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【旧制高校生必読の書】三太郎の日記 6 阿部次郎

santaro

六 夢想の家
 
 

 
 貧しき者、淋しき者の慰安は夢想である。現實に於いて與へられざる事實と雖も之を夢裡に經驗するは各人の可憐なる自由である。此貧しき國に生れて、貧しきが中にも貧しき階級に育つ者にとつて固より此夢は灰になる迄實現される期はあるまい。併し堅く汚れた床の中に困臥する身にも、豐富華麗なる生活を夢みるだけの自由は許されてゐるのである。西洋文明史家の説に從へば古代の心は其末期に至つて屡※「二の字点」怪しき夢の襲ふ所となつた、而して其怪しき夢は終に現實となつて、茲に新たなるロマンチツクの心が生れた。現今日本の住宅建築も亦正しく怪しき夢に襲はる可き時期に逢着してゐる。此夢は國家富力の充實と國民生活の精化とに從つて早晩實現されずには居ないであらう。自分の夢は此等の數多き夢の中の最も見すぼらしい、最も專門に遠い、而も最も實現し難き夢に屬してゐる。
 

 
 平安朝以後に發達して來た日本住宅建築の特色如何と云ふ問題に對しては專門家の間に定めて精到な解釋があることであらう。構架の樣式、材料の選擇、裝飾應用方法等悉く日本建築固有の特色があるに違ひない。併し住宅建築は直接に國民生活と緊密の關係を有する實際的設備として藝術家乃至好事者の意匠にのみ放任する譯に行かない。住宅建築の根本特色を決定する主義となるものは寧ろ國民生活の理想である。如何に國民生活の要求を充し、如何に國民生活に影響するかの點に於いて、住宅建築の精神と特色とは成立するのである。故に今此點に於いて日本住宅建築の特色を求むれば、從來美術史家の屡※「二の字点」自贊せる處に從つて、「自然との調和と抱合」とに在りとする外自分には新しい見解がない。固より昔の寢殿造書院造の如きは、今日吾々の起臥する家屋の樣に、吹晒し同樣とも云ふ可き程完全を極めたる「自然との抱合」を實現してゐなかつたであらう。併し其主義は依然として家屋内に於ける自然(外界) の支配を許容し歡迎するに在つたことは疑ひがない。
 

 
 尤も「自然との調和抱合」と云つても外より見ると内より見ると二樣の區別がある。外より見るとは街頭を行き若しくは山莊を訪ふ人の眼に周圍との調和が美しく浮び出ることである。此の如き調和は固より無條件に望ましいことに違ひない。併し住宅建築本來の目的から云へば此の如きは寧ろ枝葉の閑問題である。吾人は盆景の中に陶製の家屋を置く樣に、自然景を點綴し補充し裝飾する爲に住宅を築くのではない。快く、暖かに、柔かに其中に住み、靜かに讀書し思索し戀愛し團欒し休息し安眠するが爲に住宅の功を起すのである。從つて自然と抱合するの主義も亦主として内に住む人の立場から解釋しなければならぬ。縁に彳みて庭を眺めて蟲を聽き、障子を開いて森に對し月を見るの便を主とするが如きは即ち内より見たる自然との抱合である。
 

 
 自然が柔かに温く吾人の生活を包む限りに於いて、自然が吾人の思索と事業とに對する專念を妨げる程積極的に働きかけて來ない限りに於いて、自然との抱合を理想とする住宅は固より望ましいことである。併し自然は常に笑つてばかりは居ない。靜かに晴れ渡る若干の日と、降る雨のしめやかに、柔かに、煙籠むる若干の日とを除けば空は常に怒るか曇るか泣くかである。驟雨や強雨は障子を開けて眺めてゐる間こそ豪爽であるが、讀書思索勞作の孰れに對しても隨分落付かぬ氣分を誘ひ勝である。殊に灰色の雲の押かぶさる日と、風のざわ/\騷ぐ日は堪らない。然るに從來の住宅建築には此等の影響を調節する機關が具つてゐないから、吾人は野に彳む乞食の如く自然の支配に身を任せなければならないのである。雨の強い日風の烈しい日は雨戸を締めなければじつとして居られないのは吾人の住む明治の住宅である。而も障子を締めても雨戸を閉しても一家を包圍する自然の情調は遠慮なく室内に侵入して來るのである。殊に外部の音響に對する防禦機關の具備してゐない事は都會生活をする者にとつて取分け嚴酷なる責罰である。無數の騷音が波濤の如く沸き立つ中にあつて輕薄なる住宅に一身を托する生活は隨分堪らない。自然(街頭の音響周圍の人事をも含む)の調子の遙かに温柔であつた時代、若しくは自然の齎す情調を呼吸することを以つて生活の重なる内容とすることが出來た時代に於いては、自然との抱合を主義とする住宅も生活の理想と大なる矛盾を感ぜずに居られたであらう。吾人の如く興奮し易く疲勞し易き神經を持つて峻嶮なる自然と人事との中に生息する者にとつて、住宅建築は城砦の如く吾人の生活を外界の襲撃から保護して呉れるものでなければならぬ。自分の怪しき夢は既に根本主義に於いて在來の住宅に不滿を感ずるのである。特に借屋住居の身として節度なき自然の襲撃に疲れたる心には此不滿が一層の苦しさを以つて迫り來るのである。自分の夢想の家は「求心的統一」を、「外界よりの分離」を主義としてゐる。

 
 此の如き主義の轉換は日本建築の樣式に少からぬ變化を要求する樣になるかも知れない。漫遊の外客は必ず之を痛惜し、保守と事大とを兼ぬる美術家は必ず之に附和するであらう。併し吾人は祖先の爲に隱居所を建立するに非ずして、自己及び子孫の爲に住宅を建築するのである。外國人のエギゾテイシズムに滿足を與へる爲の見世物を造るに非ずして、自らの身と心とを住ましむ可き安宅を設計するのである。大極殿の再建と住宅建築の樣式とは自ら區別して考へられなければならぬ。内より迫る必要は内より吾人の生活を變形して行く。吾人は此力に身を任せるに何の躊躇をも要しないのである。自分は將來に向つて日本の美術と日本の文學と日本の思想と日本の文明とを造るに最も適當なる住宅を求むるに過ぎない。
 

 
 外界の侵入、特に音響の侵入を防ぐ爲に、夢想の家は石造でなければならぬ(石造と通氣及び温度との關係は專門家に諮るより仕方がない)。少くとも外界の威力を防遏して獨立の世界を形成するに堪へる程の威嚴ある材料によつて構成されなければならぬ。採光は自然の晴曇明暗に絶對的支配權を與へぬ範圍に於いて明るい方を好み、從來の日本建築に比して今少しく暗く今少しく深味のある光を採る。夢想の家に在つて自然は利用さる可き者であつて支配す可き者ではない。屋内の情調を構成する要素は其構造及裝飾から吹き來る一定の氣分でなければならぬ。屋内の情調に變化を與ふる權力も亦居住者の掌中に握つて、自然の氣まぐれなる干渉を許さない。
 

 
 夢想の家に在つては一構の總體が外界に對して獨立するが如く、各室も亦相互に獨立してそれぞれの自主を保たなければならぬ。在來の日本建築に在つては外界に對する獨立が曖昧であつたと同時に各室の獨立も亦甚だ不安であつた。襖と障子とは極めて信頼す可からざる障壁である。室と室との間には音響が無遠慮に交流し、各室の獨立は隨時の闖入を豫想する不安に慄へてゐる。從つて讀書も思索も安眠も戀愛も凡て其專念と集注と沈潛とを奪はれて、眞正なる孤獨の經驗は容易に居住者の精神を見舞はない。自らを孤獨の境に置くことの自由を奪はるゝは生活の眞味に徹せむとする個人にとつて誠に非常なる損害である。故に夢想の家の各室は相互の孤獨を十分に尊敬することを以つて理想とする。主要なる室には必ず次の間がある。次の間と廊下との境には重い扉があつて内から鍵をかける樣に設備されてある。夢想の家に住む者は重い扉と次の間とを隔てゝ廊下の遠い音を聽き乍ら、外界の闖入を防禦したる石造の室にあつて讀書し思案し戀愛するのである。眞正の孤獨と閑寂とを領して魂の眼を内に向けるのである。
 

 夢想の家の室内裝飾は各種の情緒情調と調和して此等と共鳴し助成するものでなければならぬ。餘りに積極的刺戟的に自己を主張する者は室内生活の凝滯を誘致する危險がある。書齋の壁は緑に燃ゆる五月の草の色に塗り(又は張り)たい。寢室の壁は北の國の新月に似た蒼色に塗らう。書齋の空氣は暖かに柔かに心を包むことを要する。寢室の空氣は寒いと云ふ感じもなく、悲哀の情緒をも刺戟せぬ限り、唯無限に沈靜の情調を吹いて精神を安靜の境に誘致することを理想とする。寢室の窓には深くカーテンを垂れて晝間と雖も刺戟に疲れて焦躁し興奮したる精神の避難所とする。
 

 
 夢想の家も決して自然との抱合を拒まない。靜かなる雨の音、遠き蛙の聲、曉の枕に通ふ鶯の音、寢室の硝子窓を覗く木立と月光、此等の情調を歡迎するが爲に開閉の自在なる厚い硝子の窓と樣々の色に染めたカーテンとを具へて、書齋又は居室に於いて直接に自然と親むの機縁を開いて置く。而して更に自然との親和を緊密にせむが爲に、夢想の家には廣いバルコンを造る。草色の縁をとつた帆布は日光と微雨とに對してバルコンの上に團欒する大人と子供とを保護する。圓卓を圍む椅子には肱つきがある。
 

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 夢想の家は疊に寢そべる者の懶惰なる安逸を拒まない。併し疊の觸覺と温覺とは餘りに堅く餘りに冷たい。故に疊の代りにダーリヤの花の樣な深紅の色の天鵞絨を張つたソーフア數臺を備へて置く。
 

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 最後に夢想の家の庭園には茶室がなければならぬ。茶室は日本從來の住宅建築の理想の精髓である。常住に自然の支配下に立つに非ざる限り、此處に掛物を愛玩し、此處に湯の沸る音に心を澄し、此處に花を品し、此處に雨を愛した祖先の心は凡て懷しい。夢想の家に住む者は現代の繁雜を脱れて、古き世の夢を見むが爲に時々此茶室に安息を求めるのである。
 

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 夢想の家は時を經るに從つて益※「二の字点」其細條を明にして行くであらう。併し朝毎に厨の音と子供の泣く音とに醒める身には何と云ふ遠い世の幽な夢であらう。

(六月十七日朝)