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売られる戦場買う人でなし 7 斜線堂侑李

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 そういうわけで、同居人には是非料理を覚えて欲しいと思っている。上手くなくていいから、どうぞ戦場を生み出さないレベルまで。いつかまともになる為に。
 そう考えると、同居人は小さくも大いなる一歩を踏み出したわけだ。その大いなる一歩に対して僕がどれだけ枷になっているかわかっているから、純粋に賞賛を送ってやれそうだ。
「ねえ、何だか黒くなっていくよ」
 同居人の途方に暮れた声がする。
「何が? 未来が?」
「全部だよ、全部」
 いつかの同居人の結婚式には真っ白なスーツで行ってやろうかなぁと思っている。別にウエディングドレスを着た美しい同居人を名作映画よろしく攫ってやろうと思っているわけじゃない。ただ、それを見た瞬間の同居人の反応を面白がってやりたい。だって、同居人の結婚式に招待される、だなんて最高に悪趣味なジョークだ。そんな真似をされたら、こちらも最上の悪趣味で応じなくちゃいけない。まあ、実際は参加不参加の意志すら返送出来ずにベッドで震えていることにもなりそうだけど。
 こんな展望を語った後では尚更悪い冗談に思われるかもしれないけれど、実を言ってしまえば僕と同居人は昔恋人だったことがある。何の事情も知らない人間から見れば、同居人と僕は今でも恋人に見えるのかもしれない。何せ、年頃の男女が一つ屋根の下で暮らしているのだし。加えて同居人は僕がねだれば性欲処理くらいなら余裕でしてくれちゃうような女の子なのだ。
 けれど、今はもうそういう間柄じゃない。
 少なくとも、僕と同居人は恋愛という関係で括れる間柄じゃない。
 エプロン姿で跳ねる同居人は、僕と付き合っていた頃と変わらないようにも見えた。
 変わってしまったのは関係だけなのだ。同居人はどうも、僕自身も今となっては変わってしまったように感じているようだけれど、そんなことはない。
 タイミングの問題だった。
 関係性の問題だった。
 
 大学生の頃、同居人はとても面倒な女の子で、可愛らしい女の子だった。自分の面倒さを可愛らしさで包み、誰からも愛される女の子だった。僕の視界を自分で満たさなくちゃ、我慢のならない子だった。
 思い出す同居人は本を読んでいる僕の頬を突き、いつだって悪戯っぽく笑っている。
「そういうのやめろ、正直面倒」
「景ちゃんが構ってくれないからじゃないですか」
「それならお前はどうして僕と付き合ってるの? 僕は元よりそこまで社交的な人間じゃないんだけど」
「景ちゃんの顔が良いからですかね……」
 同居人は目を細めながらそう言った。茶化しているような雰囲気を醸し出しているけれど、本気であることは何となく察せられた。同居人はこういうところで嘘を吐くのが苦手なのである。正直者が最上の美徳であろうというお伽噺譲りの擦り込みにやられちゃっているのだろう。
「だって、格好いい人ってあんまりいないんだよ? 世の中を見てみなよ。皆何処か欠けてるんだよ。完璧に理想の相手なんて殆どいないの。だから、私は恋人選びの時には何処か譲れないところを一つ決めて、残りの部分は出来るだけ妥協と許容をすべきだと思ってるの。私が譲れないのは外見だったから、それ以外のところは全然許容出来ちゃうの。全く以てオールオッケーってわけ」
 同居人は僕の顔がどんどん苦々しくなっていっていることにようやく気がついたらしい。
「それでも私が君と一緒に居ることに、実をいうと妥協なんてちっともないんだ。景ちゃんは素晴らしいと思うよ。真面目だし、堅実だし、実直だし」
「それは殆ど同じ美点だと思う」
「いいんだよ。私は景ちゃんが好きなんだからさ」
 同居人が甘えた声を出して僕に擦り寄る。
 僕は同居人を十分に赦せていたのだと思う。何様だと思われるかもしれないけれど、本当に的確で素直に答えるなら、僕は確かに同居人を赦せていたのだ。僕の人間関係というのはとにかく許容から始まっていた。同居人は恋人として僕の傍にいても許容できるような女の子だった。それどころか、僕にはあの時点での僕でさえ、同居人には釣り合わないくらい、素敵な子だったと思う。
 同居人は悪戯をするのが好きだった。今はもう絶対にそんなことをしないだろうけれど、課題に集中して同居人をほったらかす僕の靴紐を解いてやるとか、僕の背後からいきなりクラッカーを鳴らしてみせるとか、そういう悪戯をしては僕の気を引こうとした。多分、世間一般からすれば可愛らしい茶目っ気に分類されるであろう悪戯の数々。僕はそれを受け止め、たまに苛立ち、極稀に愛しいと思った。
 あとは、例えば、物を隠した。
 ペンケースの中の青ペンだとか、講義のノートだったりとか、もしくは辞書だったりとか。そういうものを同居人はこっそり隠して、あとで気が付いた僕の前でふふんと何故か得意げに笑ってみせるのだった。僕は溜息を吐いて、同居人と一緒に隠し場所までわざわざ隠されたものを取りに行った。これが、『物を隠す』悪戯のおおまかな流れだ。
 何回も何回も物を隠され、何回も何回も探しに行った。……とんだ茶番! 大概の場合僕が気が付くのは隠されてから随分後になってからで、悪戯のことをうっかり忘れていた同居人が慌てて僕の『失くし物』に顔を青くすることもあった。チャーミングなエピソードである。
 だから、いつものことだった。茶番とはいえども、台本のちゃんと用意された代物なのだから、何のイレギュラーも介入しないはずだった。同居人は僕に構って欲しかった。それだけの話。でも、悪いことというのは本人の意志とは無関係の場所で起こる。
 ある日、同居人はいつものように僕に悪戯を仕掛けた。僕はもう半ば慣れきってしまっていて、同居人の動向に全く気を配らず、その日の夜中が締切であるレポートに取り組んでいた。図書館に来るといつもそうだった。同居人は活字にさほど興味がなかったのである。
 僕はある程度まで真面目で、呆れる程凡庸だったから、世間なんかに目を向けずに紙の上だけの経済論を弄ぶことに必死だった。だから、同居人がこっそり僕の鞄から持ち物を抜き取って、はるばる遠くの棟の無料ロッカーに隠しにいったことなんか気が付かなかった。
 ささやかなサプライズを仕掛けた同居人は大嫌いな図書館にいるのにも関わらずご機嫌で、僕の横で落書きをしたり、持ち込んだ漫画を読んだりしていた。あとで儀式的な茶番が行われることがわかっていれば、同居人はどれだけ僕にほったらかされても、全然平気なのだった。
「……お前はレポートないの?」
「私は景ちゃんと違って要領いいですから」
「要領がいいとか悪いとか何だか不公平に感じるの何でだろうな。お前にもいつかしっぺ返しがくればいいのにって思ってるよ」
「喋ってる暇があるならさくさく書きなよ。私暇なんだよー?」
 同居人は可愛らしく頬を膨らませてそう言った。口の端に隠し切れない笑み。妙に殊勝で静かな同居人。きっとまた何か隠されたのだろうな、と思いながらレポートに戻った。レポートが書き終わるまでの三時間半の間で、同居人と僕がした会話はそのくらいだった。
「……携帯がない」
 レポートを書き終わって数分後、今回の失くし物はすぐにわかった。現代生活に追われる人間なら、何か一段落したら確認せずにはいられない代物、携帯電話だった。僕は隣でいつの間にか眠ってしまっていた同居人を文字通り叩き起こす。同居人が魚のように跳ねて、恨みがましそうな目で僕を見た。
「いったー……何するの!」
「また人の物勝手に隠しただろ」
「あ、わかった? 私が隠したもの」
「携帯だろ。どこにあるんだ」
 正解、と言いながら同居人が笑った。きっと、これから同居人は僕の手を引いて一緒に探しに行こうとのたまうのだろう。僕は溜息を吐いてそれに従うのだ。いつもの茶番。同居人をほったらかした僕へのささやかなる仕返し。
 でも、今回は少し様子が違った。
「ねえ景ちゃん。私、たまに不安になるの」
「何が」
「……上手くいえないんだけどさ、予想以上に景ちゃんのこと好きで困ってるのかも。でも景ちゃんはなかなか本心が見えにくいっていうか、私ほどわかりやすくないから」
 しおらしい言い方だった。
 でも、ありがちな言葉ではあった。女の子ならこういう風に悩むこともあるんだろうな、と理解出来なくはない凡庸な悩み。
「……不安にさせたならごめん」
 白々しく聞こえてしまったかもしれない。こういうことを言うのに慣れていなかった。
「私、ちょっと一人で携帯取って来るね」
 同居人はそう言って一人で行ってしまった。僕が同居人を追いかけなかったのも、単なるタイミングの問題だった。追えばいいのか待てばいいのか、瞬時に判断が付けられなかったのだ。
 ぬるい言い方をさせて貰えるのなら、僕は同居人が嫌いなわけじゃなかった。世間一般の恋人基準には十分適う程度には同居人のことが好きだったはずだ。
 けれど、同居人にとってはそうじゃなかったのかもしれない、と思う。この大学構内だけでも沢山のカップルがいるだろうし、その中の大半は自分の人生やらを懸けてまで、その相手と一緒にいなくちゃ駄目だと考えている人間じゃないと思っている。学生時代の男女交際なんてそんなものだ。同居人と僕は今の所別れるなんてことを考えたことはなかったけれど、一緒に居る為に『何か』を懸けなくてはいけない場面も確かにあって、それはまさに今なんじゃないか、と思ったのである。
 人が少なくなった図書館内で僕は大きく伸びをする。電源を切ったノートパソコンを寄せて、さっきの同居人がやっていたようにテーブルの上に突っ伏した。眠りのポーズ。同居人がいなくなった図書館は、どうにも居心地が悪かった。
 同居人はなかなか帰ってこなかった。
 珍しく本心を言ってしまって恥ずかしがっているのかもしれないな、と適当に思う。同居人はいつも奔放に振る舞っているようでいて、その奔放さに愛想を尽かされないかいつでもびくびくと怯えている。
 僕は同居人のことをちゃんと好きなのだと、どう伝えればいいのかわからなかった。だって、真っ直ぐに言葉にすることはとても気恥ずかしい。あの頃は僕にはそれなりにくだらないプライドがあって、それを守るのに必死だったわけだ。今の僕なら、自分に何の価値も無いことを逆手にとって、同居人に好きなだけ思うがままにそういうことを伝えてあげられるだろう。肝心の気持ちが入っていないから駄目だろうけれど。
 何かのタイミングがあれば伝えよう、だなんてそんなことを考えていたのだ。本当に。何かのタイミングさえあれば。
 ここまできて、同居人の帰りがやけに遅いことが気になりはじめた。いくら念入りに隠したとはいっても構内だろうし、少し遅すぎるじゃないかと。
 でも、動けなかった。万一入れ違いになってしまったら、携帯電話が無いと合流が難しいからだ。同居人は焦って僕を探しに外に出るかもしれない。携帯電話の所為で僕達の行動は脳髄の中も実際のそれもある意味大きく制限されている。何しろ、僕はそこにメモを残すということも考えつかずに愚直に図書館のテーブルにつっぷしていたのだから。
 僕が携帯電話の恐ろしさについて思いを巡らせ始め、とうとう携帯電話よりも同居人の安否が気になり始めてしまったあたりで、背後に人の気配を感じた。つっぷしていた所為でよく機能しない目を擦り背後を見る。
 同居人が立っていた。僕も慌てて立ち上がる。声をかけてくれよ、という自分の声がかすれていた。
 同居人の顔は蒼白で、彼女の持っていた輝きが一気に褪せてしまったようにも見えた。手には僕の携帯電話が握られていた。
「あ、携帯……」
「……うん」
 同居人が震えた声で返す。
 僕は反射的に、陳腐な愛の言葉を、恋愛関係というものを無様に息づかせるその言葉を言おうとした。携帯電話を差し出す同居人に向かって、取り替えるかのようにその言葉をあげるつもりでいた。
 同居人は、そんなもの少しも欲しくなかったというのに。
 薄々違和感を覚えてはいたから、同居人に向かってそんな言葉を吐いてしまうだなんて愚行は免れた。でももうそういう問題でもないのだった。
 同居人の口から意味のわからない呻きが聞こえた。事情を説明してくれと言っても無駄そうな、切実な呻き。同居人は僕の携帯電話を手に持って、とても真っ直ぐにそれを差し出す。
 流石の僕にも、同居人の様子がいつもと違い過ぎることには気が付いていたし、その原因が単なる色恋の話ではないんだろうということもちゃんと察することが出来た。同居人の手に持たれた携帯電話はいつもと変わらないはずなのに妙に不吉で、受け取るのを躊躇うくらいだった。もっとも、あの場で最も携帯電話をぶち壊してしまいたいと切実に願っていたのは同居人の方だろうけれど。
 携帯電話を受け取り、おもむろに画面を開く。そうして、全てのことに合点がいった。あまりにするりと謎が解けたので、少し笑いそうになったくらいだった。
 同居人はタイミングが悪かった。
 その一言に尽きた。
 僕の携帯電話は僕の心配性を反映して、ちゃんとセキュリティロックが掛けられている。パスワードを入れなければ、中身が見られることは一応無い。けれど、何という仕様だろう。最近の携帯電話は、メールの件名と本文の一部が画面に表示されてしまうのである。
 同居人がこの他愛のない悪戯をいい加減にやめようと携帯電話を取りだした時には、最悪な文字が画面いっぱいに広がっていたというわけだ。一度に表示されていたのは三通。内容はさながらグラデーションのようだった。
『件名 至急連絡ください・お母さんが事故に遭いました お兄ちゃん今どこ、お母さんは』
『件名 お兄ちゃん・はやく連絡ください お母さんが危ない まにあわなくなっち』
『件名 No title・お母さんがお兄ちゃんの名前よんでる わたしどうしたらいい』
 同居人が茫然として画面に出てきた切実なメッセージの欠片たちを見ていた瞬間、また新たにメッセージが加わった。どうやら回線が込み合っていたらしい。三通目と同じく、件名は無し。そして、本文は画面に表示される分だけで終わってしまうくらい簡潔なものだった。
『件名 No title・お母さん死んじゃった』
 
(つづく)

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斜線堂侑李(Syasendo Yuri)

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