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地獄變20 芥川龍之介

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大正七年五月一日、芥川龍之介は大阪毎日新聞で『地獄變』の連載を開始しました。
当時と全く同じ区切り、同じ日付で『地獄變』をお送りします。

 
二十
 
 その夜雪解の御所で、大殿様が車を御焼きになつた事は、誰の口からともなく世上へ洩れましたが、それに就いては随分いろ/\な批判を致すものも居つたやうでございます。まづ第一に何故なぜ大殿様が良秀の娘を御焼き殺しなすつたか、――これは、かなはぬ恋の恨みからなすつたのだと云ふ噂が、一番多うございました。が、大殿様の思召しは、全く車を焼き人を殺してまでも、屏風の画を描かうとする絵師根性のよこしまなのを懲らす御心算おつもりだつたのに相違ございません。現に私は、大殿様が御口づからさう仰有おつしやるのを伺つた事さへございます。
 それからあの良秀が、目前で娘を焼き殺されながら、それでも屏風の画を描きたいと云ふその木石のやうな心もちが、やはり何かとあげつらはれたやうでございます。中にはあの男をのゝしつて、画の為には親子の情愛も忘れてしまふ、人面獣心の曲者くせものだなどと申すものもございました。あの横川よがはの僧都様などは、かう云ふ考へに味方をなすつた御一人で、「如何に一芸一能に秀でやうとも、人として五常をわきまへねば、地獄に堕ちる外はない」などと、よく仰有つたものでございます。
 所がその後一月ばかりつて、愈々地獄変の屏風が出来上りますと良秀は早速それを御邸へ持つて出て、恭しく大殿様の御覧に供へました。丁度その時は僧都様も御居合はせになりましたが、屏風の画を一目御覧になりますと、流石にあの一帖の天地に吹きすさんでゐる火の嵐の恐しさに御驚きなすつたのでございませう。それまでは苦い顔をなさりながら、良秀の方をじろ/\睨めつけていらしつたのが、思はず知らず膝を打つて、「出かし居つた」と仰有いました。この言を御聞きになつて、大殿様が苦笑なすつた時の御容子も、未だに私は忘れません。
 それ以来あの男を悪く云ふものは、少くとも御邸の中だけでは、殆ど一人もゐなくなりました。誰でもあの屏風を見るものは、如何に日頃良秀を憎く思つてゐるにせよ、不思議におごそかな心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱だいくげんを如実に感じるからでもございませうか。
 しかしさうなつた時分には、良秀はもうこの世に無い人の数にはいつて居りました。それも屏風の出来上つた次の夜に、自分の部屋のはりへ縄をかけて、くびれ死んだのでございます。一人娘を先立てたあの男は、恐らく安閑として生きながらへるのに堪へなかつたのでございませう。屍骸は今でもあの男の家の跡に埋まつて居ります。尤も小さなしるしの石は、その後何十年かの雨風あめかぜさらされて、とうの昔誰の墓とも知れないやうに、苔蒸こけむしてゐるにちがひございません。

――大正七年四月――
今日の大阪毎日新聞夕刊<五月廿一日> の紙面
【又復攻勢に出でんとする獨軍】(倫敦特電二十日發)大軍をイーブル。オアズ間に集中す
【獨墺両軍の混成】(倫敦特電十七日發)獨墺新同盟の結果
【露軍のバクー奪回】(桑港二十日發)「露都來電」露國過激派軍は土耳其軍と戰闘を交へて……
【愛蘭陰謀事件續報】(ルーター二十日發)フレンチ總督の布告

――大阪毎日新聞夕刊マイクロプリントより――
Akutagawa

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)

1892年(明治25年)3月1日生まれ。1927年(昭和2年)7月24日没
小説家。本名同じ、号は澄江堂主人、俳号は我鬼。その作品の多くは短編であった。

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坂口亭タイガース(さかぐちていたいがーす)

貼り絵作家。1987年生まれ、京都府出身。幼少の頃から原因不明のめまいを持つ。構成作家(’08~’13)の仕事を経て、2013年坂口恭平氏に弟子入り。2年間の熊本修行を経て、2015年地元・京都に戻る。