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風琴堂覚書 マヨヒガ 壱 菅野 樹

fuhkindoh


 
 性質が悪い。呟きそうになるのをぐっと飲み込んで、俺はもう一時間近く、しんしんと冷えている倉の中で探し物をしている。店主の御室が紙切れに書きつけた品は出てきそうにない。床に置いた紙切れには、「帯留め 翡翠」と流麗すぎる文字で書きつけてある。俺は小さく息を吐くと、紙切れを手にして飴色の床に座り込んだ。
 十二月に入ると、御室は欧州に出かけてしまう。なんでも知り合いにプレゼントを渡したりだとかで、当人は楽しく過ごすらしい。俺には埒もないお土産を買って来てはくれるが、行くまでが大変なのだ。今年は訪問する予定の人達の中に、年頃の娘さんがいるらしく、何を思ったのか、自分の着物を土産に持って行くと言い出した。着方も知らない人に持って行くのはどうかな、と言う俺に、大叔母で育ての親でもある彼女は思い切り真面目な顔で、
「お前が女の子だったら良かったのに」
 と、溜息まじりでのたまったのだ。彼女のやることに意見を言えば、終いには家賃を払えとか食費を上げる、とか言われてしまうので(どっちにしても俺は住み込みだから、月給は雀の涙なのだ)、黙って命ぜられるままに倉の中を探していた。もうすぐ空港への迎えの車が来るわけだが、俺は冷え過ぎた倉の中で苦笑いをするしかない。
「覚え違いなんじゃないの」
 ぶつぶつ言いながら、店にもう一つ倉があったことを思い出した。そこは一番古い品が納めてある場所で、御室が言うにはガラクタばかりというのだが、元はといえば、この店の前身である商いを始めた彼女の父親が手に入れた品が押し込まれている。敷地の奥にある、漆喰も剥がれ落ちかけた倉。壊れそうな南京錠を開けると、しんとした空気の底に黴臭いがそろそろと庭に這い出していく。裸電球のスイッチをつけると、薄暗闇の中に詰め込まれた品が姿を見せた。
 本当だ、嫌になるほどに、物が積まれている。まずは古い家具だ。布を捲ると、季節はずれなうえに網代が解けた籐椅子が姿を見せる。黒ずんだ桐箪笥。思わず息を止めていた俺は、ついには堪えきれずに大きく咳払いをした。五分もいたくない。さっと周囲を見渡せば、階段下の棚に帳面が積み上がっているのを見つけた。あれだ、昔の大福帳だ。俺は右手指の先っぽで数頁捲ると、それを引っ掴んで外に出た。
 店に戻ると、御室は既にコートを着込み、黒皮の手袋までして準備を整えている。俺が手にしているのが紙の束だと気付くと、大きく溜息をついた。彼女が口を開くより早く、俺は首を横に振る。
「ありません。みかけません、わかりません。ご自分で探してください」
 俺は言うと、作業台の上り框の上に埃っぽい大福帳を置く。かつん、と音がしたので振り返れば、ヒールを履いている御室が逃れるように一歩下がっている姿があった。
「あの倉にはないよ、何もない」
 驚くほどに固い声で彼女が言う。黒眼鏡を掛けた彼女の表情は、普段よりも強張って見える。うろたえた姿に俺の方が言葉を失くし、ただ彼女を見上げる。黒い硝子の奥の彼女の双眸と、一瞬、俺の視線が絡まったかもしれない。俺が口を開こうとすると、丁度、前の道路からクラクションが鳴った。
「お願いだから、余計なことはしないでおくれ」
 御室はそんな言葉をかすれた声で言うと、慌ただしくスーツケースを引きずってタクシーに乗り込んでしまった。見送り出た俺に視線も寄越さず、俺は樟並木の一角にぽつりと取り残されたてしまう。俺は、ちぇっと小さく吐き捨てたのだった。
 次の日の朝は、何時もより遅く起きた。御室が早起きなので平素はつられて起きるのだが、主がいない。昨晩散々に本を読んだりで夜更かしをした俺は、なんとか着替えて店に出て時計を見あげた。もう昼近くになっている。連絡はないが、御室は目的地に着いただろう。シャツの上にカーディガンをひっかけて、寒い寒いと呟きながら新聞を取りに門扉に向かう。郵便受けの摘みがきんきんに冷たくなっていた。新聞を引きずり出すと、それにつられて、ひらりと何かが石畳の道に落ちた。封筒だ。それを拾い上げると、張りつめた空気の中、仄かに白檀の香りが立ち上った。
 封書は、店宛だった。御室宛であれば封は切らないけれど、何かの連絡かもと思いながら、上品な封筒を駱駝の骨のペーパーナイフであける。香が立ち上る紙面には、時候の挨拶が流麗なる文字で書き出してあった。内容はといえば、家にある骨董を処分したいのでご足労願いたい。そんなものだった。
 差出し住所はここから随分と遠い、山間の古い町だ。差出人の名は、顧客帳に載ってはいない。店主に電話をしてみようかと思うが、旅行中は余程の事がないと連絡がつかないのだ。困ったなと呟きながら、封書をひっくり返していると、水仙の押し花がひらりと落ちた。立ち上るのは、冬の香だ。俺はそっと、その花を摘んだ。
「さて、どうしようかな」
 まだまだ半人前と、未だに買い取りの仕事を俺は任されたことがない。出かける時に、俺に念を押すように一言言った御室の顔を思い浮かべる。勝手をすると良い顔をされないだろうけれど、見に行って話を聞くくらいならばかまわないだろう。
 俺は何時も御室が腰掛けている黒檀の机の上にある黒電話の受話器を取ると、書面の最後にある電話番号を見た。掛けようとして市外局番が無いことに気付く。駄目じゃないですかと呟きながら、確かあの辺りはと思いつく番号でダイヤルを回す。封書の宛名は、「奥津」とある。随分と長い呼び出し音。諦めかけたとき、
「お待たせいたしました」
 もの柔らかな、ご婦人の声がした。
「お手紙を頂きました、風琴堂の御室です」
 俺が言えば、ああと、嬉しげな声がして、
「晶さん、何時お越しになるのかしら、久方ぶりなの。今日はご無理? お膳のご用意もいたしましてよ。前から晶さんをお待ちしているの」
 電話をしているのは俺なのに、ご婦人は御室の名前を連呼し、時間を告げると電話を切ってしまった。すぐに出かける気持ちがなかった俺としては、こう性急に時間を伝えられても成す術がない。やっぱり御室の宿泊先に電話をするかなぁ、と小首を傾げた時、
「よぉ」
 威勢の良い声と一緒に、巨体に坊主頭、革ジャンにジーンズという胡散臭げな男が店に入ってくる。嶽だ。信じたくはないが、弁護士記章を持っている。その為に、店の面倒事の処理をお願いすることがある。
「お呼びしておりませんが」
 慇懃に俺が言えば、ちょっと片眉をあげ、唇の端を持ち上げ笑う。
「いや、お留守番が一人で大変なんじゃないかと思ってな」
「暇なの?」
 俺の問いには答えない。机の上に置いている封書を嶽は手に取ると、俺にフライドチキンの箱をずいと差し出してくる。御室が留守だと飯を食わない俺の為に持ってきてくれたらしいが、差し出すだけで何もしないのが、こいつだ。皿に盛って、箱囲炉裏の隅に置く。
「おい、この切手」
 嶽は呟くと、封書を俺に返す。嶽の眉根の辺りに微妙な影が差している。滅多に見ることができないそんな顔に、俺が笑いそうになると、軽く頭を叩かれた上に封書を目の前に突き付けられた。首を傾げる俺に、彼は切手を指差す。ぴかぴかに磨かれた爪の先の切手を暫く見つめ、俺は思わず首の辺りがそそけだった。消印のない切手。切手の絵柄は見たことがない。髭を生やした老軍人の姿。金額は、「七」。
「無視しちゃおうか」
 俺が思わず言えば、嶽は小さく肩を竦めた。何事もなかったように封書を机の上に戻し、作業場の框に腰かける。その頬の辺りが、なんとも言えずない感じで緩んでいる。
「果て師、骨董屋ってのは、骨董珍品の為なら地の果てまで行くんだろう」
 嶽は何時もよりも明るい声で言う。その後、寒い寒いと呟きながら、作業場の箱囲炉裏に齧りつく。俺はといえば、暫らく封書を見据えてしまっていた。
「まぁ、ご店主も留守だし、放っておいてもいいんじゃないか」
 囲炉裏の上の南部鉄瓶から湯気が上がっている。その湯気越しに嶽は言った。笑ってやがる。
「行くよ。だって電話で話をしたの俺だから」
 つられたように、俺はそう言った。むきになっていたのかもしれない。
 
 年末に出かければ、渋滞にはまるということを、俺はすっかりと忘れていた。嶽の運転する四輪駆動車の助手席で、ぐちゃりとシートベルトに繋がれている。彼の運転には遠慮がなく、渋滞の高速道路で隙間を見ては突っ走り、最初は文句を言っていた俺も、今は生唾を飲み込むだけだった。けれども奴の乱暴かつ高速な運転により、目的地には夕日が沈むより前に着いた。
 窓を少し開け、冷たく新鮮な空気で肺の中を満たしながら、俺はふうと空を見た。くっきりと冴えた半月が中空にある。風は街の風よりも遥かに澄み、凍えている。
「何か買っておくか?」
 目の端にコンビニエンスストアが映ったのか、嶽が言う。革ジャンのポケットを探っていた。
「いらないよ、前、ちゃんと見てよね」
「乗ってるだけのくせに、文句いうな。ニコチン買わせろ」
 嶽は鮫のように笑うと、一気に左へハンドルを切り、コンビニエンスストアの駐車場に入った。俺に万札をぽいと渡す。
「七海君、好きなものを買っておいで。俺、煙草、何時ものやつ」
 そう言うと、嶽はカーナビに、手紙の住所を入力し始めた。
 ニコチン切れの嶽は凶暴になる。ペットボトルのお茶を手に取り、レジに向う。長距離トラックの運転手や、タクシーの運転手が多い店のようだった。年配の店主らしきおじさんに、「ペルメル」と煙草の銘柄を告げると、俺は疑わしそうな顔で見つめ返された。
「お兄ちゃん、幾つかね」
「成人といわれる年齢からは、幾つか離れています」
 俺が答えると、店主は首を傾げた。
「ほんとに二十歳過ぎてんの」
 俺は参ったなと苦笑いを浮かべると、右手でポケットを探る。健康保険証でも提示するかと思った時、唇を歪め眉間に皺を寄せた面で嶽が店に入ってきた。
「あの人の煙草ですよ。ペルメル、ないってさ」
「んじゃ、ショートピース。ご主人、この住所ご存じ?」
 嶽は言いながら、封筒を出してくる。店主は品を袋に詰めながら、ちらりと目をやった。
 そうして、ふと、その封筒を手に取る。
「おお、こりゃ、近所だよ。しかし、古い住所だね。この辺りは十年ほど前に地名の変更があってね。この住所はその前のだ、この切手は東郷平八郎だね」
 主はにこやかに言うと、しかめっ面の老軍人の名前を教えてくれた。コンビニ袋を抱えて店から出た後、俺と嶽は顔を見合わせた。手にした封筒を、俺はひらひらと風になぶらせて見る。
「なんともなんとも」
 思わず俺は呟いていた。
「行くか、それとも、帰るか」
 ペルメルの封を切りながら、嶽は俺を見た。俺は少し考える。
 もうこの世から存在しない住所から、御室に届いた手紙。そうして、あの電話はどこに繋がったのだろう。あの電話の声は、とても嬉しそうに弾んでいた。黄泉平坂、その先の住人の声とはとても思えないほどに。
「行くよ、待ってるだろうから」
 俺はぶっきらぼうに答え、車の助手席に再び納まる。何時しか世界はすっかりと夜の底になり、ただ月だけが中空を行き、辺りをしっとりと濡らしていた。
 
(つづく)

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菅野樹(Kanno Tatsuki)

福岡市の古い町の片隅に住んでいます。
地元を題材にした、色んな物語を書いていきたいと思っています。
好きな場所は、Barカウンターの片隅。
クラシックギターと猫が好きです。
Twitter @kannnokannno