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地獄變3 芥川龍之介

地獄變 芥川龍之介

大正七年五月一日、芥川龍之介は大阪毎日新聞で『地獄變』の連載を開始しました。
当時と全く同じ区切り、同じ日付で『地獄變』をお送りします。

 良秀の娘とこの小猿との仲がよくなつたのは、それからの事でございます。娘は御姫様から頂戴した黄金の鈴を、美しい真紅しんくの紐に下げて、それを猿の頭へ懸けてやりますし、猿は又どんな事がございましても、滅多に娘の身のまはりを離れません。或時娘の風邪かぜの心地で、床に就きました時なども、小猿はちやんとその枕もとに坐りこんで、気のせゐか心細さうな顔をしながら、しきりに爪を噛んで居りました。
 かうなると又妙なもので、誰も今までのやうにこの小猿を、いぢめるものはございません。いや、かへつてだん/\可愛がり始めて、しまひには若殿様でさへ、時々柿や栗を投げて御やりになつたばかりか、侍の誰やらがこの猿を足蹴あしげにした時なぞは、大層御立腹にもなつたさうでございます。その後大殿様がわざ/\良秀の娘に猿を抱いて、御前へ出るやうと御沙汰になつたのも、この若殿様の御腹立になつた話を、御聞きになつてからだとか申しました。そのついでに自然と娘の猿を可愛がる所由いはれも御耳にはいつたのでございませう。
「孝行な奴ぢや。褒めてとらすぞ。」
 かやうな御意で、娘はその時、くれなゐあこめを御褒美に頂きました。所がこの袙を又見やう見真似に、猿が恭しく押頂きましたので、大殿様の御機嫌は、一入ひとしほよろしかつたさうでございます。でございますから、大殿様が良秀の娘を御贔屓ひいきになつたのは、全くこの猿を可愛がつた、孝行恩愛の情を御賞美なすつたので、決して世間で兎や角申しますやうに、色を御好みになつた訳ではございません。尤もかやうな噂の立ちました起りも、無理のない所がございますが、それは又後になつて、ゆつくり御話し致しませう。こゝでは唯大殿様が、如何に美しいにした所で、絵師風情ふぜいの娘などに、想ひを御懸けになる方ではないと云ふ事を、申し上げて置けば、よろしうございます。
 さて良秀の娘は、面目を施して御前を下りましたが、元より悧巧な女でございますから、はしたない外の女房たちのねたみを受けるやうな事もございません。反つてそれ以来、猿と一しよに何かといとしがられまして、取分け御姫様の御側からは御離れ申した事がないと云つてもよろしい位、物見車の御供にもついぞ欠けた事はございませんでした。
 が、娘の事は一先づきまして、これから又親の良秀の事を申し上げませう。成程なるほど猿の方は、かやうに間もなく、皆のものに可愛がられるやうになりましたが、肝腎かんじんの良秀はやはり誰にでも嫌はれて、相不変あひかはらず陰へまはつては、猿秀よばはりをされて居りました。しかもそれが又、御邸の中ばかりではございません。現に横川よがはの僧都様も、良秀と申しますと、魔障にでも御遇ひになつたやうに、顔の色を変へて、御憎み遊ばしました。(尤もこれは良秀が僧都様の御行状を戯画ざれゑに描いたからだなどと申しますが、何分しもざまの噂でございますから、確に左様とは申されますまい。)兎に角、あの男の不評判は、どちらの方に伺ひましても、さう云ふ調子ばかりでございます。もし悪く云はないものがあつたと致しますと、それは二三人の絵師仲間か、或は又、あの男の絵を知つてゐるだけで、あの男の人間は知らないものばかりでございませう。
 しかし実際、良秀には、見た所が卑しかつたばかりでなく、もつと人に嫌がられる悪い癖があつたのでございますから、それも全く自業自得とでもなすより外に、致し方はございません。

今日の大阪毎日新聞夕刊<五月二日> の紙面
【反革命政府樹立】露國立憲民主黨領袖の蹶起=伯林の驚愕(倫敦特電三十日發)
【芬蘭赤衛軍全滅】(倫敦三十日發)コーペンハーゲン來電
【普魯西政界の危機】(倫敦特電三十日發) 選擧法改正問題紛糾=貴族黨の躍起=下院解散か
【不和に熱中せる墺帝】(倫敦三十日發) 伊太利を引込まんとす

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芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)

1892年(明治25年)3月1日生まれ。1927年(昭和2年)7月24日没
小説家。本名同じ、号は澄江堂主人、俳号は我鬼。その作品の多くは短編であった。

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坂口亭タイガース(さかぐちていたいがーす)

貼り絵作家。1987年生まれ、京都府出身。幼少の頃から原因不明のめまいを持つ。構成作家(’08~’13)の仕事を経て、2013年坂口恭平氏に弟子入り。2年間の熊本修行を経て、2015年地元・京都に戻る。