみなしてここでもとりあげるのだけれど、本作はモチーフとの距離もまた大きく、それゆえか、帯には次のようなコピーが添えられている。
 

思いがけない事故や事件。
その一瞬で、ねじ曲がる。
平穏な日常が、約束された未来が。

 

『持たざる者』の概要については、金原ひとみの発言に即して確認していこう。新刊紹介「金原ひとみ『持たざる者』 「書けない」焦燥感登場人物に託して」(『婦人公論』二〇一五・五) において、金原ひとみは次のようにして自作に言及している。
 

私は、物語の登場人物に自分を重ねて書くことが多いのですが、性別も考え方も違う4人の視点で構成しました。東日本大震災後、放射能汚染をめぐる考え方のずれが夫婦間の亀裂となり離婚したデザイナーの修人。彼と昔付き合いがあり、外国から一時帰国中の千鶴。千鶴の妹で、原発事故後に娘を連れてロンドンに渡ったエリナ。そして、エリナのロンドンでの「ママ友」であり、日本に帰国した専業主婦の朱里。

 四章から構成される『持たざる者』は、それぞれの章に、ウェブ上のハンドル名と思しき「Shu」、「Chi-zu」、「eri」、「朱里」という各章の語り手の名前が冠されている。一応は、独立した短編となっているのだけれど、それぞれの章はゆるやかにつながっており、登場人物も章をまたいだ関係性の網目を生きている。従って、一つの出来事が、異なる人物の視点から捉えられることもあり、そのことで、登場人物それぞれの性格や考え方、認識の不一致やズレが、より多面的かつ細やかに書き得る仕掛けとなっている。
 また、統一感がないというのとも違うのだけれど、各章・各登場人物によって〈3・11〉の捉え方(距離感)には大きなへだたりがあり、こと、〈3・11〉以後が直接的なテーマとされた「Shu」から、〈3・11〉の影響がほとんど感じられない「朱里」までの差は大きい。だから、〈思いがけない事故や事件〉という言葉は、わかりやすい〈3・11〉も孕みつつ、必ずしも社会的な大事件でなくとも、日々の暮らしの中にも潜むそれら全てを指している。
 ここでは、「Shu」に絞って読んでいきたい。というのも、先の記事において、金原ひとみは次のように発言してもいたのだから。
 

このなかでいちばん心情的に近かったのは、震災後、仕事が手につかなくなる修人です。私地震、震災直後岡山に行って出産し、子供2人を連れてパリへ移住したこともあって、しばらくは小説を書くことになかなか気持ちが向かわなかった。夫と離れ、知り合いもいない、フランス語もまったく話せないという状況での子育ては想像を超えて大変で。でもそれ以上に、人生や執筆に対するコントロール感覚を喪失した焦燥感や虚無感が大きかったのです。そうした思いを修人に託すことで、また「書く」ことに戻れたような気がします。

 つまり、虚/実を、男/女をまたぎながらも、金原ひとみにとって、震災後の心境~『持たざる者』の執筆は修人に重ねられている。その「Shu」は、二人目の子供を授かった夫婦がたどった〈3・11〉以後の物語である。目に見えない放射能汚染に過剰に反応する修人は、妻と一人娘のことを思い、西方への避難をセッティングし、食べ物にも過敏になっていく。「過剰・過敏」、というのは、妻の立場からそのように書かれているということで、そうした日々の積み重ねが二人を離婚へと至らしめる。
 デザイナーとして輝かしいキャリアを築いてきたという修人自身は、震災から三年たち、何も生みだせなくなっており、ゆるやかにさまざまなものを失い続けているようだ。一時帰国中に四年ぶりに再会した千鶴と、修人は次のように語りあっている。
 

「修人くんは、震災前の自分と後の自分と何が変わったと感じるの?」
 僕は、と言ってからワインを飲み干す。ふと気づいて煙草を取り出し火をつける。今自分が自分にとって有意義だと思える事は酒を飲む事と煙草を吸う事で、今その有意義さの頂点にいる自分が全く以て何者とも関わらない、何者にも影響を与えない虚無的な存在である事に愕然とする。
「世界が変わったと思ったんだ」

 そんな修人には、『持たざる者』全編の主題ともみるべき、次のような認識がある。
 

それぞれの家庭に、それぞれの原発事故がある。それぞれの家庭に、それぞれの放射能被害がある。

 もちろん関心が低いことや、意識しないことも「それぞれ」に入る。だから、『持たざる者』は、〈3・11〉後をどのように生きていくか/過ごしていくか、についての「それぞれ」を書いた小説なのだ。しかも、それは単にさまざまだということとは違う。
 作家論的にいえば、『マザーズ』(集英社、二〇〇八) において「それぞれ」の母親を具体的に書くことに成功した金原ひとみは、『持たざる者』において、〈3・11〉以後における「それぞれ」を具体的に書くことにチャレンジしたのだ。その成否は読者の判断に委ねられるとしても、金原ひとみは、この現実を生きる人々を言葉によって書き、しかもそれはすぐれて具体的な「生」となり得ている。つまり、(私見によれば)まずは自律した作品として、『持たざる者』は一定の達成をみたものといえるはずだ。
その上で、〈3・11〉後の金原ひとみの行動も、最後に併せて考えてみたい。
 というのも、当時、第二子を妊娠していた金原ひとみは、〈3・11〉後に岡山で出産、その後、フランスへと移住しているのだ。この程度の情報でも、おそらく『持たざる者』の読解には少なからぬ影響を与えるだろう。「Shu」に限っても、放射能汚染への反応の仕方や、海外在住という設定(海外からの視点)、子どもの問題など、当の書き手もまた、登場人物とは別の「それぞれ」を、〈3・11〉後に生きてきた/いるということは、おそらく『持たざる者』の登場人物たちを、単なるバリエーションではなく、具体的な「それぞれ」として書くことに、何かしら関わったことだろう。おそらくは、読者にとってもまた。
 
〈終〉


 

 
 

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松本和也(MATSUMOTO,Katsuya)1974年、茨城県生まれ。

大学教員。
昭和10年代の文学場研究と並行して、現代文学・演劇についての批評も執筆中。
著書に『現代女性作家論』、『川上弘美を読む』(以上、水声社)、『平田オリザ 〈静かな演劇〉という方法』(彩流社)、『昭和一〇年代の文学場を考える新人・太宰治・戦争文学』(立教大学出版会)ほか。