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売られる戦場買う人でなし 14 斜線堂侑李

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5、アフター・クライマックス
 
 その日は晴れだった。問題の無い凡庸な天気だ。そんな日に、同居人は僕達の家に不遜にも仕掛けられたテロの話を始めた。
 同居人の口から発せられるお話にしては随分重々しく語られ始めたその話は、単に僕がしようとしていた鬱屈とした話を打ち切らせる為のものだったんじゃないかと疑わざるを得ない。
 だって、同居人は今日も僕がバイトの面接をサボったことに薄々気が付いているだろう。その通り、僕は面接を今日も今日とて丁重にサボった。サボるだなんて不届きな、とは思われるかもしれないが、僕は約束の時間、声色から勝手に想像した店長の姿を暗闇に見ながら、布団の中で何度も何度も『ごめんなさい』を繰り返していた。真摯な態度で面接をバックれたのである。
 まだ秋にもなっていない九月なのに、僕の身体はがたがたと震えていた。会いたくて会いたくて震えていた。勘違いしないで頂きたいのは、僕が相手は店長でも麗しの同居人でもないという、その一点だけだ。僕が会いたいのはただ一人、まともな生活を送れる自分だけである。
 僕のじっとりとした目線を華麗に無視して、同居人は語りだす。
「扉の前にしめじが落ちてたの」
 同居人は箸を一切休めずにそう言った。
 同居人は料理が出来ない。炊飯器でご飯を美味しく炊くとか、玉ねぎをスライスすることが出来るとかそういうレベルだ。けれど食べるのが好きなのである。料理を作るのはそういうわけで専ら僕の仕事なのだけど、僕は気が向かない時には絶対に台所に立たないので、僕達の食卓にはしばしば白米のみが載ることもあった。
 そういうわけで、同居人は美味しいおかずがちゃんとある食卓に酷く貪欲なのである。おどろおどろしい現代のホラーを話す時であっても、目の前のチンジャオロースを諦めることは出来ないのだ。僕が偏執的なまでの小食で、同居人の取り分を絶対に侵さないとわかっていたとしても。
「ねえ、聞いてる?」
「うん、聞いてるよ。怖いね。これだから不景気は嫌なんだ」
「扉の前にしめじが落ちてたんだよ。それも一本じゃなくて、一パック分丸々。そのままにしてたんだけど、見てない?」
「帰ってないっていうか、出てないっていうか」
 同居人は踏みつけられた蟻のような顔をした。つまり、僕には全く読めなくて、勝手な解釈がいくらでも出来そうな顔だ。何と言っていいかわからなくて困っているようにも、自分の発言に対していきなり背後からフレンドファイアを受けたかのような感慨を覚えているようにも、僕がまた今日も前に踏み出せなかったことに対して怒っているようにも見えた。いや、最後のはないだろう。同居人は僕に対して絶対に怒らない。
「……それで? ああ、そう、しめじが落ちてたんだっけね」
 同居人があまりにも途方に暮れているように見えたので、仕方がなく僕は助け舟を出した。途端に、白米だけをもしゃもしゃと咀嚼していた同居人が顔を明るくしてチンジャオロースの更に箸を伸ばし始めた。同居人の感情表現は表情よりも食事風景に現れる方が顕著のようだ。
「そうなの。ピッキングの為の針金だったらまだわかるんだけどね、しめじなの。新鮮そうなしめじなのに地面に潔くぶちまけてさ、何か気概を感じた」
「僕が死のうと思って二階から飛び降りたものの高さが低すぎて足を捻挫した時には気概があるだなんて言ってもらえなかったけど」
「頼むからこのキッチュでキュートなホラーを話させてくれよ」
 同居人は懇願するような口調になっていたけれど、僕からしてみればもう既に無くなっているチンジャオロースの皿の方がよっぽどホラーだ。きっと、白米だけで食べろと暗に示しているのだろう。何かを察した同居人が醤油の方を見た。僕は意地でもそれをご飯に掛けて食べたりなんかしない。
「ホラーとは言っても広がりがないからな」
「でも意味わかんないものって怖いからね。何かよくわからないけど」
「まあしめじならいいだろ、実害はないし。地面に落ちてなかったら僕はしめじを炒めておかずにしていたところだ。キノコはバターで焼いて醤油かけたら大抵美味いし。……拾ってくるなよ?」
 白米だけの食卓を強いられることと地面に落ちていた得体の知れないしめじを食わされるのと、どちらがいいかなんて正直選びたくもない。同居人は次のような言葉で今日の食事と僕達の家の前にばらまかれたささやかなテロについて纏め上げた。
「ともあれ、これは事件だよ。何かを感じる」
 事件。
 大袈裟な言い方だけれど、そこを強く否定することも難しそうだった。だって、人間どんなことがきっかけで崩壊してしまうかなんてわからないのだし。しめじが玄関の前に落ちていたからって同居人まで社会生活不適合者の無職になってしまったらどうしよう、と思った。そうしたら僕達に待ち受けているのは単純な飢え死になものだから。
「事件か。……事件ね」
「これからどうなっていくんだろう」
「どうもならないよ。そうだろ」
 しめじが落ちているならシュールなホラーになるだろうし、針金が落ちていたらクライムサスペンスになるだろうと同居人は言った。
 
 この物語が一体どんな方向に向くべきなのかはわからなかったけれど、次に落ちていたのは、針金だった。
 路線変更の始まりである。
「これは事件だよ」
 同居人がそう決めつけた。傍迷惑な路線に行かれてしまったものだ。
 重々しく話す同居人が読んでいるのは、就活生のアイテムの一つに過ぎないと僕が思っている新聞だ。新聞は遠い国のお伽噺か近くとも自分が絶対に手の届かない場所のお話か、三文ゴシップしか書かれていない。普通に生きている人間に対して新聞が与える効果なんて、知的好奇心を満足させてくれるか、読んでいる人間を多少なり賢く見せてくれるかしかない。
 それなのに、就活という課程を乗り越えて会社の歯車になることを求められるだけの井の中の蛙に、会社がどうして新聞なんてものを読ませたがるのか。その答えは簡単だ。就活中という限られた期間でさえ自分を賢く見せられないような人間を、企業は欲していないのである。
 僕は当然そんなアイテムを読んだりしない。だから、事件というものには本当に縁が無いのである。
 ピッキングだろうがしめじによるテロだろうが、はたまた家の前に落ちてきた原因不明の隕石だろうが、殆ど家から出ない僕には関係がない。家の目の前にしめじが落ちても、針金が落ちても、僕は興味が無いという姿勢を崩すつもりはなかった。
 同居人と僕との間に何らかの波風なんかを立ててやるつもりは更々ないのである。僕と同居人の生活は、ある意味で危うい均衡の上に成り立っているのだから。わざわざ崩すことなんかしたくない。
 僕達の生活が何かによって壊されるのなら、それは同居人が僕に愛想を尽くすことか、もしくは僕がまともに社会に出て、こんな場所から輝かしい明日へ踏み出すことじゃないといけないのである。後者であって欲しいと思うのは、僕の随分ささやかなものになってしまったプライドの問題である。
「新聞にはくだらないことしか書いてないね。最初にしめじ、次に針金だよ。こんな大事件が載らないのがおかしい」
「正直実際に鍵がぶち壊されたわけでもないし、鍵が壊されて僕が殺されるかなんかしないときっと載らないだろうね」
「でも、七本も落ちてたんだよ。ラッキーでもないのにラッキーセブンに合わせてきてるんだよ。なんだか凄い気概を感じる」
「僕が七回バイトの面接に落ちた時は気概があるとは言って貰えなかったけど」
「凄いね。気概を感じる」
「賞賛が遅い」
「過去の行動に今から賞賛を送ることが出来るっていうのはゴッホが死後に認められたことからもわかるだろ? 頼むからこの身近に迫るサスペンスに震えてくれよ」
 同居人は僕を愛おしそうに見つめながら、またしても途方に暮れていた。
 僕達には確実に温度差があった。確かに何かはこれからも起こるだろうし、僕達の間では確かに大事件なのかもしれないが、僕は殆ど熱を失っていた。だって、どうでもいいのである。意識してしまったら負けだ。それに、ここのアパートのセキュリティはちゃんとしているのだから針金くらいでどうなるということもないだろう。実際僕はついこの間、ピッキング不可能な扉に対して絶望し、自殺まで目論んだくらいなのだ。
「監視カメラでもつけるべきかな」
「まあ、君の気が済むならそうしたほうがいいんじゃない」
「いつも家にいるのは君だから、君が気になるならそうした方がいいかな」
「僕は別にどうでもいいけどね」
「殺されるかもしれないだろ」
「別に構わない」
 どうせぶち壊れているのである。今更のお話だ。
「やめてよ、そういう言い方」
「……なんで」
「嫌なの」
 それなのに君は、どう足掻いても僕を許すと決めた時から、こういう話をすると酷く哀しそうな顔をする。合わないな、と思う。釣り合わないのだ。同居人とは。僕は同居人といるべきではないのだろうし、同居人は言わずもがな僕と一緒にいるべきではないのだろう。
 けれど、ぶち壊れた僕をただ一人待っていてくれたのも同居人なのだった。僕は思い出す。大学をやめた僕はアルバイトという身分ながらも働いていて、妹ちゃんと二人になった家に生活費を入れていた。
 僕は夜間のアルバイトしか受からずに、昼間大学に行く妹ちゃんとは入れ違いになる生活をしていた。その分、僕と妹ちゃんがうっかり家で鉢合わせてしまうと、戦争だった。戦争といっても、大体は妹ちゃんが仕掛けてくる掃討戦のようなものだ。僕は指を折られた時のように、ただ黙って妹ちゃんの激情を受けていた。
 妹ちゃんは僕が大学をやめたのは一つ下の妹ちゃんを大学にいかせる為である、という美しいけどおよそありえなさそうな思い込みを抱えていたらしい。そんなの馬鹿げているしナンセンスだった。
 僕は僕の為に大学を辞めたのだ。母親の実家はなかなか裕福で、実を言うと働かなくたって生活費には困らないし、保険金だって結構な額があった。
 働いて生活費を入れる、という行為も僕にとってはまともな人間でいる為に必要だと思っていたからしていただけである。妹ちゃんが気に病むことなんて一つもなかったのに、妹ちゃんはあれでなかなか神経質だったのだ。
「殺してやるから」
 妹ちゃんは料理が上手かった。母親からよく楽しそうに教わっていただけのことはある。その妹ちゃんが包丁を構えたのを見て、僕は妹ちゃんがいよいよ切実であることを知る。料理を大切にする人間にとって、包丁が大事なものであることはわかっていた。少なくとも妹ちゃんにとっては大事なものだったはずだ。それを僕なんかに向けるということは、多分、そういうことなのだろう。
「ごめんね」
「謝るな」
「ごめんね」
「出ていけ」
「うん」
「出ていけ! 私とお母さんと、お父さんの家から出ていけ!」
 妹ちゃんは泣いていただろうか。覚えていない。実際に僕は命の危険を感じていたのである。殆ど何も持たずに転がるように飛び出していくことになったのもその所為だ。あのままあの場所に留まっていたら、きっと妹ちゃんは僕か自分を刺していただろう。あの包丁は、母親が使っていたものだ。
 もうあの家には帰れないと思った。あのまま僕が妹ちゃんの傍に居れば、妹ちゃんはいつか必ず崩壊してしまう。まったく、同居人のやったことは随分な余波を残してくれたものだ。けれど、妹ちゃんが事の真相を知ることはきっと一生ない。
 行くところはなかった。財布の中には六千円程度しか入っておらず、自分の口座にも、成人男性の預金の額にはあるまじき数字しか記されていない。家にいても外に出ても命の危険性がある。それなら、妹ちゃんを犯罪者にしない為に外で野垂れ死ぬのもいいかもしれない。上手い具合に今は冬だし、きっとこの冬一番の冷え込みだ。
 どうしてこうなってしまったのかは結局わからないままである。妹ちゃんと和解する方法とか、同居人と和解する方法とか、大学を辞めずに済む方法とか。基本的に僕の心持一つで何かが変わったかもしれない物達だ。
 それでも、物事にはタイミングというものがある。
 どれだけ後でああだこうだ思ったとしても、こうなってしまったことに対して何を言っても無駄なのだ。
 というわけで、僕は半ば全てを諦めきっていた。妹ちゃんや同居人、もしくは死に際の母親がしたのとは違った方向でだけれど。
 吐く息だけは白くて嫌になった。これじゃあ全ての物事に理由を付けたがっている可哀想な人間みたいだ。一体誰が決めたものが罪だと咎められるのだろうか。誰一人法なんか犯しちゃいない。一体誰が誰に償いをすればいいのだろう?
 前述の通り、寒い日だった。震えながら僕を待っているのを見て、僕は受験以外にはおよそ使わないであろうと、たかを括っていた知識を思い出す。……カノッサの屈辱、だっけ? あの、法王か誰かを怒らせてしまった皇帝が三日間くらい雪の中で許して貰えるまで立ってたという、アレである。
 同居人の立ち姿はまさにそれを彷彿とさせた。恋人を待っている可愛らしい女の子の姿でもなければ、退屈な講義をやり過ごす学生の姿でもなかった。はっきり言ってしまえば、同居人の立ち姿は随分屈辱的だったのである。きっとあの女はそんなことを認めやしないだろうけれど、同居人は寒気がする程切実だった。面倒臭いことも、面倒臭い男も嫌いなはずだ。ましてや、僕であるならば。
 罪悪感なのか責任感なのか惰性なのか、精々その三つと擦り合わせて同居人の在り方を観察してやろうと思っていたのに、そのどれとも違う。同居人は僕がいないと生きていけないんだというような、真摯な姿をしていた。屈辱的な姿だった。件の歴史用語との共通項は簡単に見つかる。同居人も皇帝も、どうしたって許して欲しかったのである。
「待ってたよ」
 
(つづく)

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斜線堂侑李(Syasendo Yuri)

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