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鯖がぐうと鳴いた 1 [前編] 萩原 正人

20150424

     一

 江ノ島の右肩に白い月。
 そこへ突進するように慶太がハンドルを切った。片瀬東浜と西浜の隙間をぬって、江ノ島弁天橋のたもとにもぐりこむ。
 釣り宿が軒を連ねていた。看板には片瀬漁港と達筆な文字。右手には魚市場があって、定置網で水揚げされた魚が直販されている。そこには、私の知らない夏の江ノ島があった。
 漁港の朝は、前のめりに動き出していた。
 船宿にたむろする釣り客が、軒先で釣り竿を伸ばし、リールの感触を語り合っている。地平線の彼方、朝焼けの空を見上げては今日の釣果を噂している。そこに寄せ集まるどの顔も、夏の湘南を我が物顔に闊歩する、褐色の若者達とは、あきらかに人種が違う。
「ちょっと待っていてくださいね」
 エンジンをかけっぱなしで、慶太が運転席のドアを開けた。魚臭い、磯臭い匂いが助手席に流れ込む。私は大きなあくびをして、漁港の朝を思いっきり吸い込んだ。
 未明、慶太がアパートまで迎えに来てくれた。私の体調を慮ってくれたのだろう――近くにきたら携帯を鳴らしますから、マキさんは寝てればいいっすよ――慶太らしくもない、優しい気遣いを見せてくれた。
 それで早い時間に布団にもぐりこんだけれど、慶太と再会する興奮と、生活の不安が急に頭をもたげて、やけに頭が冴えて一睡もできなかった。
 フロントガラス越し、慶太を見つめる。
 アメリカンキャップに偏光サングラス、マリンベストを重ね着した姿は、どこを切り取っても釣人のそれだ。慶太が右手を軽くあげ、そのまま釣人の輪に自然と溶けていった。
 慶太は若い頃から色白の美丈夫だった。その面影は相変わらずで、腰のあたりに少し肉がついただろうか。とはいえ、それは年輪を重ねた男の貫禄といえる範囲で、嫌みのない程度に日焼けした肌は、あの頃に比べて、よほど健康そうに見える。
 私達が出会ったのは八〇年代末期のお笑いライブだ。
 私も慶太も芸人だった。
 彼らのコンビ名はサクスセンシィヴ。ファンは略してサクセンと呼んでいた。慶太がデビューしたのは、彼が高校卒業を控えた冬のこと――一〇代だった慶太は、繊細な棘が剥き出しで、性格も芸風も、いつか倒れるんじゃないかと、こちらが気をもむくらい斜に構えていた。
 私はずっと慶太が大嫌いだった。
 才能を鼻にかけるようなところもあったし、「君達、どっちがネタを書いてるの?」と、私が訊いたら、「それ聞いてどうすんですか」なんて、愛想がないにもほどがあった。
 その頃、私は既に二年のキャリアを持った若手芸人で、一応は先輩だ。それに向かってあんな物の言い方はない。他人のネタには一切笑わない。そしていつも楽屋の隅で、挑むような視線を投げつけていた。
 人一倍勝気だった。憎たらしいほど生意気だった。強烈な上昇志向を持っていた。
 悔しかった。私達が何度もチャレンジをしては負け続けた、勝ち抜きお笑い番組で、慶太達はあっさりとチャンピオンになった。
 バス停は一緒だった。
 誰も並びやしない、その停留所は混沌としたものだった。
 突然、現れた人間がバスに乗り込んでいく。だからといって、順番が違うとは、文句の言えない世界だった。
 深夜の深い時間帯だったけれど、彼らの冠番組も始まった。この頃から、お笑いライブの楽屋で、慶太の姿を見かけることも少なくなった。
 それから数年経って、突如席巻したお笑いブームの波に乗って、慶太のコンビは、一気に若手芸人のリーダ格にのしあがった。いまや夏の風物詩になった、あの二四時間テレビのメインパーソナリティにも抜擢された。
 彼らをテレビで見ない日がなくなった――それがあの日を境にして、まるで手品みたいに、芸能界から慶太が消えた。
 私はといえば、お笑いライブの楽屋で、つぼみのまま腐ったと揶揄されながらも、細々とライブ活動を続けていた。それも四十才を超えたとき、私の体調不良と、相方との方向性の違いから、私達のコントコンビ、カリンピュも解散した。

 慶太がこちらに向かって大きく手を振っていた。こっちへ来いと合図を送っている。
 船宿の女将が軒をあけ、居並ぶ釣客に伝票を配っていた。船宿与市丸と書かれた看板の下、木目の色あせたテーブルで、気のはやる釣客が、住所氏名、連絡先を記入している。
「おばちゃんおはよう、伝票、二人分ちょうだい!」
 と、慶太が屈託のない声を張り上げる。
「あいよ慶ちゃん。ここんとこ潮がいいから入れ食いだよ」
 どうやら慶太はこの船宿の常連のようだ。
「マキさん、そこのLTルアーのところに丸をつけて、それと乗船料は四千円です」
「釣り具は無料でレンタルできるっていってたけど、どこで申し込めばいいの」と、私は訊いた。
「いや、今回は俺の竿を使ってください。釣り味のいい、ばっちり釣れる仕掛けを用意してきましたから」
「なんだか悪いね、何から何まで甘えちゃって……。ところで、その、釣り味ってなに?」
「竿によって釣り味が違うんですよ。竿のしなり具合、手応えの違いっていうのかな、俺なんて釣り味の違う竿を二本持ってきてますよ」
 慶太がかけっぱなしのエンジンにアクセルを入れた。
 生まれて初めての釣りだった。しかも、漁船に乗っての鯖釣りだという。しかし心に余裕がないから、興奮を手元に引き寄せられない。ふとした弾み、不安が喉元まで込み上げてくる。

 先月の末、唐突にアルバイトを首になった。
 正確にいえば、三月ごとに更新されるアルバイトの雇用契約書には印をついた。ただ、翌月からは週に一度しかシフトインできないという。これまで携わってきた業務が突如廃止となり、その後の受け入れ部署が決まらなかった。
 私より一回りも若い上司に呼びつけられ、会議室で個人面談を受けた。彼の口ぶりから、どの部署でも私を忌避している様子が、ありありと想像された。はっきりと言葉には出さないが、あなたは必要ないとの意思を縷々感じた。
 契約書をぼんやり見た。
 誰にでも出来る仕事だ。健康で素直な若者の方が、使いやすいに決まっている。ただそれにしても、あまりに情のないやり口に腹が立った。
「これって、体のいいクビじゃないでしょうか?」
「前向きに考えられませんか、こちらは契約を続けるといってるんですが」
 年若な上司は、ですが、と語尾を強くして、苛立ちを隠そうともしなかった。
「生活費はバイトで賄ってますし、急にそんな話しをされたって、こちらとしても困ります」
 なんら駆け引きをする気力もない。ただ卑屈になって情にすがる。
 しかし、彼は私の評価を記入した書類を指で遊ぶだけだった。
「契約したって、週に一度しかシフトに入れないなんて、それって飼い殺しですよ……」
 そんな言い草が、彼の癇に障ることは承知していた。上司はうぜえと思ったか、小さな舌打ちをした。
「巻田さんも大人なんだし、わかんないかなあ。もうちょっと、自分の立場を冷静に考えられませんか?」
 どこまでも上から目線だった。そりゃあ、彼は正社員でアルバイトを管理する立場にいる。だからって、あまりにも人を見下してやしないか。
「私は冷静です……。ただ、来週には月が変わるのに、あまりにも唐突だったんで」
「だったんで、なんですか? こちらだって、受け入れ部署を散々当たってますよ」
 話しのわからないおっさんだと、年若な上司がため息をついた。
「正直にいいますよ。巻田さん残業できないでしょ。月、水、金は午後三時までしか働けないって、そんな変則シフトじゃ、どこの部署だっていい顔しませんよ。無理しないで、療養してたほうがいいんじゃないんですか?」
「無理はしてません」と、私は間髪いれずに言い切った。
「こんなご時勢だし、うちの会社だって厳しいのは、わかってもらえますよね? それとも、それすらわかりませんか?」
 そう言って、上司が背もたれに身を投げる。
「冷たく聞こえるかも知んないけど、仕事って厳しいんですよ。巻田さんが、どんな夢を見てるか知りませんけど、いや、オレだって応援したいですよ。だけど、会社も人生もそんな甘いもんじゃないでしょう」
 私のことなんて何も知らず、よくぞそこまで言い切れるもんだ。感心するやら、呆れるやら。言っとくが、私だって辛苦くらい舐めている。どうやらこいつは私のことを、たかが芸人崩れとでも思っているんだろう。
「どうでしょう、取りあえず、様子を見ていただけませんか」
「……、様子ってどれくらいですか」
「まあ、一月なのか、半年なのか」
「半年? それまで、自宅待機してろっていうんですか?」
「だ・か・ら、自宅待機じゃなくて、とりあえず、手の足りてないところがあれば、雑用くらい紹介しますよ」

5月8日 鯖がぐうと鳴いた 1 [後編] に続く

hagi

萩原正人元キリングセンス、愛称はハギ。タイタン所属。移植芸人。ライター。

1987年にピン芸人だったシャブとキリングセンスを結成。社会風刺の効いたブラックなコントを得意とし、東京のお笑いライブを中心に活動していた。ところが1998年、母子感染によるB型肝炎から重度の肝硬変であることが判明。コンビ活動を停止。その後、医師から余命半年と宣告されるも、1999年夏に渡米。翌春にダラスで肝臓・腎臓の同時移植に成功する。帰国後、キリングセンスとしての活動に復帰し、2006年に解散。現在はタイタンに所属し、主にライターとして活動している。
著書に移植の体験を綴った「僕は、これほどまで生きたかった(扶桑社)」。テレビロスで連載していたコラムをまとめた「スキスキコンビニ(アスペクト)」がある。2014年12月より、出身地であるCRT栃木放送でラジオのコメンテーターを努めている。CRT栃木放送「ツーミリオン+」16:00〜18:30金曜レギュラーコメンテーター。TVBros.「わらしべマッドサイエンティスト」隔号連載中。

usagi

瀧沢諒(Takizawa Ryo)

文字書き、たまにらくがきとか写真とか。K405のひと。