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風琴堂覚書 マヨヒガ 参 菅野 樹

fuhkindoh


 
 なかば嶽の手を引くように、俺は走った。足元に絡み付いてくる水仙を蹴散らす。白い花が千切れ飛び、真っ暗闇となった中でぼんやりと光る。耳の奥にはまだ少女の歌声がしがみついている。うるさい、うるさい。口の中で呟いていたはずなのに、俺は怒鳴り声を上げていた。
 どう駈けてきたのか、突然に目の前が開け、雑木林の路肩に乗り上げていた車にたどり着いた。息が上がり汗塗れになった俺は車に凭れかかり、走ってきた方向を見つめた。深い淵のように黒く塗り潰されている。運転席に乗り込んだ嶽は無言のまま、俺に向かって助手席を指差す。関節に油が刺さっていないようなぎこちない動作で俺が助手席に納まると、嶽は思い切りアクセルを踏み車を出した。シートベルトが、肩に食い込む。開け放った窓から空を見上げる。月、月は西に傾きはじめていた。
「煙草」
 黙っていた嶽が、吐き捨てるように言った。革ジャンのポケットを探っていた左手が、苛立たしげにハンドルを叩く。闇を切り取っていたヘッドライトの先、ふいに舗装した道が出てくる。嶽は四駆をバウンドさせるようにアクセルを踏み込み、竹林の細い道からその道路に着地させた。
 見覚えのある景色。明々とした照明で輝く、先刻のコンビニがあった。嶽は何も言わず、車を乗り入れる。
「おや、あんた方。ひどいなりだね」
 コンビニのおじさんにそう言われ、お互いを見比べる。二人とも足元は靴下のままだった。笹で切ったのか、嶽の顔はあちこちにうっすらと血が滲んでいる。俺は顎の辺りがぬるぬるするので触れてみれば、血が付いた。嶽は蟀谷の辺りを蠢かすが何も言わず、保温器から缶コーヒーを二本取り出した。
「肉まん二つ、ここで食っていいかな」
 万札をカウンターに置き、嶽は言う。他に客はない。俺も嶽も余程しょぼくれた顔をしていたのか、おじさんは頷いた。差し出された缶コーヒーの温かさを確かめ、肉まんに食い付く。食べたい訳ではなかったが、必要な行動のような気がした。
「さっき言うのを忘れたんだがね。あの住所のお宅、随分と前に火事で焼けたらしいんだよ。かみさんに聞いたら、怒られちまった」
 おじさんの言葉に、機械的に肉まんを咀嚼していた俺は舌まで噛みそうになる。缶コーヒーを傾けていた嶽は、むせたのか咳き込んだ。
「前、前って、どれくらいですか」
「そうさな、私が子供の頃だったらから、六十年以上は前かな」
 俺の問いに、七十過ぎらしいおじさんは言い、すまんかったね、と笑った。
「悪戯にしては手が込んでるねぇ」
 続けての言葉に、俺も嶽も笑いはしなかった。
 
 雪が降ってきた。久方ぶりの雪だが風が強いので、白く染まることはないだろう。風琴堂は蔵を改装した店で、黒ずんだ梁が支える天井は高く、達磨ストーブが必死になって部屋を暖めようとしているが追い付かない。古い商いを記したと思われる大福帳を捲っていた俺は手を止めて、冷めてしまった紅茶を飲んだ。開いていた大福帳の頁を見つめ、小さく溜息をつく。
 あの不思議な館は何だったんだろう。大福帳に、「奥津」という名前を見つけることはできなかった。がしがしと髪の毛をかき回す。さて、主がお帰りになる前に、今一度、倉を探索するか。それを手にして立ち上がった時、店の前に車が止まる気配があった。
 表に出れば、御室がタクシーから降りてくるところだった。トランクから幾つもの荷物が出てくる。運転手さんに手を貸して、俺が荷物を受け取ると、彼女は上機嫌で、
「今回はいい買い物をしたよ」
 と言う。俺は頷くだけだった。
「あと一週間は居たかったんだけれど、なんだか心配でね」
 御室は言いながら、俺が開けた扉から店に入る。その途端、足を止めて俺を振り返った。俺はスーツケースや土産物の荷物を作業場に置く。土産物の中の紅茶缶を目ざとく見つけ、引き抜いた。御室は何も言わず、机に歩み寄っていく。手袋をしたままの指先が、大福帳を摘む。そうして、隣に置いていた封筒に気付いたのか手に取った。
「どこから出してきたの」
 御室はひそりと呟いた。俺は答えないまま食器棚からティーポットを取り出す。紅茶缶を開けて適当に茶葉を放り込もうとすると、御室から缶を取り上げられた。
「ヒギンズの紅茶に失礼だろう」
 彼女は黒いコートを肩に掛けたまま、ティースプーンで茶葉を掬い、ティーポットに入れる。茶器は随分と古い。茶器を包むカバーは、確か彼女のお手製で、子供の俺はウサギのアップリケに名前を付けていたような気がする。鉄瓶から湯気の立つ音だけが部屋に籠っている。御室は儀式めいた動作でティーカップに紅茶を注ぎ、一客を作業台の上に置くと、自分は黒檀の机の椅子に腰掛けた。封筒の表の文字を、彼女は一時指でなぞっていた。
「届いたんだ。ポストに入ってた」
 伸し掛かってくる沈黙に耐えられず、俺は言うと紅茶を一口。今まで飲んでいた出がらしの紅茶と違うことだけは、判る。カップ越しに、黒眼鏡を掛けたままでいる御室の横顔を見つめる。普段からそんなに表情を浮かべる人ではないが、今日は何時もよりも判りにくい。御室は顔色を伺う俺の気配に気付いたのか、薄い唇に微笑を閃かせた後、椅子の背もたれに体を預け、ふうと長い溜息をついた。骨ばった長い両手の指を胸の上で組み、暫らく無言でいた。
「もう処分したと思っていたのに」
 低い呟きは、独り言のようだったので、俺は気付かないふりをする。御室は紅茶一杯を時間をかけて飲み干すと、階段箪笥を指差した。
「一番上の引き出し」
 お言葉に従い、俺は台を持ち出し、階段箪笥の一番上の引き出しを覗き込む。三十センチ角程の正方形の、薄い木の箱が収まっていた。なんだろうと、蓋を開けようとする。
「もうすぐ、嶽が来るだろうから。それを持って、出掛けるよ」
 御室のやんわりした声に、箱を抱えて台からおりた。丁度その時、店の扉が開き、寒風と小雪を足元にまとわりつかせ、嶽が店に入って来る。その姿に、俺は目を見張った。何時もの革ジャンではなく、黒のダウンを引っ掛けている。驚いたのは、左腕をギプスで巻いて三角布で吊った、その姿だ。
「どうしたの?」
 俺の問いに、
「事務所の階段から落ちた」
 嶽は聞いてくれるなという顔で、そう答えた。苦い声に、俺は思わずにんまりしそうになる。いや、彼の不幸を喜んでいるわけではない、そういう人間味があったことが喜ばしい。御室がコートの袖に腕を通した。それを見た俺が、箱を雑嚢に入れようとする。
 すると、
「七海、それはとても大事なものだから、これに包んでおくれ」
 彼女はそう言い、自分の首に巻いてあるエルメスのスカーフを外す。
「嶽、お前もおいで」
 御室の前だと何時もは虎のような嶽が、子猫のようになる。今も素直に頷いていた。
「何処に行くの」
 赤と金が生えるスカーフで箱を包みながら、俺は尋ねる。御室は封筒の中にあった水仙の押し花を手にした。色の薄い唇が、一瞬、きゅっと横に引き結ばれた。
「川向こうの街」
 御室の返答。そこは、寺町と違いレンガ造りの洒落た街だ。
「昔、お売りしたお品。買い戻せないかね……」
 彼女は呟き、扉を開けた。雪は、まだひらひらと儚く舞っている。
 
 寺町は静謐さに包まれた街だが、この街はまるで違う国のようだ。煉瓦と真鍮と硝子で作られている。この都市を流れる二本の川に挟まれた街。昔からの住人はこの街のことを、オールド・シティと呼ぶ。
 俺達がその街に辿り着いた頃、冬の弱い陽が海へと沈もうとしていた。煉瓦色の街が琥珀色に染め上げられて、年経た写真の中に入り込んだようだった。川縁に建つ紅い煉瓦造りの大きな建物は、一世紀以上前の迎賓館だという。植物の蔦を模した洒落た街灯のある石敷きの広場。広間を半円に取り巻くように、幾つかの商店が立ち並んでいた。昔にこの街を作った人たちは、異国の風情に憧れたんだろう。シンプルでいながら美しい意匠の組み合わせは、アール・デコの影響を思わせてくれる。何時もは通り過ぎるだけの街に、俺は視線をさ迷わせているのだが、御室は真っ直ぐに広場を横切っていく。
 御室が向かったのは、広場正面にある煉瓦建ての三階建ての建物だった。喫茶店なのか、酒場なのか、人を招くように扉を開け放ってはいるが看板はない。店は細長い作りで、奥は少し薄暗い。御室が外席に佇むと、その店の暗がりから、なんとも見事な銀髪をした体格のよい、彼女と幾らも歳が違わないような男性が現れた。
「久しぶりですね、マダム」
 低く耳馴染みのよい声で、その人は言う。御室は黒眼鏡をかけたままでいるが、口元に穏やかな微笑が浮かぶ。知り合いらしく、この店の主らしい。ヘミングウェイに似てるんだと、俺が顔を見つめてしまえば、その人は絶対に俺には真似できそうにない、渋い微笑を向けた。そうしてそのまま視線を横に動かし、嶽を見た。今度は人の悪そうな笑顔になる。
「お前さんも久しぶりだ。もうあだ名では呼べないな」
 主が言うと、嶽は口の中で何か文句を言ったようだが、声は落ちてこなかった。
「奥様のご葬儀以来です」
 主に引いてもらった椅子に腰掛けながら、御室は言う。嶽は主を避けるように、隣の卓に腰掛けた。俺はどっちに座るものかと躊躇ってしまったが、御室に指差され彼女の向かいに席を確保する。エルメスのスカーフに包んだ箱は、そっと卓の上に置いた。御室は手を伸ばし、骨ばった長い指で暫らくその布を弄っている。珍しく何かを言いだすのを躊躇っているようだった。
「あのクレデンザは、お使いになられていますか」
 少し低い声で、彼女は言う。その言葉に主は微笑し、頷いた。
「ビクトローラ・クレデンザ、我が家にあれがあることは公の秘密だ。どうなさいましたか」
「手前勝手な言い分ですが、買い戻させて頂きたい」
 御室の言葉に俺は驚いて、彼女と主を見比べる。彼女がそんなことを言いだすのは、未だ聞いたことがない。彼女の売り買いは何時も卒がないのだ。主はくしゃりとした微笑を浮かべると、小さく首を横に振った。
「あれは、私の妻グレースが、貴女の元にありましたのを、無理を言って買い求めた品。彼女亡き後は、孫が大事にしていましてね」
 やんわりとした主の答えに、御室の口元には微苦笑が浮かぶ。それは恐らく、自分に向けられたものだろう。彼女は右手で黒眼鏡を外すと眩しそうに目を細め、琥珀に染まる煉瓦の街を見つめた。
「奥様ほどに、愛してくださる方はいらっしゃいますまいと思いました。まだ小さなお孫さんをお連れになって、毎日店に来てくださいました」
 御室の漆黒の瞳が主の隣で止まり、小さく笑う。亡くなったそのご婦人を俺は知らないのだけれど、きっとまだ気配はあるのかもしれない。
「昔、もう、ずっと昔です。これを貸してあげる約束をした子がおりました」
 御室はまた眼鏡を掛けなおし、箱を手元によせるとスカーフを解き、蓋をあけた。中にはレコードが入っていた。ほう、と感心の声をあげたのは主だった。
「SPレコード、イエローレーベル」
「なんだか随分と年季が入ってるね」
 俺が思わず問い掛けると、主は俺に顔を向けにこりとし、
「君は?」
 と、問い掛けてくる。
「七海です。店の手伝いをさせています」
 御室が答え、俺は思わず背筋を伸ばした。
「貴方のお兄様と同級だった、私の兄の孫です」
 御室の言葉に、俺は居心地悪く椅子の上でもぞもぞと体を動かす。向こうの卓で、嶽が小さく笑う。この辺りは名前の通り古い町だ、昔からの住人はお互いの家族のことまでよく知っている。主は頷いただけだったが、自分の父親の事も、ましてや祖父のこともよく知らないでいる俺には何とも言えない気分だった。
「何もかも激しく変わってしまって。でも、変わっていく街に寄り添って、忘れてしまいたかったこともあるんです」
 御室は、誰に言うともなく呟く。揺らぐことがないと思っていたその横顔、唇を引き結んだ彼女のその片頬が、僅かに震えている。主は皺の刻まれた目元を、和やかな色に緩めた。
「飲み物をお持ちしよう」
 主は言い、店に戻っていく。組んだ両手の見つめる御室から目を反らす。何時もより、その姿が小さく見えるのだ。沈黙が堪らず、俺はぼんやりとした風情で街区を見つめる嶽に、顔を向けた。
「あの人、知り合いなの?」
 俺の問いに、すぐに返事はない。もう一度同じ言葉を投げ付けようとしたとき、嶽は無事な右手で、街の端に見えるコインパーキングを指差した。
「あそこに昔、佃煮屋があった。俺の実家だ。俺のあだ名は、クギニ。小魚の佃煮みたく、黒くてガリガリなガキだった」
 それきり、嶽は口を閉ざした。
「この街は変わらないね。お前たちのせいで果たせなかった約束を思い出したよ」
 張りつめていた背中を解すように御室は一度小さく肩を聳やかし、椅子にその背中を預け直す。彼女が見つめる街の向こうの景色。俺もつられて視線を転じる。灰色の雲間から、まるで光の柱のように細い線が海に降り注いでいる。天使の梯子だ。
「私にも、友達がいたんだよ。生涯でただ一人の友達」
 御室は呟く。黒眼鏡の奥、彼女は何を見つめているのか判らない。どう答えていいのか判らずにいる俺に、御室はひそりと小さく笑ってみせたのだった。
 
(つづく)

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菅野樹(Kanno Tatsuki)

福岡市の古い町の片隅に住んでいます。
地元を題材にした、色んな物語を書いていきたいと思っています。
好きな場所は、Barカウンターの片隅。
クラシックギターと猫が好きです。
Twitter @kannnokannno