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売られる戦場買う人でなし 6 斜線堂侑李

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4、ボンニハカエラズ
 
 そういえば、長らく僕は同居人の仕事を知らなかった。同居人が就職活動をしているのを見る前に僕は大学を辞めてしまったし、同居人に関することで僕にとって大事なことは、同居人が家賃を払うに足る収入を得ているかどうかだけだったので、聞かなかった。
 僕が無職だから気兼ねしているとかそういうことでは断じて無い。興味がなかったのだ。ふわふわとした空気感の関係でいいと思いながら、むしろそうじゃなくちゃいけないと思いながら同居生活を送っていた。
 こういった関係は別に自分達だけの世界なら構わないのに、対外的には奇妙なものに思えるようで、しばしば社会からは勝手なレッテルを貼られる場合がある。
 例えば、こういったことがあった。
「はい」
 思わず手に取った電話は重かった。同居人が同居人になって三ヶ月ほど、元気に毎日を怠惰怠惰で過ごしていた時期の話である。生活ペースは完全に社会生活不適合者のそれなのに、いかんせん鳴り続ける電話を無視できるほど僕は俗世間から離れられていなかったのだ。
 三ヶ月という微妙な案配の時期も悪かったかもしれない。魔のマジックナンバースリー。同居人と暮らし始めてから一月の間は息すらするのが辛かった。二月目は苦しんでいたのが嘘のように慣れて、少しだけ安らいだ。三ヶ月目は退屈だった。何もする気が起きなくて、何もしなくても許されてしまう時期。
 それはまあ、電話くらい取るよなぁ、と。
 電話の向こうの声ははきはきとした声で同居人の名前を呼んだ。沈黙する僕に耐えかねたのか、同居人ですか? と二度聞き返す。社会にちゃんと適応している人間の声だった。聞きやすいし堂々としている。対する僕の声は、いきなり野に放たれた猫の子のような可哀想な声だった。小さく震える声で返す。
「え、あの、い、違います。人違いです」
「え、あの、どなたですか?」
「え、いや、どなたですか?」
 思わず同じ言葉を返してしまった。相手が一気に訝しげになる。まずい雰囲気だった。目当ての同居人の代わりに出てきた男がこんな様子じゃ、怪しいにも程がある。取り繕うように僕は言葉を続けた。
「ぼ、僕は彼女の同居人で……」
「同居人!? 旦那さんいたんだ……いや、彼氏、ですかね?」
 相手の声が一気に興味と好色に満ちたものになる。あ、まずい、と思った。慌てて方向を修正する。
「あの、違うんです。僕と彼女は何の関係もなくて、えっと、本当は、あ、でも同居、同居してるんですけど」
「……はあ、それは」
「違うんです! あっ、あう、あ、の人と僕は無関係で! 無関係で! 同居はしてて! あっ」
「……あの、失礼ですけど貴方本当に彼女の――」
 ガチャンと派手な音を立てて、子機を本体に向かって投げつける。とっさのことだったのでちゃんと切れたかは怪しいけれど、子機がツーツー可哀想な音を立てているので、とりあえず通話は終了出来たのだろう。ほっとしながらも、体の震えが止まらなかった。
 そのまま僕は布団に籠もり、震えてる間に気持ちよくなってきて寝た。同居人がスーパーの総菜を買って帰ってくるまで、僕はそのままずっと寝こけていた。
 夕御飯の席で、同居人は電話機を背に笑って言った。
「出なくてよかったのに。留守番電話サービスなら契約してるよ?」
「出たくて出たわけじゃない。電話が鳴ってると、気になるだろ」
 僕は何の気無しにそう言ったのだが、同居人は顔を強ばらせて、「うん、そうだよね。そうだね。ごめん」と、やたら申し訳なさそうな顔をして頷いた。同居を始めて三ヶ月しか経っていなかった。「連絡」「電話」というキーワードで無闇やたらに反応してしまったのだろう。それを見て、僕の方もどうしていいのかわからなくなった。ここに来ることになった経緯を思い出して、少し義務的に顔を歪ませて見せる。同居人は更に萎縮して、もう一度「ごめんね」と呟いた。心の内でこっそり呟く。これって、何の儀式だよ。
「というか、電話大丈夫だったの? 妙な風に思われたとか、僕からの怪しい電話の所為で仕事クビになりそうとかないの?」
「あはは、君を元気に養って行くた為にもクビになるわけにはいかないしね」
 それはもう本当に。切実な話だった。今の僕には収入がない。行く場所もない。電話を受けたことをもう一度改めて後悔する。
「大丈夫だよ。そこまで変なことにならなかった。寝ぼけてたんだって言い切ったら大抵のことは何とかなるもんなんだよね」
「僕のことはどう説明した? 同居人?」
 僕は必死に同居人の同居人であることを主張し続けたけど、信じてもらえたかは怪しい。下手したら通報されていたかもしれない。
「何で?」
「いや、知らない男が君の部屋にいて、電話にまで出たらおかしいだろ。不審に思うだろ。どうやら君は随分慕われてるみたいだし……」
「別に不審に思われてないよ」
「思うに決まってるだろ! 僕は恋人じゃないって異常に過剰な反応返しちゃったんだぞ!」
「いやそれも大丈夫」
「どうしたんだよ!」
 まさか、トチ狂って恋人だなんて紹介されてないだろうな。と、僕は背筋が薄ら寒くなる。もう一生社会復帰出出来る気がしないからどうでもいいと言えばどうでもいいのだけれど、……なんだろう、ぞっとしない。
 けれど、同居人はあっさりと言った。
「弟だって紹介しておいた」
「弟」
「自然でしょ。寝ぼけた弟がお姉ちゃんの仕事の電話に出たの」
「……勝手に血を繋げるなよ」
「いいじゃん、自然なんだし。本当はそういう関係じゃないといけないんだよね」
 同居人の指摘は、いやはやごもっともだった。
「人はね、名前の付けられない関係のことを見落としがちなんだよ」
 同居人は何でも知った風に笑った。三ヶ月目の余裕だった。もしくは、諦め?
 それから更に九ヶ月が経ち、加えて更に少し経って冬が深まり、僕と同居人は未だに人に説明しづらい生活を送っている。名前のない関係は見落とされがちで、今日も日々の隙間に挟み込まれている。僕は未だに無職のままだ。
 
 そうして迎えた何でも無い日の休日。
「お腹が空いたんだよね」
 同居人がエンターテインメント性に欠けた呟きをした。生憎、つまらない発言に付き合ってやる程度には暇だった。
「そうか。僕もだよ。ご飯は炊けてる?」
「炊けてる」
「そうか。それを食べよう」
「もういい加減文明的な食事をしたいんだよ」
 それなら外食をしろ、と言いたかったけれど、黙っていた。同居人は僕と食事をすることに対して心底抵抗があるらしい。理由は簡単、僕は同居人と一緒じゃないとろくに食事を摂らないからだ。重ねて理由を説明させてもらうと、それは単に面倒だからなのだけど、同居人はそれにいたく心を痛めてしまうらしい。難儀な性格だ。
「何か買ってくれば?」
「外に出るには化粧したりとか、髪セットしたりとか色々あるからね。私は凄くお腹が空いてるから、そんな体力が無いんだよ」
「困ったことになったね」
 同居人の言外の主張はわかっている。お腹が空いて、なおかつ白米だけでは我慢が出来ない。でも外に何かを買いに行く気にもなれない。だから、早く台所に立って、何かを作れ。同居人はそう言っているのだ。言葉を介さないコミュニケーションを身につけてしまったことが少し悲しい。これだけ長く一緒にいるのだから仕方がないのかもしれないけれど。その時間の長さすら悲しいのだ。
「……作らないよ」
「えっ」
「意外そうな顔をするなよ。そんな顔をするのは可愛がっていた飼い猫の背中にチャックが付いていたのを見た時だけでいい。なんか今は作る気になれないんだ。確かにお腹は空いてるけど、作りたくないって気持ちが食欲の喉笛を掴んでるって感じなんだ」
「私は飼い猫の背中にチャックが付いてたら泣いちゃうだろうなぁ。躊躇いなく開けるだろうけど」
「僕は家政夫ってわけじゃないんだ。気が向いた時に料理するけど、気が向かない時には絶対にしない、単なる無職」
「もうアミラーゼだけに頼るなんて出来ないんだよ」
「それじゃあ、今日は君が作るといいよ」
 僕はなるべく優しげな口調でそう言った。突き放した口調で言ってしまえば、昼食は更に遠くなってしまうだろうからだ。まるで子供に実験を促すように。さて、アリの巣の中に水を流し込んでみましょうね、と言ってやる時みたいに。大事なのは強制させるような口調にならないように気を付けることだ。
 同居人は大きな目をくるくるぱちぱちとさせて、僕の言葉の裏を探ってやろうとしていた。裏も何も。面倒臭いという気持ちの純度は高い。
「だって、私は包丁で全てを終わらせるような存在だよ」
「達人っていうのは一つの物事だけで全てを語る存在だっていうよ」
「玉葱を水に晒すことすら知らなかったのに?」
「それはこの間覚えたじゃないか」
 同居人は自分の壊滅的なまでの料理の才能をちゃんと自覚している。自分の能力を見誤る僕のような存在とは違うのだ。素晴らしい。最近の人間はその能力に欠け倒しているからね。人間、少しは自省的にならないと。
「大体お腹がすいたら僕に頼むだなんて、いつか僕がいなくなったらどうするんですか、お嬢さん」
 至極真っ当な僕の言葉に、同居人の目が丸くなった。先日の真夜中の話を思い出す。今日の同居人はエアガンを持ってない。
「いなくなるの? いつ?」
「いや、今すぐって話じゃなくて、仮定の話。だから、この前みたいなことはしなくてもいいんだよ。うん、そう、仮定の話。僕がいなくなって、料理が出来る人がいなくなって、君が化粧とかして外に買い物に出ることが死ぬほど億劫になっちゃったらどうするのかなって。死んじゃうよ」
「でも……」
「大丈夫。見ててあげるから」
 僕の言葉があまりに優しいことに同居人は心底驚いたらしい。
 僕なんかに見られていたからといって何の御加護も期待できないというのに、同居人は何故だか嬉しそうに頬を緩め、「それじゃあやってみようかな」と行った。同居人のスイッチはよくわからない。
 そういうわけで、化粧や髪のセットが億劫になる程度には空腹だったはずなのに、同居人はまんまと僕の提案に乗った。
「何か食べられないものある? 思えば私ってあんまり君の食べ物の好き嫌いについて知らないからさ。好きなものって言われても、ココアくらいしか思いつかないくらい」
「言っとくけどそれは君の好物だ」
「そうか……。やっぱり何にも知らないんだよね。いけないよね。ねえ、君は三人のパンケーキ職人の話を知ってる?」
「聞いたことないね」
「ある王国に三人のパンケーキ職人がいたんだ。一人目のパンケーキ職人は、王様に生クリームの載ったパンケーキを献上した。けれど、彼は首を刎ねられてしまった。二人目のパンケーキ職人は、考えた末チョコレートをふんだんに使ったパンケーキを献上した。けれど、彼は首を刎ねられてしまった。三人目のパンケーキ職人は青ざめながら必死で考えてさ、結局何もトッピングを施さないまんまのパンケーキを王様に献上したんだ。でも、彼もまた、首を刎ねられてしまった。そう、王様は実はパンケーキ自体が大っ嫌いなのでした! そういう話」
 同居人はジェスチャーを交えながら表情豊かに世界理不尽残酷物語を語った。現代文の成績は悪くなかったはずなのに、言っていることがさっぱりわからない。作者の気持ちを答えさせたいなら、選択肢を作って欲しい。
 僕は大人しく同居人に尋ねた。
「つまり、その話の教訓は?」
「相手への理解というものは心底大切。ちなみに、三人のアップルパイ職人の話っていうのもあるんだけど、聞きたい?」
「いや、いい。何となく予想がつく」
「残念だな。こっちは裏切りと愛に満ちたスペクタクル巨編なのに」
 その言葉に少しだけ後悔をそそられつつも、僕は黙った。同居人が名残惜しそうに僕のことを二、三回見て、台所に向かう。冷蔵庫の中から取り出される食材からは、一体何を作ろうとしているのか全く見当がつかなかった。トマトに、大根に、セロリに、人参。まあ、煮込めばきっと食べられるもの達だ。
 同居人の後ろ姿はとても可愛らしい。華奢なのに、すっと背筋が綺麗に伸びているから実際よりも背が高く見えるのもいいと思う。何処から取り出してきたのかわからないエプロンも、ばっちり似合っていた。
 こういう同居人の姿を見て、心の動かされる人もいるかもしれない。理想の相手だと夢見る人間もいるかもしれない。だって、後ろ姿だけなら本当に完璧だった。例え同居人が切ったトマトを丸ごと床に落とし、驚いた拍子にそれを無慈悲に踏みつけてしまうくらいの手際の悪さを誇っていたとしても。
 どうしてそこまで台所で右往左往してしまうのかがさっぱりわからなかった。そもそも、『切ったトマト』なんてお世辞めいた言い方をしてみてしまったけれど、同居人の魔法の手によってカットされたトマトは皮一枚で仲良く全て繋がっていた。同居人の素足に、赤い汁が滴る。同居人は途方に暮れた顔をして、結局そのままにした。どうしてそのままにしてしまうのだろうか。
 同居人は包丁一つで物事を語る人間で、料理の腕はからっきし駄目なのだと、一緒に暮らし始める時にも、この間辛過ぎるオニオンスライスを作った時にも言っていたけれど、正直な話、包丁ですらまともに使えていなかった。
 同居人の綺麗な手が、何を思ったか残ったトマトを鍋に入れた。トマトは生でも食べられるのに、と言う前に、鍋が火にかけられる。水分量の多いトマトがはぜる音がした。同居人が焦って、何かを切る。鍋に入れる。油を足す。肉をいれる(パックから直に) その間に踏み潰された食材は数知れずだ。
 控えめに言っても、地獄絵図だった。
 絶望的な調理風景を見ながら、少し心配になってしまう。同居人はこのままでまともにお嫁に行けたり、まともな誰かとまともな生活を送ることは出来るんだろうか。停戦協定が結ばれそうにもない毎日の戦争を、我慢できる人間がいるとは思えない。
 否、見た目も社会的地位もハイスペックなのだから、オニオンスライスすらまともに作れなくても案外大丈夫なのかもしれない。世の中の価値基準はとても複雑な物差しで出来ている。でもまあ、それにしても限度があるか。僕はもう鍋の中を怖くて見られない
 
(つづく)

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斜線堂侑李(Syasendo Yuri)

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