F T R @
九州発! 日本中が楽しくなるWEB文芸誌。美術館・博物館のイベント情報、気になる本や本屋さん、読みたい物語がきっと見付かります

ちっこい骨 3 深津十一

ちっこい骨

 十月に入り、空は一気に高くなった。吹く風に忍び込む秋の気配にだんじり祭りの余韻も冷め、午後三時の駅前商店街は人影もまばらであった。どこか遠くで有線の懐メロが流れ、ふわりと惣菜屋の揚げ物の匂いが漂ってくる。そんな商店街の一角に、健二行きつけのパチンコ屋はある。
「今すぐ耕平の学校へ行って」
 異臭漂う狭い個室の中、耳に押し当てた携帯電話から聞こえてきた美佐子の声には、荒く速い呼吸音が混ざり込んでいた。健二は電話に出たことを即座に後悔した。少し前に大当たりが出たものの、再びじり貧となり、気分転換にとトイレに立ったタイミングで携帯電話に着信があったのだ。
「あほか。今やっと出始めたんじゃ。これから今日突っ込んだ分を取り返すとこやんけ」
「どうでもええから、はよ行って」
「どうでもってなんじゃい。そんなに急ぎやったらお前が行けや」
「自分で行けるぐらいやったらあんたに頼まんわ。今、どのレジもお客さんがビッシリで抜けられへんの」
「嘘こけ、こうやって電話しとるやんけ」
「トイレや言うて店長にちょっとだけ代わってもろたんや」
 お互いトイレで電話に向かって言い合いをしているという状況が滑稽で情けない。健二の肩から力が抜けた。
「だいたいなんの用事やねん」
「耕平が喧嘩で友達にケガさせたんやって。そやから担任の嶋田先生が、お父さんかお母さんにちょっと来てほしいって」
 したんやなくて、ケガさせた? あの耕平が?
 健二は一瞬言葉を失った。どう考えても、耕平が他人に手をあげるという絵が頭に浮かばなかった。
「そやからすぐ行って。そこからやったら近いやろ。先生待ったはるから。ちょっと、聞いてんの?」
「ぎゃあぎゃあ、うるさいんじゃ」
「うるさいってなんやの。自分の息子が――」
「もうええ。ガタガタ抜かすな。行くわい。行ったるわい」
 健二は携帯電話を乱暴に折り畳んだ。もたれたドアからは景気のいいBGMと無駄にテンションの高い店内放送が響いてくる。腹筋運動の要領で弾みをつけ、ドアから背を離すと、反動でわずかに開いた隙間から雑多な音の洪水がどっとなだれ込んできた。その音を聞いたとたん、健二の指先は無意識のうちにポケットに伸び、残った小銭を確認しようとする。
 ――どうでもええから、はよ行って。
 美佐子の切羽詰まった声が耳の奥で響いた。
 健二は小さく舌を鳴らし、半開きのドアに体をねじ込むようにしてトイレの外に出た。全身に絡みついてくる軽やかな電子音と板ガラスに金属球がぶつかる音を振り切り、人の背中が作る狭い通路を足早に進む。自分の台の前に戻った健二は、足下に置いていたドル箱を気合いとともに持ち上げた。両手にかかる重みから、今日の収支をプラス千円と見積もる。
 ふん、しけた儲けや。
 店内放送が大当たりを連呼し、玉の流れる音が頭上で響く。健二はドル箱を抱え直し、左肩を少し前にしてカウンターへと向かった。
 
 小学校に着くと、ペンキが風化し表面が白い粉に覆われた鉄柵の門扉が健二の行く手を遮っていた。冷たく堅い鉄棒が等間隔に整列する様は、拘置所の牢屋を連想させた。
 なめとんのか?
 テレビのニュースにも新聞にも興味のない健二に、日常的な校門の閉鎖が、昨今の不審者対策であるということなどわかるはずもない。小学校の校門は放課後も開放されているというのが健二の常識であり、故に目の前の状況は、自分への拒絶としか受け取れなかった。
 健二は血走った目で周囲に視線を走らせた。門柱に取り付けられたインターホンを見つけると、親指の腹でめり込めとばかりにボタンを押した。
 ――はい。どちらさまですか。
 面倒くさそうな男の声。
「耕平の親や」
 ――コウヘイ君ですね。失礼ですが何年何組のコウヘイ君でしたか。
「二年の――何組かはわからん」
 ――あの、どういったご用件で?
「そっちが呼びつけたんやろがっ。そやからわざわざ来とんのや。機械の向こうでゴタゴタぬかしてんと、さっさと出てこいや」
 スピーカー越しにざわめきがしばらく聞こえていたが、やがてブツリと音を立てインターホンは沈黙した。
 ほどなくして校舎の陰から二人の男性教師が姿を現した。先に立つ方は五分刈りのごま塩頭にネクタイ姿という、いかにも教頭ですという出で立ち。もう一人はトレーニングウエアの上下に身を包んだ体格の良い中年男性で、健二に対する学校側の初期対応は非常に分かりやすいものだった。二人は門扉から少し離れて立ち止まり、健二の頭から爪先までを舐めるように見た。
「浜田耕平君のお父さんでしょうか」
 年嵩のごま塩頭の方があからさまな警戒心を宿した目でたずねた。健二は言葉を返す代わりに、爪先で門扉の下部を蹴りつけた。鈍く重々しい反響音が低いうなりを伴いながら門扉の端から端へと往復する。トレーニングウエア男の靴の下でジャリッと砂が鳴った。
「すいませーん。お呼びしたのは私でーす」
 小太りな女性教師が、腰にまで届きそうな黒髪を振り乱しながら駆けて来た。男性教師たちの前にすばやく割り込むと、荒い息のまま顔を上げ、満面の笑みを健二に向けた。
「よかった。お父さんに来ていただけて本当によかったです」
 そのあと女性教師が男性教師たちに頭を下げ、二言三言話をすると、二人は形ばかりの会釈を残し足早に立ち去って行った。
 
 話を聞くのは職員室か校長室だろうとの健二の予想に反し、女性教師が向かったのは二年二組の教室だった。
 絵の具と雑巾の匂い。
 整然と並ぶ玩具のような机。
 窓から射し込む柔らかな午後の日射し。
 その真ん中にぽつねんと座る耕平の姿は、ぎゅっと握りしめた拳のように見えた。
「こちらにお掛けください」
 女性教師にうながされ、健二は耕平の左隣に腰を下ろした。風呂場の椅子ほどの高さしかない座面からは尻の三分の一がはみ出し、両方の膝が斜めに突き立つ。幼児のままごとに付き合わされているような感覚に、健二はすっかり毒気を抜かれてしまった。
 ほんで、お前は何をしたんじゃ。
 深くうつむく耕平の後頭部からは、固く口を引き結ぶ顔が透けて見えるようだった。
「お話し、よろしいでしょうか」
 正面に目を戻すと、三十代半ばの女性教師がヒマワリのような顔で笑っていた。
 こいつ、何がそんなに嬉しいんや?
 健二は、今自分がこの場にいる理由を美佐子から聞き間違えたのではないかという不安に襲われた。喧嘩で相手に怪我をさせた子どもの親が歓迎されるなど、健二の感覚ではあり得ない状況だ。だがどう見ても目の前の女教師は心の底からの嬉しそうな表情を見せている。
 健二は女性教師からそっと視線を外すと、もう一度耕平の様子を確認した。両手を膝に置き、身動き一つせずにうつむいている。先ほどは気づかなかったが、右の拳には血の滲んだ二枚の絆創膏が重ねられていた。
「本日はお忙しいところ、学校までお運びいただきありがとうございます。耕平君の担任をさせていただいる嶋田です。先ほどは当方の連絡ミスで気分を害されたと思います。改めてお詫び申し上げます」
 歯切れのよい口調とともに、耕平の担任はいったん腰掛けていた椅子から立ち上がり、膝の前に指を伸ばした両手を重ね、深々と頭を下げた。
「いや――」
 こういう場面において、健二は返す言葉を知らない。あんたが気にするなという意味の返事をしたかったのだが、肯定とも否定とも判断できない声の断片が出ただけで、あとが続かなかった。
「奥様からお聞きになりましたでしょうか?」
 担任は本題に入った。
「喧嘩やてな」
「ええ、そうなんです。でも、もう子ども同士は仲直りしました。その点はご心配なく。ただ――」
「なんや」
「私の方から相手の親御さんに事情は説明させてもらっていますが、軽いとはいえお子さんが顔にケガをされていますので、耕平君のお父さんからも謝罪していただくのがよいと思います」
「俺が? 子どもの喧嘩やろ」
「子どもの喧嘩に親が関わるのはみっともない、ですか?」
 柔らかな笑みを消さないまま、担任はぐっと顔を寄せてきた。
「これを見てください」
 担任は表情を引き締め、机の上に一枚のティッシュを広げた。その中央に、数個の、何か小さな白い欠片のようなものがあった。
「これ、耕平君が大切にしていたものなんですが、今日の昼休みにうっかり床へ落としたらしくて、それをお友達が踏んでしまったんです」
「ふん、ほんなら向こうも悪いんやんけ。喧嘩両成敗や」
「お友達はすぐに気づいてゴメンと謝ったそうなんですが、かっとなった耕平君がどうやら一方的に――何回か殴ったようです」
 健二は思わず耕平を見た。きれいな渦を描くつむじが目に入った。
 担任は続ける。
「私もびっくりしました。普段はとてもおとなしい耕平君が、こんなに激しい感情を見せるなんてよほどのことだと思いました。それで、さっきまで耕平君にいろいろ話を聞いていて、そして、納得したんです」
 担任はいったん言葉を切り、一枚の原稿用紙を健二に差し出した。
「これは二学期の初めに耕平君が書いた作文です。読んでみてください」
 健二は言われるままに、升目からはみ出す濃い鉛筆の文字を目で追った。

 夏休みのおもいで 
   二年二組 浜田 耕平  

 夏休みにとうちゃんが海につれていってくれた。なんかいでんしゃにのっていった。にしきのはまという海でした。海にはすながいっぱいあった。海はものすごくひろかった。海できれいな貝をひろった。とうちゃんがあさりだとおしえてくれた。たのしかった。またいきたいです。

「これがその時のアサリの貝殻だそうです」
 担任はティッシュをそっと畳んで「じゃあ返すね」と耕平の手に握らせた。
「そういうわけで――」
 担任は健二の目を覗き込んだ。
「お父さんには、耕平君のために謝ってあげて欲しいんです」
 健二は黙ったまま目をそらし、しばらく視線のやり場に迷った後、窓の外に広がる澄んだ秋空を見上げた。
 
「今日のパチンコの儲けがわやじゃ」
 健二は商店街の中で最初に目についた和菓子屋に入ると、一番安い饅頭の詰め合わせを注文し、誰にともなく文句を垂れた。
「お待たせしました。千と五十円になります」
 健二はポケットから千円札と百円玉を取り出し、受け取った釣り銭を耕平の手に握らせた。
 耕平はポカンとした顔になり、手渡された五十円玉と健二とを何度も見比べた。
「おら、行くど。お前が道案内せなわからんのや。さっさと前歩け」
 健二は耕平の肩に掌をあて、店の外へ押し出した。
 なんや、ちっこい骨やの。
 掌に残った息子の肩の感触がじわりと全身に染み渡ってゆく。健二はその場に立ち止まり、先をゆく耕平の背中を目で追った。
 ジーンズのポケットの中で携帯電話が震えた。
 美佐子からだった。
 健二は取りだした携帯電話に向かって「なんじゃい」と怒鳴った。
「どうやった? 嶋田先生、なんて?」
「どうもこうもあるかい。今から相手の家に謝りに行くんじゃい」
「え、あんたが?」
 それきり美佐子は黙ってしまった。携帯電話の奥からは、スーパーで流れる店内放送が小さく聞こえてくる。健二は首を左右に傾けてコキコキと骨を鳴らし、一つ大きく息を吸った。
「おい、今、客はどうやねん」
「え、ごめん。なんて?」
「店、混んでんのか」
「いや、ちょっと前まではすごかったけど、今は空いてる」
「ほんなら、今から出てこいや」
「あ、一緒に謝りに行くんやな」
「ちゃうわい。こんなもん家族総出で行ってどうすんね。俺と耕平がすんません言うて頭下げたら五秒で終わりや」
「ほな、なんやのん」
「そのあとで、海行くど。今からそこ出て春木の駅で待っとけや」
「今から海? 何しに? どこの?」
「ごちゃごちゃうるさいんじゃ。海っちゅうたら二色浜に決まっとるやろが」
 健二の怒鳴り声が、風に乗って前方へと運ばれてゆく。
 耕平が振り向く。
 健二は空を仰ぐ。
 その視線の先では、一本の飛行機雲が細く長く西に向かって伸びていた。
 

fukatu11

深津十一札幌在住の小説家

第11回「このミステリーがすごい! 大賞」優秀賞でデビュー
添付の写真は「ニポポ」(アイヌの民芸品)です。