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【旧制高校生必読の書】三太郎の日記 4 阿部次郎

santaro

四 人生と抽象

 普通の解釋に從へば抽象とは具象の正反對である。抽象する作用は常に事物の具象性を破壞し、抽象せられたるものは既に具象性を失つてゐるのである。併し自分の考は少しく普通の解釋と違つてゐる。自分の解釋が正しいならば、具象性を破壞するものは抽象作用其ものに非ずして抽象の方法である。從つて具象性を破壞する抽象もあれば、具象性の印象を一層明確深※「二点しんにょう+(穴かんむり/豬のへん)」にする抽象もある。
 若し事實と云ひ具象と云ふことが吾人の感官を刺戟する猥雜なる外界の一切を意味するものとすれば、彼の現實乃至具象の世界は既に吾人の知覺をすら逸してゐる。況して吾人の悟性乃至理性に映ずる世界の姿が此種の現實を離れ、具象性を失つてゐることは云ふ迄もない事柄である。知覺は無意識的に外來の刺戟を選擇する。更に悟性と理性とは經驗の價値と意義と強度とによりて知覺の世界に選擇を施す。選擇するとは或種の經驗を強調して或種の經驗を捨象することである。抽象作用を度外視して世界を認識することは徹頭徹尾不可能である。從つて現實の世界具象の世界は抽象作用を俟つて始めて吾人の頭腦中に成立するのである。世に抽象的に非ざる具象界は存在し得ない。具象の世界は抽象作用の子である。現實の世界は吾人の創造する處である。
 吾人が猥雜なる外來の刺戟中より現實の世界を創造するに當りて、渾沌を剖判す可き重要なる原理となるものは、強調せられ若しくは捨象せらる可き經驗の意義である。而して經驗の意義を決定するにはリツプスも説けるが如く二樣の要素がある。一つは經驗そのものが意識に對して有する壓力である。強度である。一つは其經驗と吾人の要求との適合不適合の呼吸である。狹義に於ける其經驗の價値である。若し此兩面が美しい調和と平衡とを保つならば、其強度と壓力によりて吾人の世界に一定の地位を要請する經驗は、隱れたる自我の要求と何等の鬪爭なくして其要請する地位を占有することが出來、又自我の要求によりて強調せられ若しくは捨象せらる可き經驗は、知覺の側より何等の顯著なる抗議を受ることなくして其抑揚を完くすることが出來て、吾人は素朴無邪氣に古典主義の世界に優游するを得る譯である。併し吾人の世界に在つて古典主義は遠き世の破れたる夢となつた。破れたる夢を慕ひて新しき世に其復活を圖らむとする新古典主義はあつても、昔ながらに素朴無邪氣なる古典主義の姿は今の世の何處にも發見することを得ないであらう。少なくとも自分一己の世界に在りては、知覺の世界に於いて一定の強度と壓力とを有する經驗に對して、隱れたる自我の要求は我が求むる處は此の如く醜き者に非ずと顏を背ける。自我の要求より出發する經驗の抑揚に對して、知覺の世界は現實を離れたる白日の夢よと嘲弄する。要求の眼より見れば知覺の世界は姿醜く、品卑しく、碎け且つ歪んでゐる。知覺の世界に立脚すれば要求の世界は實相を離れたる空しき紙の花に過ぎない。茲に至りて始めて現實と理想とは主義として鬪爭し、具象と抽象とは兩立し難き極端となつて、抽象作用は意識的に非ざれば行はれ難い事となるのである。捨象とは拒斥である、放逐である。一面に、焦躁する自我は眼を瞋らし肩を聳かして醜き知識を擯出する。一面に、捨象せられたる經驗は怨靈となりて新しき世界の四周を脅迫する。此の故に吾人の世界は第一に知覺と要求との兩端に分裂し、第二に不安にして強制の陰影を殘し、第三に稀薄にして本能の強健を缺くのである。
 併し吾人の意識に内界統一の願望ある限り、吾人は依然として抽象の歩を進めなければならぬ。經驗に抑揚を附して人生の精髓を選擇しなければならぬ。貧弱なる文明の遺産を繼承し、不統一なる知覺の世界に生れたるだけに、愈※「二の字点」
切に抽象の歩を進めなければならぬ。明治の日本に生れ合せたる吾人は大向うから人生の芝居を覗く連中である。前面にウヨウヨする無數の頭顱と、前後左右に雜談ゴシツプする熊公八公の徒と、場内の空氣を限る鐵の格子とを抽象して、せめて頭腦の世界に於いて棧敷の客とならなければならぬ。吾人の抽象に反抗と感傷との臭あるはやむを得ない。兎に角に予は抽象の生活を愛する。
 抽象は超脱となり、超脱は包容となる。予と雖も之を知らざるものではない。併し此不統一なる世界に生れて、誰か自ら詐ることなくして包容の哲學を説くを得よう。予は抽象の低き階級に彷徨する。故に予は抽象の哲學を説く。
 

 
 前段の論理を摘要し添補する。
 具象とは五官よりする印象を、如實に遺漏なく保存するの意ならば、人間の世界には何處にも具象と云ふものはない。若し具象とは經驗の意義、本質、價値を掲げ出すの義ならば、内的要求より出發するの抽象は愈※「二の字点」具象性を強烈にするの作用である。眞正の具象性は抽象の成果として到達せらる可き状態である。
 第二の意味に於ける具象の概念は經驗の本質を掲揚し保存することを精髓とする。經驗の意義を捨象する作用が即ち具象性を破壞するの抽象である。抽象が具象性を破壞するには二樣の途がある。第一は經驗の内容を捨象して其形式のみを保存するのである。第二は猥雜なる官能的刺戟に執着して經驗の意義本質を逸するのである。感覺的現實を偏重する者は形式的普遍のみを求むる者と同樣に抽象的である。具象性を破壞する惡抽象たるに於いて兩者の間に二致がない。
 事件や行動の報告よりは情調情緒の報告の方が更に具象的なる場合がある。情緒情調の報告よりは思想の報告の方が更に具象的なる場合がある。事件や行動の報告に非ざれば、事件や行動の報告を通じて思想感情を暗示するに非ざれば、具象的でない樣に考へるのは反省を缺ける淺薄なる思想である。
 併し事件行動の如き知覺的具象と、思想感情の如き抽象を經たる具象との間には顯著なる一つの差別がある。それは後者が同樣の經驗を經て同樣の抽象を試みたる者に非ざれば通ぜざることである。思想感情の直寫は同類の間にのみ通ずる貴族的隱語である。思想感情の傳達を欲して事件行動の報告を欲せざる者の爲に存在する神祕的記號である。余は他人に煩されずして靜に自己の生活を經營することを欲するが故に、自己の生活を公衆の前に隱す抽象的原語を愛する。
 但し茲に云ふ抽象とは知覺の世界に就いて順當に其意義本領を強調し、其偶然を刈除し行くの抽象である。知覺の世界に就いて抽象の歩を進むれば自然に價値の世界に到達すると云ふ一元的信念に基くの抽象である。
 

 
 具象と鬪爭して相互に其根柢を奪ふ時、吾人の抽象は古き具象の征服となり、新しき具象の創造とならなければならぬ。吾人の世界は危機に臨んでゐる。進化の曲線は急激なる屈折を要する。自我の脈搏は今其調子を亂してゐる。吾人の内界には騷擾があり醗酵があり憤激がある。
 新しき具象を創造するには、志士となつて所謂事實を改造するか、哲學者となつて事相を觀ずるの見地を變更するか、此二の外に道はあるまい。志士の事業は知覺の世界に就いて自我の要求に協ふ抽象を強制するのである。「永恆の相の下に」觀ずる哲學者と雖も經驗の抑揚を新にして知覺の世界に抽象を施すに非ざれば、換言すれば嘗て重大なる意義を附したるものを輕くし嘗て光を蔽はれたるものを明るくするに非ざれば、到底現實其儘を受納することを得まい。志士と哲學者の抽象は勇者の抽象である、進撃者の抽象である。
 唯弱き者、感傷する者は身邊に蝟集する厭ふ可く、憎む可き知覺に對して、手を振つて之を斥けるよりも先づ眼を背けて其醜より遁れむとする。此の如き抽象の生活には固より不安と動搖と悲哀となきを得ない。現實の包圍に脅迫せらるゝ抽象の悲哀は吾人を超脱の努力に驅るのである。
 事實の改造に絶望する時、暫く三面の交渉を絶つて靜かに一面の世界に沈湎せむとする時、眼を背くるの抽象は吾人の精神に搖籃の歌を唱ふの天使となるのである。流るゝ涙を拭ふの慈母となるのである。現實の光を遮るの黄昏となるのである。

(四十五年三月九日記)