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鯖がぐうと鳴いた 3 [最終回] 萩原 正人

20150424

 漁船は河岸を変えた。
 鯖は小魚を追って、ひとところにとどまっていない。
 鯖の群れを貪欲に追って、漁船は江ノ島沖を回遊する。海鳥が群れをなすポイントへ、他船にさきがけ乗り付けることも、船長の腕の見せ所なんだろう。
 釣りって、もっとのんびりしてるものだと思っていた。ひねもすのたりといった風情で、ぼんやり慶太と道糸を垂らす姿を想像していた。
 まったく違った。漁船が、またもや魚群の只中に船を乗り入れる。
「はい、いいよ」
 漁船のマイクを通して、船長からの合図がでた。
「ほらほら、マキさんも釣らなきゃ」
 慶太に即され、私も沖に竿を伸ばした。
 ラインローラーを握る手を緩め、するすると海中にテグスを落としていく。すると、途端に手応えだ。
「マキさん、それきてますよ」
 海中で右往左往する鯖を、対角線に竿をさばき、その手応をゆっくり味わいながら、重いリールを捩じ上げる。
 鯖が海面を駆け跳ね上がった。急に海がなくなって驚いたのか、鯖が途方ないほど暴れまわる。
 竿を立て、ひとまず船内に鯖を取り込んだ。もはやない水を探して、鯖が尾ひれを激しく振って、空中でもがいている。
「マキさん、針元持って!」と、慶太が叫んだ。
 私は慌てて左手で針元を掴んで、船べりに竿を立てた。そして、大きく決意の深呼吸をして、右手で鯖の腹を素手で握った。うろこがぬめって気色が悪い。すると鯖のやつ、私が腰砕けだと見抜いたのか、その腰をぶるんぶるんいわせて、逃げ出そうとする。
 私は鯖が潰れるんじゃないかってくらい、鯖を握る手に圧力をかけた。
 鯖がぐうと鳴いた。
「うわあ、鯖が鳴いた。すごいよ、まるでなんかの合図みたいに、ぐうといったら身動きもしない」
 そうなのだ。これが面白いように、鯖はぐうと鳴いてぴくりとも動かなくなるのだ。
 エラに鋏を入れるため、鯖を左手に持ち替える。この位置と圧力がツボと心得て、慎重に握り手を変える。
 鋏を持って、エラの先をこじあけた。小菊の花弁が、葡萄色に脈打っている。どこに鋏を入れればいいのか、闇雲に刃先を突っ込んだ。鈍い手応えがあって血しぶきが飛んだ。そして、血抜き用クーラーボックスに鯖を放り込む。
 すると、さっきまでぴくりとも動かなかった鯖が、まるで嘘みたいに威勢よく、クーラーボックスで尾ひれをばたつかせている。
 私はクーラーボックスの中を覗き込んだ。さっき慶太が釣り上げた鯖が、そこで数匹息絶えていた。
「さあ最後の仕上げです」慶太が、その内の一匹を取り掴んだ。「これが重要なんです。よく見ててくださいよ」
 慶太が、鯖のエラに指をうずめ、それを容赦なく背面に捩じ上げる。
「どうです、これが鯖折りです」
 と、慶太が潮風に吹かれながら、爽やかに笑う。
「なあ慶太。もう鯖は死んでんのに、なんでそんなことすんの?」
「鯖を美味しく食べてあげるためですよ。延髄を折って、死後硬直を遅らせるんです。活け締めってやつですね、これで鮮度を保つんですよ」
 そしてやっと、氷塊で一杯になった、もう片方のクーラーボックスに、鯖はその身を横たえた。
 私は深くため息をついた。
 まさか、鯖釣りがこんなにグロテスクとは、夢想だにしていない。
 
 漁港に戻ったときには、シャツは血と汗にまみれていた。
 バケツに汲みあげた海水で洗っただけじゃ拭えない、鯖のぬめりと鱗が、掌と腕に張り付いていた。
「船宿に冷たい麦茶も用意しています。洗い場には、石鹸もあります。手を洗ってからお帰りください。本日はご利用いただき、ありがとうございました」
 船長から、漁船のマイクを通したアナウンスがあった。
 私は一刻も早く真水に触れたかった。石鹸でこの掌に残る感触を洗い落したかった。
 ところが、慶太はまったく無頓着で、船宿に戻る様子も見せず、埠頭にとめた車の影で、
「車が魚臭くなっちゃいますから」
 と、着替えを済ませ、帰り支度を始めている。
 船宿に立ち寄ったのは、クーラーボックスの氷を買い足すためだ。
 その隙に私は手を洗う。慶太は運転席で待っていた。
「あの鯖は、ぜんぶマキさんが持っていっていいですよ」
 クーラーボックスを埋め尽くした鯖は、二十匹近くいるだろうか。
「ええ! さすがに、こんなにいらないよ」
「先日も鯖が大量で、家の冷凍庫に、鯖が溢れてるんですよ」
 私は、かなりバラシもしたが、それでも五、六匹は釣り上げたろうか。
 もちろん、自分で釣針を外し、血抜きもしたし、鯖折りだってやってのけた。だから、その釣果だけで十分だ。
「釣りが終わったと思ってるでしょう」
「思ってるというか、終わったでしょ」
「マキさん甘いな。釣りは、アフターフィッシングといって、釣ってからも大事なんです。鯖を捌いて、楽しく調理して、美味しくお腹にしまうまでが釣りですから」
「はあ、そうなんですか、俺に捌けんのかな」
「マキさんって――」
 そう言いかけて、慶太が口をつぐんだ。
「なに、いいかけて止めるのは、ずるいよ」
「いや、大した話しじゃなくて――あのお笑いブームの頃、よく鎌田さんや靴田さんから、マキさんのこと聞かされてたんですよ。なんで、みんなマキさんのこと好きなんだろうって不思議だったんですよね。それが今日わかりましたよ」
「へえ、それはなんで?」
「ほっとけないんでしょうね」と、慶太が堪えきれずに吹き出した。「だって、鯖にびびってどうすんですか」
「ああ、それは生き物が苦手だからだよ。そんなことないと思うよ。それはなんだろう、まあ、ずっと仲間だし仲良くやってきたからであって。そういえば鎌田くんがさあ、こんどお笑いに復帰するんだけど、聞いている?」
「いや、ここんとこ連絡取ってないから。まじっすか。すごいっすね」
 さっき私のことを臆病だと笑ってからずっと、慶太の顔に笑顔が張り付いている。
「鎌田くんの復活を聞いて、嬉しそうだね」
「いやいや、鎌田さん、二度とネタをやらないって宣言したとき、おれになんていったと思います」
「なんて、いったの?」
「『おい、慶太。山の頂上ってのはひとつじゃねえぞ。慶太がお笑いの山頂を目指すんなら、おれは別の山に登る』って、いったんですよ。しかも、くそ真面目に」
 助手席に座って、私は手を叩きながら笑ってしまった。
「全然、キャラじゃねえ。なんだよそのセリフ。やっぱ、あのブームの熱で頭やられてたんだろうな」
「まあ、そうでしょうね。おれも鎌田さんも」
「なあ慶太――」
 そう言って、次は私の番だと口をつぐむ。
「ははは、だめでしょ。ルール違反でしょ。言わなきゃ」
「なんで、お笑いに復帰しなかった」
 ハンドルを握る慶太の顔から笑みが消える。ただひたすら正面を見据え、そこに言葉が浮かび上がるのを待っている。
 そして、それは私の問いに対する答えにはなっていなかった。
「鯖も芸人も変りませんよ。鱗を削がれて、真っ裸にされて、おれなんて、内臓までえぐりだされましたよ」
 そう慶太が語ったのは、あの事件についてだろうか。
「そこまでしときながら、なおかつ美味いの不味いのガヤガヤいわれるんですからね。いや、業界と比べたら鯖に申し訳ないな。鯖は、どこで釣ろうが、誰が釣ろうが、ちゃんと処理をして料理をしてあげれば、いつだって間違いなく旨いですから」
「いいね、芸人鯖論か」
「いや違います。鯖と芸人を一緒にしないでください」
「そっか……。ごめん。ただ、おれは慶太をテレビで見てたけど、一生懸命、鯖の処置をしてたよ。それだけはわかったよ」
 また慶太が押し黙った。
 それは慶太にとって触れて欲しくない、まだ瘡蓋として残ったままの傷なのだろう。
 お昼を回ったばかりだった。
 江ノ島の交差点には、見慣れた夏の湘南が広がっている。
 片瀬江ノ島駅から人が吐きだされ、それと逆行して、私たちは家路につく。
「それにしても、鯖の鱗ってしつこいね。乾いたって、パリパリになって、いつまでたっても腕に張り付いてんだもん」
 好い色に焼けた青年が、上半身裸になって、「空あり」「P」と書いたうちわを路上でふっていた。
「あの青年、すげぇ真っ黒に焼けてるね」と、私は言った。
「いやいや、あんなやつら、チャラいだけで、まだまだですよ」
 慶太が皮肉な笑みを浮かべる。
「まだまだって、なにが」
「夏の海ですよ。男だったら、鯖の鱗くらいつけてなきゃ」
 それは、あの頃の慶太に戻ったような言い草だった。
 運転席を見た。ハンドルを握る慶太の腕には、いまだ鯖の鱗がこびりついてる。
 鱗は、もうすっかり乾いてしまって透明だった。
 そして、そこだけが陽を浴びて、きらきらと輝きを放っていた。
 
<了>
 

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 詳細はあらためて発表。ご期待ください!
 

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水道橋博士のメルマ旬報とは、芸人・水道橋博士が「編集長」に就任し、本人自ら、過去メルマガ史上に無い過剰な規模と熱量で配信しているメールマガジンです。
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目指すのは『大人のコロコロコミック』、『子どもの文藝春秋』超大ボリューム。津田大介さんより「日本最大メルマガ」のお墨付き! 空前絶後のスケールでお届けしています。
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hagi

萩原正人元キリングセンス、愛称はハギ。タイタン所属。移植芸人。ライター。

1987年にピン芸人だったシャブとキリングセンスを結成。社会風刺の効いたブラックなコントを得意とし、東京のお笑いライブを中心に活動していた。ところが1998年、母子感染によるB型肝炎から重度の肝硬変であることが判明。コンビ活動を停止。その後、医師から余命半年と宣告されるも、1999年夏に渡米。翌春にダラスで肝臓・腎臓の同時移植に成功する。帰国後、キリングセンスとしての活動に復帰し、2006年に解散。現在はタイタンに所属し、主にライターとして活動している。
著書に移植の体験を綴った「僕は、これほどまで生きたかった(扶桑社)」。テレビロスで連載していたコラムをまとめた「スキスキコンビニ(アスペクト)」がある。2014年12月より、出身地であるCRT栃木放送でラジオのコメンテーターを努めている。CRT栃木放送「ツーミリオン+」16:00〜18:30金曜レギュラーコメンテーター。TVBros.「わらしべマッドサイエンティスト」隔号連載中。

usagi

瀧沢諒(Takizawa Ryo)

文字書き、たまにらくがきとか写真とか。K405のひと。