F T R @
九州発! 日本中が楽しくなるWEB文芸誌。美術館・博物館のイベント情報、気になる本や本屋さん、読みたい物語がきっと見付かります

風琴堂覚書 マヨヒガ 弐 菅野 樹

fuhkindoh


 
 月は、中空に浮かんだままでいた。
 コンビニエンスストアの店主に教えてもらった道に、嶽は確かに車を乗り入れたはずだった。簡易舗装らしい道を、もう随分と長い間走っている。他愛もないことを話していた嶽は、いまや無言でハンドルを抱え込み、ヘッドライトが切り取る闇を見据えている。
 俺は、また、空を仰いだ。月、半分に立ち割ったような月の、冴えたの色が目に染みる。それを眺めていた俺は、助手席に埋め込んでいた身をゆっくりと起こした。
「嶽、車止めてくれ」
 俺が言えば、嶽はゆっくりと車を止める。
「見ろよ」
 俺は窓から天を指差した。彼はでかい体の上半身を捻るようにし、窓から空を仰ぐ。意味が判っていないらしい。
「月が少しも動いていないんだよ」
 もう一時間以上山道を走っているはずなのだ。嶽は坊主頭を自分の右手で、ぽんと叩いた。
「全く、お前と一緒だと楽しいことがおこる」
 台詞とは裏腹に、ガンダーラ仏のような顔を固く強張らせ、嶽は再び車を出した。そうして彼は呟いた。
「もう一回りして、見つからなかったら帰ろう」
 その時、視界の端に暖かな色がよぎった。俺が思わず指差すと、嶽は急ブレーキを踏む。濃い影を落とす竹林の向こうに、確かに柔らかな橙色の灯りを俺は見つけた。随分と先のようで、車では近づけそうにない。
「歩きだな」
 嶽の言葉に、俺は頷き、足元に置いていた何時も持ち歩く背嚢を掴む。懐中電灯を二つ、取り出した。用意がいいなと嶽は笑うが、職業柄色んな場所を覗き込む。助手席の上で、俺は深呼吸を一つ。その様子を、嶽が片眉を跳ね上げて見つめている。小さく頷くと、車のドアを開ける。忽ちに体が闇と冷え切った大気に包まれてしまった。
 
「出そうだなぁ」
 ざくざくと、竹の落ち葉を踏み荒らして行きながら、嶽は言う。俺はその背中を思い切り小突いた。冬は怪談話の季節じゃないし。何か言い返したいが、寒さは尋常ではなく、
「黙って歩けよ」
 そう言い返す言葉も、歯の音が合わずによろよろしている。何とも情けない気分になり、俺はぶんぶんと懐中電灯を振り回してみる。白くて丸い光が、火の玉のように竹林をなぎ、余計気味が悪くなった。小さな灯では、足元はおぼつかない。全身の機能を耳に傾けて、探るように竹林を歩いていく。
 俺も嶽も何時しか無言で、時折、懐中電灯が切り取る竹林の一角をぎくりと見つめては、お互いの顔を見合ったりした。やがて、踏みしめていた竹落ち葉の感覚が、滑らかでいて硬質のものに変わる。足元を照らすと、平らかな飛び石があった。つい先刻水を撒いたように、月明かりを受けて滑らかに光っている。俺はふっと息を吐くと、ゆっくりと前を見据えた。
 竹林の向こうひらけた場所には、山茶花の生垣をめぐらせた簡素だがしっかりとした作りの山門がある。花の紅色はこの暗い場所を鮮やかに照らし、月明かりに美しく、少しぽてりとした花びらを足元に散らしていた。
 山門の古びた表札には、確かに、「奥津」とある。両開きの重そうな扉は開かれ、俺たちの到着を待っていたかのようだった。覗き込んだその場所には、水に濡れた飛び石が転々と続き、玄関へと誘う小道には、純白の日本水仙が道に純白の花を傾けている。水仙の高貴な香りが、冷たい空気の中に漂っていた。
「やっと到着」
 ほっとしたように嶽が言い、ずいずいと門を通り過ぎていく。俺は一瞬、躊躇った。このまま、誘われていいのだろうか。ふとそう思ったが、寒さと、そうして、抗えない温かな光景が足を進めさせてしまう。
「ごめんください、風琴堂の者です」
 欅の一枚板らしい上がり框。広い玄関に一歩入れば、濃密な白檀の香りに抱きしめられる。遠くからヴァイオリンの音が聞こえていた。ツゴイネルワイゼンだ。俺はもう一度声を掛けるが、返事はない。
 家屋の作りは農家風なのに、玄関からすぐに立派な居間になっていた。目の前には、和と洋が絶妙に入り混じった空間。本来は土間であったろう場所に、黒光りする床板が敷かれ、重厚な革張りのソファとオークのチェストがある。マホガニ作りのバーカウンターが奥にあって、嶽の目はそこに並んだ高価な酒瓶に釘付けだった。
「奥、入ろうぜ。寒い」
 革ジャンのポケットに両手を突っ込み、嶽が震えながら言う。確かに、風が竹を鳴らし、ざんざんと耳を打つ音が響き、俺と嶽は歯の根も合わないほどに震えていた。どうしようか。一瞬考えるが、目の前に広がる、余りにも温かな光景には、思考を殺いでしまう効果があるようだった。
「お邪魔します」
 呟きながら、中に入る。居間の奥には暖炉があり、開け放しているのに暖かな空気が満ちていた。俺と嶽はまず、その柔らかな橙色で手をあぶり、足先を温めた。
「留守なのかな」
 静けさが落ち着かず、俺は呟く。嶽は無言のまま手をあぶっている。俺は、立ち上がると部屋を見回した。古びてはいるが、なんとも素晴らしい部屋だ。御室ならば部屋の中のものも、できれば家具も全部引き取って来いと言いそうだ。
 金唐紙で飾られた壁、さりげなく掲げてある四号程の油絵は、シスレーの絵に似ている。林檎の木の絵、でも、なんとなく、寂しい。シャンデリアは落ち着いたアールデコで、柔らかな光を、年代物らしく些か色褪せた毛足の長いキリムの絨緞の上に落としている。
 それでも、俺の気持ちを落ち着かなくさせるものは、誰の気配もないのについ先刻に用意されたようにチェストの上においてある、茶器とサンドウイッチの山だった。青の美しいロイヤルコペンハーゲンの茶器の中に注がれたかぐわしい紅茶は湯気が立ち、サンドウイッチもスコーンも本当に先刻用意されたもののようだった。
「旨そう」
 嶽が手を伸ばすが、俺はその手をぺしりと叩く。嶽は殴る寸前のような顔で俺をを睨むが、よほど俺が怖い顔をしていたのだろう、黙って手を引っ込めた。だって、おかしいじゃないか。先刻から、ヴァイオリンの音は、この家の何処かから、途絶えることなく流れているのだもの。
 気配のない部屋の中で、家の人の姿を探す。広間の一角、調度、中庭に面した廊下があるが、薄暗くてよく見えない。そんな時、きん、と高い音がして俺は思わず左足を宙に浮かせた格好で周囲を見回してしまう。廊下に踏み出した途端、薄暗闇の中にあった卓に強かに足をぶつけた。呻く暇もなく、その上から何かが滑り落ちて来て、反射的に両手を伸ばした。置時計だった。台座には金時計が嵌め込まれていて、その上にある小さな星を抱きかかえるように二人の天使が手を繋いでいる。時計の針は、Ⅻでぴたりと止まっていた。
 これか、針が重なって音が出たのか。時計のサファイアガラスが曇っている。高価そうな品だ、落とさなくてよかった。曇ったガラスに傷がないか指でそっと触れる。次の瞬間には、指を引っ込めた。その短い間で、一気に流れ込んでくる。断ち切るように小さく首を横に振り、目を閉じる。
 真っ白いリボン、差し出されてくる華奢な作りの手。童子のような笑い声。いやだ、小さく呟いてみる。しかし浮かんでくるものは、はっきりと形を取ってしまった。
 セーラー服を着た少女。長いお下げ髪が華奢な背中を覆っている。その傍らにたっているのは、制服のようなものを着た若者だ。少女の頬は桜桃のように艶やかだ。腰の辺りで揺れている真っ白いレースのリボン。青年が何か声をかけたのだろうか。少女がセーラー服の裾を翻し振り返る。
 
「七海」
 ふいに声を掛けられ、俺は思わず置時計を落としそうになった。心臓がのど元まで競り上がってくるほどに高鳴っている。素早く、しかし慎重に時計を元の場所に戻すと、自分の両手を見た。左手は、ちゃんと手袋に包まれている。
「これ」
 固まったままの俺の目前に、嶽はずいと小さな品を差し出してきた。それは掌に収まるほどに小さな、青玉色のエナメルのロケットだった。金の縁取りと留め金。無骨な指で、嶽がそれを開く。
 夕暮れ色の写真が、二葉。右には、はにかみ顔で微笑む先刻の少女。そうして、左を見たときに、俺の喉が思わず鳴る。右側の顔を見せた、同じ制服の少女。固い顔をした、その凍ったような横顔を俺は何時も見ているような気がする。通った高い鼻梁、遠くを見つめているような切れ長の瞳。
「勝手に持ってくるなよ」
 俺が蓋を閉め、嶽に押し返す。嶽は暖炉の上、チェストを指差す。追いかける指の先には、幾つもの写真立てが並んでいる。見てこいよというように、嶽が俺の肩をこづく。探るように足を踏み出し、チェストに近づく。沢山の写真立ての中には、モノクロではあるけれど、今にも微笑み返しそうな笑顔の少女が納まっている。その少女に肩を抱かれるようにして写真にある、強張った顔のもう一人の少女。分厚い眼鏡を掛け、すこし上目づかいにこっちを眺めている。手を伸ばし、その写真立てを取ろうとした時、そのとき、気付いた。先刻まで聞こえていた、ヴァイオリンの音が消えていた。暖炉が燃えているのに、薪が爆ぜる音さえしない。
――晶ちゃん?
 そんな、声が俺には聞こえた。晶は、御室の名前だ。答えてはいけない、部屋の後ろにある、板戸を開いてはいけない。か細い少女の声は、そちらから聞こえたような気がしたのだ。嶽が俺の名を呼びそうになる。険しく両眉を寄せ、俺は首を横に振るとロケットをそっと、卓の横に置いた。
――ねぇ、お約束してくださった、あのお品は?
 声は、俺の首筋に絡みつく。
 俺は今、どこに迷い込んでしまったんだろう。軽く頭を振ると、一歩、その卓から離れた。両の足が、自分のものでないように重く感じた。
「帰ろうよ、なぁ、帰ろう」
 俺の声が、余程情けなかったのだろう。嶽は頷きながらも、先刻のロケットを指差す。
「あれ、」
 嶽が御室の名前を言いそうになり、俺は思い切り脛を蹴飛ばした。蹲って俺を罵る奴の、革ジャンの首を引っつかむと、俺は出口へと急ぐ。
 真空の中に、再び、ヴァイオリンの音が流れ出す。今度は、シューベルトのセレナーデだ。そうして、少女の声が、歌う。
 
  Leise flehen meine Lieder
  durch die Nacht zudir;
  in den stillen Hain hernieder
  Liebchen,komm zu mir……
 
 か細い美しい声が歌う。物悲しく、引き止めるように、絡みつくように。だが俺は、振り返らなかった。そうすることが、怖かったのだ。
 
(つづく)

sunkaku

菅野樹(Kanno Tatsuki)

福岡市の古い町の片隅に住んでいます。
地元を題材にした、色んな物語を書いていきたいと思っています。
好きな場所は、Barカウンターの片隅。
クラシックギターと猫が好きです。
Twitter @kannnokannno