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売られる戦場買う人でなし 9 斜線堂侑李

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「差し当たっては、僕がお前に料理をさせようとしてしまったことだ」
 僕は心底面倒臭がりながら立ち上がり、同居人に近寄る。そして、どうにかさりげなく、同居人の手から包丁を抜き取った。人参の皮がべっとりとついている。人参って何でこんなに綺麗な色をしてるんだろうね?
 同居人はきょとんとした顔で僕を見ている。僕にこのまま刺し殺されることなんて一切想定していない顔だ。それは信頼と呼ぶにはあまりにお粗末だから、どう崩してやろうか迷う。
「……包丁」
「何?」
「いや……」
 同居人が困っている。包丁を取られてしまったら何も出来ないと思っているのだ。切ることだけが料理じゃないのに、同居人の料理の括りはあまりに狭い。
「渡さないよ、これは」
「ええ……」
「当面は没収だ。今日はもういいでしょ?」
 別に刺すとか刺されるとかそういう昼ドラめいた展開を予想したわけじゃない。同居人は料理に関しては奇跡の人なので、うっかり転んで僕に包丁をぶっ刺してしまう可能性を考えたのである。
 悪意が無くても悲劇は起こる。
 そういう風に出来ている。
「とりあえず、ここからは僕がやるから。ここから君がどうやろうと、絶対に食べ物は生まれないよ。泥を練っていたらいつの日かパンになるかもしれない、って信じ続けて練るなんて馬鹿げてるし困る」
「でも、トマトとかは生でも食べられるんだし」
「それを知っていながらどうして悲劇を食い止められなかったんだよ」
「包丁一つでは語り尽くせないことが世の中には沢山あるってことに遅ればせながら気が付いたんだよ」
 同居人は今でも素敵な人間だ。でも、あの頃のような輝きはもう無い。同居人と僕の間にあった感情も多分もう無い。僕達を繋ぎとめているのは偏にあの罪だけなのだ。タイミングが悪かった。それだけの話だ。
「あと、このゴミの山は捨てるぞ」
「捨てちゃうの? 勿体ない」
「いいじゃん。お金ならあるんだろ」
 何しろこんな不良債権を抱えても悠々と暮らしてしまえるくらいには。同居人が黙る。否定しないそのお育ちの良さが疎ましい。困窮してしまえば良いのに。料理が壊滅的に下手な癖に家政婦すら雇わずにのうのうと僕を抱えて暮らしているしっぺ返しを、いつかどこかで受ければいいのに。躊躇いなく僕は生ゴミ入れに野菜を放り込む。すぐにいっぱいになってしまった。
「残ったもので何作れる?」
「よくわかんないけど全部切ってコンソメで煮込めばいけそうだろ。そもそも、これ何作ろうと思ってたんだよ」
「……何だろう。何でもいいから作ろうと必死だったんだよ」
「楽にいこうじゃないか。必死になったからって上手くいく訳じゃない」
 社会復帰然り。
 僕は残った食材を見渡す。よく使っていた大きい鍋はどうしたことか完全に焦げ付いてしまっているから、小鍋を使うしかない。下手な好奇心と義侠心は猫じゃなくて鍋を殺した。……困ったことだ。
 実を言うと、ここから僕がお昼ご飯を作り始めることは、取り返しのつかないものなんか全て放り出して新しく一から創り出せてしまうことを証明してしまっているようで怖かった。
 だって、同居人の目は今まさに輝いている。いっそのこと、これすらも今から全部ぶち壊してやろうか、と一瞬だけ思った。けれど、如何せん僕は腹が減っているのである。空腹は全てのメタファーよりも優先される。面倒な暗示なんてすべて無視して、僕は新しい人参に包丁を入れた。ざくり、と赤い音が響く。
 最高に平和なお昼時だった。
 
 
5、モテナス
 
 不慮の幸運。あるいは不慮の不幸。
 どっちと呼んでいいか迷った。『ショッピングモールのガラガラ福引きで当てた熱海への温泉旅行チケット二名様分一泊二日チケット』なんて、殆どファンタジーのようなものを同居人が持ち出してくるなんて、どう分類していいものか迷う。同居人の目はキラキラ輝いて眩しいくらいだけど、それに比例して僕の目が死んでいくのがわかった。同居人がカラフルなチケットを僕の鼻先に突きつけながら叫ぶ。
「行こう!」
「嫌だ! 絶対に外になんか出ない!」
「ドライブにも献血にも行く癖に!」
「献血は承認欲求を満たしたくなったからだっつーの! 温泉旅行の何が僕の承認欲求を満たしてくれるんだよ! 大体僕と違って君は明日も健やかに会社なんだろ!」
「もし君が一緒に行ってくれるなら有給とっちゃおうかな、なんて」
「働け!」
「有給だって言ってんでしょ!」
 ぎゃあぎゃあと喚いている間中、ファンタスティックなチケットが鼻先で舞い続けていて、どうにも精神衛生によろしくなかった。くらくらする。僕と同居人と温泉旅行を繋ぐ線の高低差が大きすぎて、耳がキーンとなっているみたいだった。ぴょこぴょこ兎のように跳ねる同居人が、尚更鬱陶しい。
「ねえいいでしょ! ねえ! ね! いいじゃん! ね!」
「いいか、そんなものに行くくらいならもう僕はここから一生出ない方がマシだ」
 強めな口調で言い放つ。同居人と温泉旅行なんて、控えめに言っても冗談じゃなかった。どう足掻いてもそんな未来が想像できない。それは同居人だって冷静に考えたらわかるはずなのに。
 それなのに同居人の対応は、少しも冷静なものじゃなかった。
「……あーあ。そういうこと言っちゃうんだ。私がこんなにいいことがあっても、君はそれを、拒否しちゃうんだね……」
 同居人がつまらなそうに呟く。ややおかしな傾向だ。いつもの同居人なら僕の言葉には素直に頷くはずなのに。まあ理由は概ねわかっている。くじ引きの当選と言う非日常的な幸運が、同居人の日常を狂わせているのだ。異常が狂うというのは即ち正常に戻ってしまうということ。マイナス×マイナスの原理。同居人は僕のことを、温泉旅行にルンルンで行っちゃうような普通の男だと勘違いしてしまっている。
 というか、本当に同居人は僕が喜んで温泉旅行なんかに行っちゃうと思っていたのだろうか。なんていうかそれは、うん、凄く、面白い。爆笑必死の事例かもしれない。ここは笑うべきタイミングだぞ、という心の声に従って、僕はそのまま同居人を指さして思いっ切りギャハハと笑った。久しぶりにこんなに楽しい笑い声をあげた。
「あれ? もしかして怒った? 怒った? マジで?」
 いつもならポーズだけでも拗ねてみせる同居人が断固として黙っていたので、僕は少し不安になる。やけに陽気で要らない言葉まで発してしまった。口の中がさりげなく乾いていく。
「怒ってないよ」
 同居人は薄い笑顔を浮かべてそう言った。これっぽっちも誠意が感じられない笑顔だった。息を飲む。同居人は二、三秒じっと僕を見つめると、そのまま奥へ引っ込んだ。どうした? と思うよりも早く、同居人は戻ってきた。新聞紙とサラダ油、それにさっきのチケットを大事に握りしめている。
「あの、」
 パサリ、と僕の声を無視するように新聞紙の束が床に投げられた。そして同居人はそのまま、少しの躊躇いも無く新聞紙の束に向かってサラダ油を、どばぁとぶちまけた。びちゃびちゃびちゃと穏やかじゃない音がして、新聞紙と床が濡れていく。僕の足にも油がかかった。ぞっとする感触だった。
「断られても仕方ないよね。それじゃ、これ、要らないよね」
 そう言うと同居人はどこからかライターを取り出し、おもむろにチケットに火を点けた。よく乾いた素敵な紙質なのだろう。チケットには、あっさり火が点いた。
「ぎゃ――――――!」
 同居人は何の躊躇いもなくチケットから手を離そうとする。指の根元から同居人の手をがっちり掴み、そのまま後退させた。じりじりと、油のかかった新聞紙から同居人を離し、壁に押し付けてチケットを奪い取った。綺麗なフローリングに落ちたチケットをそのまま素足でバンバンと踏み潰す。
 壁に押し付けられた同居人は不本意極まりなさそうな顔でこちらを睨んでいた。何をするんですか? とその目が言っている。何をするんですか? じゃねえよ。焼身自殺なんて、僕が一番避けたいルートだ。
「……これ、アレだね。今流行りの壁ドン? だね?」
 媚びた言葉で様子を伺うも、同居人の目は未だに床に落ちた新聞紙に注がれている。隙あらば燃やす方向でいきたいのだろう。手の中ではカチカチとライターの蓋を開け閉めする音が聞こえている!
「要らないものは積極的に燃やしていかないといけないよね。スペースだって無限にあるわけじゃないんだし」
「温泉旅行の引換券の部屋占有率何パーセントだと認識してるの?」
「私ちょっと浮かれちゃってたよね」
「浮かれててもいいよ! 喜ばしいことだよ! ごめんね! 喜ばしいことだから! 本当ごめんね!」
「行きたくないんでしょ? 温泉旅行」
「行きたくなくはない! そういう普通に幸せそうな生活送ってみたい!」
 足の裏の火傷の具合を気にしながら、僕は慎重に言葉を選んだ。
「でも、まだそういうアレで外に出られるほどは回復してはない……いや本当。君にそうやって悪意のある嘘を吐くつもりもないし……働こうって思えるくらいになっただけでも僕にとっては凄い進歩っていうか……だから、うん」
 予想外に慌てた反応を返してしまった。僕らしくもない。……いや、目の前で火を点けられたら流石にああいう反応になるか。そうだよな。うん。柄にもなく同居人のご機嫌をうかがうような態度を取ってしまう。本当に遺憾だ。遺憾だけど、次に何を言うかでひやひやしてしょうがない。
「……そうか、そうだよね。無理言っちゃってごめんね」
 同居人が憑き物の落ちたような顔でそう呟く。視線が新聞紙からこちらに移って安心した。そう、それでいい。
「こんなことないだろうなって思ってたからはしゃぎすぎちゃった。不覚」
「まあ、そうそうあることじゃないよね。僕レベルの人間不信になると、絶対に当たりは抽選機から抜いてあるだろうって思い込んでるし。あ、でもこれ人間っていうよりは世間不信かな?」
 そもそも、白以外の色があのガラポンの中に搭載されているかも怪しんでいる。僕にはいつだって飴以外が回ってこないのだ。
「勿体ないよね」
「まあ、勿体なくはあるよな」
 そんな世間不信の僕だからこそ、勿体ないというには深く同意だった。
 しかし、選りにもよって同居人が引き当てるだなんて、神様はブラックジョークがお好き過ぎる。もしくは、僕達の事情をリサーチ済みだったショッピングモールの人間が故意に同居人へ温泉旅行を当たらせたのかも。……想像すればするほどストーリーがきな臭い感じになってくるし、社会への疑心暗鬼が止まらなくからここらでやめておこう。
 同居人が日頃いい子だったから当たったんだ。
 同居人の運がとてもよかっただけだ。うん、大丈夫。
「じゃあ、こうしよう」
 不意に同居人がそう言った。さっきまでの表情とはうって変わって、晴れやかで楽しそうで、神様に愛されそうな顔だった。嫌な予感がする。
「どうしよう?」
「ここで温泉旅行をしよう」
 トチ狂ったのかと思った。
「トチ狂ったのかと思った」
「そのまま言わないでよ。せめてもう少しオブラートに包むとかさぁ……」
「オブラートに包んだら伝わらないかと思ったんだ」
「別におかしくなったわけじゃないよ。ただ、温泉旅行はしたい、でも君の負担にはなりたくない。だから、ここでその楽しさを味わってもらえたらなって」
「……はぁ」
 同居人が、楽しそうに僕の手を掬い取る。ふわふわとしてぼんやりとした熱を、久しぶりに感じた。付き合っていた時には度々感じていたはずの熱。
「私に、君をもてなさせてよ」
 切実すぎるお願いだった。思わず思い切り手を払いのける。傷ついた顔一つ見せずに、同居人はにこにこと笑いながら言った。
「ね、そうすればいいんだよ。ね? いつもお世話になってるから、私にそのお礼をさせて欲しいんだ」
「……ああ? いや、お世話になっては……ないだろ」
「最近はペットにも感謝する日があるっていうのに、そういう謙遜はよくないよ」
「僕は自分をペットにまで成り下げたくないわけ。それなら害虫でいいの」
「大丈夫大丈夫。君は楽しんでくれるだけでいいから!」
「何にも大丈夫じゃないんだけど!」
「絶対にここを江ノ島の旅館だと思わせてみせる」
「当たったの熱海の旅館じゃないの?」
「いいからいいから! あ、じゃあ今から私は仲居さんね! ほらほら、おもてなしするから一回外出て!」
「えっ、え、マジで?」
「玄関から一歩出るだけでいいから!」
 同居人が容赦なく僕を押し出す。旅行鞄も何も持っていない手ぶら状態だけれど、リアリティの点は大丈夫なんだろうか。この時点で、僕の気分を温泉旅行にシフトさせるのは至難の業のような気がするのだけれど、同居人はそんなことを少しも気にせずあっさりと僕を追い出してしまった。
「それじゃあ心構えが出来たら入ってきてね!」
 同居人のその言葉と共に、さっきはチケットを突きつけられた鼻先で扉が閉まる。
 ああ、大分あっさりと玄関から外に出てしまった。同居人と一緒なわけでも、同居人と喧嘩したわけでも、なんかふと献血なんかをしてみようかと思い当たったわけでもないのに…………案外外に出る為のハードル低いな。最近特に低いな? それってつまり……どういうことだろう。
 
(つづく)

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斜線堂侑李(Syasendo Yuri)

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