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地獄變6 芥川龍之介

地獄變 芥川龍之介

大正七年五月一日、芥川龍之介は大阪毎日新聞で『地獄變』の連載を開始しました。
当時と全く同じ区切り、同じ日付で『地獄變』をお送りします。

 

 
 地獄変の屏風と申しますと、私はもうあの恐ろしい画面の景色が、ありありと眼の前へ浮んで来るやうな気が致します。
 同じ地獄変と申しましても、良秀の描きましたのは、外の絵師のに比べますと、第一図取りから似て居りません。それは一帖の屏風の片隅へ、小さく十王を始め眷属けんぞくたちの姿を描いて、あとは一面に紅蓮ぐれん大紅蓮だいぐれんの猛火が剣山刀樹もたゞれるかと思ふ程渦を巻いて居りました。でございますから、からめいた冥官めうくわんたちの衣裳が、点々と黄や藍を綴つて居ります外は、どこを見ても烈々とした火焔の色で、その中をまるで卍のやうに、墨を飛ばした黒煙と金粉を煽つた火の粉とが、舞ひ狂つて居るのでございます。
 こればかりでも、随分人の目を驚かす筆勢でございますが、その上に又、業火ごふくわに焼かれて、転々と苦しんで居ります罪人も、殆ど一人として通例の地獄絵にあるものはございません。何故なぜかと申しますと良秀は、この多くの罪人の中に、上は月卿雲客げつけいうんかくから下は乞食非人まで、あらゆる身分の人間を写して来たからでございます。束帯のいかめしい殿上人てんじやうびと、五つぎぬのなまめかしい青女房、珠数をかけた念仏僧、高足駄を穿いた侍学生さむらひがくしやう細長ほそながを着たわらはみてぐらをかざした陰陽師おんみやうじ――一々数へ立てゝ居りましたら、とても際限はございますまい。兎に角さう云ふいろ/\の人間が、火と煙とが逆捲く中を、牛頭ごづ馬頭めづの獄卒にさいなまれて、大風に吹き散らされる落葉のやうに、紛々と四方八方へ逃げ迷つてゐるのでございます。鋼叉さすまたに髪をからまれて、蜘蛛よりも手足を縮めてゐる女は、神巫かんなぎたぐひでゞもございませうか。手矛てほこに胸を刺し通されて、蝙蝠かはほりのやうに逆になつた男は、生受領なまずりやうか何かに相違ございますまい。その外或はくろがねしもとに打たれるもの、或は千曳ちびき磐石ばんじやくに押されるもの、或は怪鳥けてうくちばしにかけられるもの、或は又毒龍のあぎとに噛まれるもの――、呵責かしやくも亦罪人の数に応じて、幾通りあるかわかりません。
 が、その中でも殊に一つ目立つてすさまじく見えるのは、まるでけものの牙のやうな刀樹の頂きを半ばかすめて(その刀樹の梢にも、多くの亡者が※「儡のつくり/糸」々るゐ/\と、五体をつらぬかれて居りましたが)中空なかぞらから落ちて来る一輛の牛車でございませう。地獄の風に吹き上げられた、その車のすだれの中には、女御、更衣にもまがふばかり、綺羅きらびやかに装つた女房が、丈の黒髪を炎の中になびかせて、白いうなじらせながら、悶え苦しんで居りますが、その女房の姿と申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦をしのばせないものはございません。云はゞ広い画面の恐ろしさが、この一人の人物にあつまつてゐるとでも申しませうか。これを見るものゝ耳の底には、自然と物凄い叫喚の声が伝はつて来るかと疑ふ程、入神の出来映えでございました。
 あゝ、これでございます、これを描く為めに、あの恐ろしい出来事が起つたのでございます。又さもなければ如何に良秀でも、どうしてかやうに生々と奈落の苦艱くげんが画かれませう。あの男はこの屏風の絵を仕上げた代りに、命さへも捨てるやうな、無惨な目に出遇ひました。云はゞこの絵の地獄は、本朝第一の絵師良秀が、自分で何時か墜ちて行く地獄だつたのでございます。……
 私はあの珍しい地獄変の屏風の事を申上げますのを急いだあまりに、或は御話の順序を顛倒致したかも知れません。が、これからは又引き続いて、大殿様から地獄絵を描けと申す仰せを受けた良秀の事に移りませう。

今日の大阪毎日新聞夕刊<五月六日> の紙面
【講和提議に耳を假さず】(倫敦特電三日發)一般英國民は獨逸が平和運動を畫策しつゝありとの噂專らなるにも拘らず何等……
【険惡なる普魯西政界】(倫敦特電三日發)宰相の妥協運動
【芬蘭の獨軍北進】(ルーター四日發)捕虜二萬
【伊墺激戰】(桑港五日發)「縊也納來電」墺國広報に曰く伊国戰線における激烈なる戦闘はジユーシカリー谿谷よりアドリヤ……

Akutagawa

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)

1892年(明治25年)3月1日生まれ。1927年(昭和2年)7月24日没
小説家。本名同じ、号は澄江堂主人、俳号は我鬼。その作品の多くは短編であった。

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坂口亭タイガース(さかぐちていたいがーす)

貼り絵作家。1987年生まれ、京都府出身。幼少の頃から原因不明のめまいを持つ。構成作家(’08~’13)の仕事を経て、2013年坂口恭平氏に弟子入り。2年間の熊本修行を経て、2015年地元・京都に戻る。