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売られる戦場買う人でなし 11 斜線堂侑李

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「……壊されても痛くもかゆくもないって……壊したら修理費用は君に請求することになるじゃない?」
「え? マジ?」
「マジだよ……。どうせ払えないでしょ……やめてよ……」
 痛いところを突かれた。確かに払えない。同居人はそういうところに甘い人間だからてっきり赦して貰えるものかと思っていた。けれど、声のトーンがマジだし、テンションも見るからに下がっている。このままだと本当に請求されかねない。さっきは扉から不穏な音が聞こえたわけだし……。その修理代を盾に身体を要求されたりなんかした日には目も当てられない。
「……ご、ごめん。もう叩かないから。ね、お互い冷静になろう。な? このまま扉が壊れたら修理費用痛いだろ?」
「う、うん……」
「これ以上叩くなら壊れた時の修理費用は君持ちだからな。わかったか?」
 無理矢理な方向で話を持っていくと、観念したように同居人が黙った。さっきまでの熱が嘘のように冷めていく。同居人が床にへたり込む音がした。
「だってぇ……まさか、そこまで拒否されるなんて思わなかったから……」
「常識的に考えて、嫁入り前の女の子が男の浴室に入ってくるなよ……」
「もう女の子って歳かなぁー」
「君はいつだって女の子だよー。ちょう可愛いよー」
「えへへー」
 頭の浮いた会話なのに、交わしている相手の顔も僕の顔も完全に真顔なのが手に取るようにわかる。同居人は不本意だし、僕は疲弊している。これが本物の旅行じゃなくてよかった。本物の旅行だったら大惨事だ。
「でも、本当に悪意は無かったんだ。あの、本当……。私、旅行だから」
「旅行だから何? 逃げ出せないように相手を散々脅して浴室で籠城戦演じさせようとしたわけ?」
「温泉だからお背中流しますとか、やりたかったんだよぉ……」
「そういうの本当いいから。気持ちだけ受け取っておくから」
 僕が本気で嫌がっているのがようやく伝わったのだろう。後ろに見え隠れする惨劇の匂いも嗅ぎ取ってくれたのかもしれない。物凄く不本意そうな顔をして、同居人がようやく引き下がった。
「うん、それでいい。ありがとう。楽しいよ、温泉旅行楽しい」
「……ちなみに今日は温泉の素を入れてあるので我が家も本気で温泉なわけです」
「はあ、どうも」
「それじゃあ楽しんでね」
 憮然とした表情のまま、同居人がそう言い放つ。
「あのさ、」
 浴室から顔だけ出して、同居人の背にそう言った。続きは言うまでもなかった。振り返らずに同居人が僕に言う。
「だって私には、これくらいしかないんだもん」
 
 こんなに長く風呂に入ったのは久しぶりだった。頭の中がぐるぐるする。温泉の素と宣った割に風呂の水は綺麗な桜色で、恐らく入浴剤は須らく『温泉の素』と呼んでいるのだろうなぁと思う。いよいよ家庭的じゃねえか。どうせならこれからはエモリカを買ってもらおう。
 こんなに長くファンシーな風呂に浸かる羽目になったのは、どう考えても同居人の言葉が原因だった。「私にはこれしかないんだもん」? ……どういうことだろう。肉体的な魅力しかないってことなのか、それとも肉体しか価値がないってこと? どう足掻いても暗いお話だ。
 同居人のことが最近特によくわからない。女心は元より読めない方だったけど、今回は特に酷いような気がする。
 風呂に入ることでなんかとてつもない奇跡が起こるとか、そういう突飛な事実を持ち出さないと理解出来ない。
「……ノイローゼかな、とうとう」
 僕は同居人の精神衛生を危ぶみながら、ピンク色のお湯に沈んでいった。間違いなく原因は僕だけど、僕を作ったのは同居人で、拾って養っているのも同居人だ。自業自得だよな、とやや乱雑で、自己嫌悪に陥りそうな考えに思い至る。やっぱりこの生活は精神衛生に良くない。お互いに。
 喧嘩両成敗、という言葉が頭に浮かんだ。誰に成敗されているのかわからないまま、僕達は仮想の江ノ島で気まずさを消費する。
 
 長めの風呂から上がると、もう既に晩御飯の用意が出来ていた。
 同居人は先程の宣言通りピザを注文したようだ。独特で食欲をそそるジャンキーな臭いがあたりに立ち込めている。特別ピザが好きとかチーズがないと生きていけないとかそういうことは無いんだけれど、どうしてだかピザはたまに食べたくなるから不思議だ。
「あ、おかえりー。いいお湯だった?」
 お皿を綺麗に並べながら、同居人が楽しそうに言った。切り替えの早さは長所だよ、と自分に言い聞かせながら席に着く。
「ピザ勝手に頼んじゃったけど、エビマヨで良かったよね?」
「あ、うん。エビマヨ好きだよ」
「よかったよかった」
 そう言いながら、同居人はオーロラソースのたっぷりかかったピザの一切れを僕の皿に載せてくれた。料理の時には見られない起用さが伺える、慣れた手つきである。同居人もやはり人の子なので、不意にジャンキーなものが食べたくなる時がある。そして、その周期は奇遇にも僕と同じなのだ。だから僕らは二、三ヶ月に一度決まってピザを食べていた。これはその時の名残だ。
「どうしたの? そんなまじまじと見て。私の取った一切れの方が大きいとかそういう話?」
「いや、そういうわけじゃない」
 否定したというのに、同居人はさっさと皿ごと僕のピザを自分のピザを取り替えてしまった。少女趣味な皿に乗った、先ほどよりは大きく見えなくもないピザを見る。……いや、これ本当に大きいのか? むしろさっきより小さくないか? けれど、同居人が交換したピザを前に満足げにニコニコしているので、もう何もかも気にしないことにした。
「それじゃあ、いただきまーす」
「いただきます」
「あ、ビールもあるけど」
「それももらう」
 同居人が手渡してきた缶ビールは、若干温かった。恵んでもらう立場なので文句は言わないが、少しだけがっかりした。同居人が手にしているのは可愛らしいカシスオレンジの缶だった。甘いお酒しか飲めないのだという同居人は、いつだってそういうわけのわからないフルーティーな代物を選ぶ。カシスオレンジなんか僕は一生飲まないだろうし、同居人はビールなんか一生飲まないだろう。一生かわいくて甘い世界を楽しむのだ。
 プシュ、と缶を開けて、ピザよりも先に一口を飲み下した。癖になる苦みが喉の奥を流れ落ちていく。
「くはぁ」
「働いてなくてもお勤め人みたいな声が出るんだね」
「ほほう、君はここをルビコン川にしたいらしいな?」
「あはは。私、ビールは好きになれないだろうな」
「ビールとかさ、君は一生飲まないんでしょ」
「ところがどっこい、会社の飲み会とかでは普通に飲まされるんだよねー。最初の一杯選べなかったりして」
「えっ」
「意外そうな顔しないでよ。甘いお酒だけじゃ人生を渡っていくことは出来ないんだってば」
 意外なところで人生の厳しさを教え込まれてしまったし、ますます社会に出るのが嫌になってしまった。僕はビールが好きだけど、同居人がビールを飲まされる世界の方はあんまり好きじゃない。
「でも、本当に最低限しか飲まないから。先っちょだけだから」
「そういう言い方やめろ」
「ビールって量こなせば美味しくなるって言うけど、その美味しくなるまでを我慢するのが難しいんだよね。深く知れば好きになれるかもしれないけど、それまで一緒にいるのが苦痛、みたいな? 人間関係つぽーい、人間関係の妙みたーい」
「その逆もあるけどな。知れば知るほど嫌いになっていく。ファーストインプレッションだけならおとぎ話だったのにって」
「……おとぎ話が好きだった経験はあるの?」
「狼が腹を割かれて石を詰められるシーンが好きで、何度も何度も読み返してた」
 同居人は何も返さずに、無言でピザを頬張った。小さな口に限界まで食べ物を詰め込もうとするので、ピザからはチーズがボロボロドロドロとこぼれていく。美味しいところが殆ど剥げてしまったピザを食べながら、それでも同居人は「うん、美味しい」と笑った。
「ほら、食べなよ。ビールだけじゃなくてさ」
「猫舌だから」
「ふーふーすれば大丈夫だよ。して欲しいの?」
「いらない」
「ほら、私のことは仲居さんだと思ってくれていいわけだからさ」
「そんなことしてくれる仲居さんはいない。それはデリヘルだ」
 本当にふーふーされてしまう前に、僕はビールの缶をテーブルに置いた。同居人の二の舞にならないようにピザを半分に折り畳んでから口に運ぶ。生地と生地との間に挟まれた海老が、ぷちりと籠もった音を立てる。申し分なく美味しかった。この絶妙に甘いオーロラソースだけをべろべろ舐め取りたい。
「美味しい?」
「そりゃあ、ピザが不味いっていうのはあんまりないからな」
「そうかな。エビマヨ以外あんまり食べない癖に」
「訂正する。エビマヨピザが不味いっていうのはあんまりないからな」
「それは何より。エビ達もエビ冥利に尽きてるだろうね」
「それにしても、温泉旅行設定でピザは無いだろ。明らかにミスチョイスだ」
「でも、ピザ食べたかったんだもん。そういう時期あるでしょ?」
「それはある」
 タイミングを見透かされたようで少し気まずい。夫婦じゃあるまいし。まだ一緒に暮らし始めて一年と少ししか経っていないのに、すっかり世界を共有し尽くしてしまった感じがある。よくない傾向だ。同居人がどう思ってるかは知らないが、少なくとも喜ばしくはない。
「そもそもここは江ノ島でも熱海でもないでしょ」
「お前が言うか」
「まあ、気分だけ気分だけ。ほら、もう一切れあげる」
「……ありがとう」
 同居人の手から離れたピザは具が剥がれることもチーズが落ちることもなく綺麗に僕の皿に着地した。その器用さが自分で食べる時にも発揮されればいいのに、と思う。
「それにしても、何なんだ? 悪夢でも見た? 悔い改めないと地獄に堕ちるって振興宗教のおばちゃんに脅された? 絶対無いと思うけど、僕の妹ちゃんに何か言われた?」
「何なんだ、とは何なんだってやつだよ」
「だっておかしいじゃないか。ああ、もしかして献血出来なかったことを未だに悔やんでるんだと思われてる? 大丈夫だよ。自己肯定感には相変わらず乏しいけど、世の中には献血の際にすら必要とされないこと以上に酷いことで満ちてるってようやく覚えてきたし」
「え、だから何だって?」
「大事なところだけ難聴になるのやめろよ。だから、どうしてここまで僕のご機嫌取ろうとしてるのってことだよ」
 同居人がポカンとした顔をして、またピザの具を落とした。同居人の皿の上には具が山を作っていて、そのまま食べたらきっととんでもなく美味しいだろうなと思わせる。
「別にご機嫌取ろうとはしてないよ」
「まあ、そうかもな。別に僕は今別に楽しくないし」
「ピザは美味しいでしょ?」
「美味しい。でも、美味しいっていうのが楽しいってことかって言われると違うだろ」
「そうかなぁ」
 同居人が小首を傾げて楽しそうに笑った。具の殆ど載っていないピザを食む。それを見て無性に腹が立った。タネが割れている手品を延々と見せられれば、子供だってキレるのだ。居候の臑齧りのヒモ野郎も然り。
 けれど、同居人は笑顔を崩さなかった。随分好戦的な笑顔だった。
「折角当たった温泉旅行、フイにしたら勿体ないでしょ。だって、もう二度と当たらないかもしれないんだよ。一生に一度のことなら、少しくらい許してもらえないかな。私、江ノ島行ってみたかったんだ」
 ライターの音が蘇る。
 反論はいくらでも思いついた。この行為だって十分不毛な行為だ。温泉旅行は結局現在進行形で無駄になっている。当たった温泉旅行の行き先は熱海で江ノ島じゃない。ついでに言うならここだって江ノ島じゃない。都会の真ん中海も見えないさもしいアパートメントだ。温泉旅行にピザは出ないし、今回ばかりは同居人がおかしい。
 返答を待っている間だ、同居人は具のないピザを食べ続けていた。ピザソースまみれのそれを無造作に口に運んでいるのに、口元は一ミリたりとも汚れない。
「……もういい」
「あ、そう? それならよかった。ねえ、このピザ食べきれるかなぁ。もしアレなら冷凍したいんだけど、出来るかなぁ」
「ああうん、ググる。ググってやっておくから」
「あ、そう? ありがとう」
 結局捨てることになるんだろうなぁ、と思いながら適当に返事をした。明日になれば同居人は日常に戻る。こんな茶番劇なんて今日限りだ。それならもういい。ピザが美味しい。それでいい。
 同居人が三枚目のピザに手を出した。具の山が更に高く築かれる。
 
 その後の食事は概ね滞りなく進んだ。同居人は殆ど具を食べないまま食事を終了し、あまつさえ更に大量に築かれた具の山をそのままダストシュートしようとしたので慌てて止めた。
「僕が食べるから! ちょっと待て!」
「何? これ食べたいの? 具だけ食べたいなんて子供みたいだなぁ」
 同居人が笑うけれど、そんなことは構っていられなかった。尊厳よりも無惨に捨てられそうになっているエビの方が重要だった。
「間接キスだね」
 具だけをかき込む僕の横で、同居人が真顔で言った。危うくエビが喉に詰まって死ぬところだった。
 ピザは結局冷凍せずに、テーブルの上に布を掛けて置いておくことにした。明日同居人が仕事に行った後にでも食べることにしよう。
 
(つづく)

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斜線堂侑李(Syasendo Yuri)

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