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売られる戦場買う人でなし 4 斜線堂侑李

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3、アクサンシルコンフレクス
 
 同居人と喧嘩をした。
 同居人と喧嘩をすることは時折ある。僕らのようなある意味終始停戦関係のような停滞した間柄でもそういうことが起こるのだ。とはいっても、主に僕らの喧嘩というものは一方的な僕の感情の爆発で起こることが多い。言ってしまえば、完全なる八つ当たりなのだ。自分勝手な主張といってもいい。同居人は絶対に僕を怒らないし、僕を赦し続けることだけがその存在意義みたいになってしまっているから、目立った衝突や対立や罵り合いが起こることはない。ただ、些細なきっかけですれ違いが生じ、僕が我慢出来なくなり、今日のように家を飛び出すだけだ。
 同居人には申し訳ないことをしていると思っている。こんなお金も定職も甲斐性も存在価値も無い奴にこうして手を噛まれるのだから、心中ではその歯の全てを抜いてやると思われていても仕方がないと思っている。けれど、全ては理屈じゃないのだ。どんなに申し訳なかろうと、僕は同居人と真っ向の対峙をすることを避けて、小奇麗なアパートを飛び出す。
 我ながら酷い言葉を投げつけてしまったものだと思う。発した言葉の半分は多分放送禁止用語という最低加減だ。人でなしだとか、死んでくれだとか、絶対に許さない、だとか、社会に全く貢献していない僕が言うには片腹痛いような言葉も沢山言ってしまった。
 同居人は僕に何も言い返さなかった。同居人はよく口も頭も回る女の子だから、普段は僕に言われっぱなしでいることは少ない。けれど、今回ばかりは違った。僕の言葉が純然たる八つ当たりで、同居人には何の非も無くて、どこまでも理不尽だと思ったからだろう。めちゃくちゃな理屈で傷つけられることに、同居人は特に寛容なのだ。何故なら、それが自分の罪を洗い流してくれると信じているからだ。
 同居人が僕と暮らす第一の理由は、言うまでもなく罪の意識に苛まれているからだ。僕を社会から爪弾きにし、立ち直れなくさせた張本人だと彼女が自負しているからである。彼女の考えは少なからず間違っちゃいないと考えている僕は、その同居人の考えに甘えて、一緒にのうのうと暮らしている。
 でも、それは無条件に同居人の全てを僕への贖罪に組み込むことを見過ごしてやるという意味じゃない。
 同居人が全てを諦めてしまっているのが不快だった。同居人の目が申し訳なさそうな色に染まりながら僕の罵声を受けるのも、鬱血するくらいの強さで噛まれた唇の痛みに何かの感慨と安心を覚えているようなその表情も、たまらなく嫌いだった。
 そんなに贖いたいならお前の方からどうにかすればいいじゃないか。
 そんなに自分が可哀想だと思うのなら、僕なんか放り出して輝かしい一日をまた始めればいいじゃないか。
 そんなに僕が可哀想だと思うのなら、どうにかして僕を救ってくれたらいいじゃないか。
 漠然とした要求はエスカレートしていく。お互いに何をどうしたら状況が打開出来るのか、どうすれば全てのわだかまりを消してしまえるのかを毎日必死で考えているから、全く何もしていないというわけでもないというのに。
 売られた喧嘩は土下座をして買うようなスタンスだ。それでいて、買った瞬間にティッシュで包んでゴミ箱に捨てられてしまうのだから、たまらない。
 真冬でなくてよかった、と思った。夜が寒くないというのはいい。昔、真冬に身一つで放り出された時は、心から先に折れてしまいそうだったからだ。
 僕がもし喫煙者だったなら、こういう時に煙草が夜の心許なさを埋めていてくれていただろう。しかし、喫煙は随分前に、もっと正確に言うならば同居人と暮らし始めてからやめてしまった。同居人は喘息持ちで、煙草の煙が苦手なのだと聞いたからだった。
 そのことを言ってしまった時、同居人は心の底から不覚だ、と言わんばかりの顔をしていた。慌てて、同居人が大袈裟なジェスチャーと共に言う。
「別に気にしなくていいんだけどね」
「流石に、それは気にするとか気にしないとかの問題じゃないだろ」
「だって、喫煙者の人ってニコチンが切れると駄目なんでしょう? それこそ、煙草をやめようって時には自分の身体を縄で縛ってどこかに閉じ込めなくちゃいけないんでしょう? 私、君を縛れる自信ないよ」
「全国の喫煙者に謝れよ」
 そして、僕は結局簡単に煙草を捨ててしまったのだった。ニコチンの依存性にはもう少し期待していたのに、同居人がわざわざ換気扇の前のスペースに作った喫煙スペースは一度も使われずに終わった。
 セブンスターは七つも星を冠しているというのに、たった一人の同居人に負けたというわけだ。なので僕は、セブンスターを吸っている人間を見ると、無意識に同居人より弱いのだな、と想像してしまう。とんでもない言いがかりだということは重々承知した上での話だ。
 煙草を吸うことも、音楽を聴くことも出来ない夜というのは退屈だ。誰かのところに行くにしても、僕は同居人以外の知り合いがいない。妹ちゃんが一人いるけれど、随分長らく会っていないし、次に会う時は妹ちゃんに殺される時だろうと覚悟しているから、当てになんか出来なかった。
 溜息を吐く。星を見るのは二秒で飽きた。道路には人も猫もあまりいない。エンターテインメント性に欠けた夜だった。もう僕は箸が転がっても楽しめるような年齢じゃないのである。
 辛うじて腕に巻きっぱなしだった腕時計を確認する。……午前零時を少し過ぎたあたりだった。シンデレラはお家に帰らなくちゃいけない時間だけれど、僕はまだ帰れない。こうして家を飛び出してきた時は、いつだって同居人が寝てからこっそり家に帰るのがセオリーだ。僕のちっぽけな、持つべきではないプライドが、同居人の「おかえり」を聞くことを許さない。
 一時間くらいしたら帰ろうと思った。何しろすることがない。退屈というのは致命的だけれど、仕方のないことだ。僕が持っているのは恒常的に手首に巻きつけていた腕時計一つ。これでどうやって暇を潰せばいいというのか。
 ポケットに何か物を入れるのが嫌いだ。服が重くなるから。だから、ポケットにも何一つ物が入っていない。完全に自分が悪いというのにどうしたって苛立たしくて、道端にあった石を蹴った。そこで気が付く。
 鍵を忘れてきた。
 一生の不覚だ、と思った。しれっと帰ってやろうと思っていたのに、これじゃあドアを開けられない。同居人はあれでいてなかなか几帳面だから戸締りをせずに眠るなんて考えられない。
 明日は何曜日だろう。というか、今日は何曜日なんだろう。もし明日が平日なら、同居人はいつも通り仕事に行くだろう。その時に上手く部屋に入れば、鍵が無くても家に帰れる。いや、でもそれは結局気まずいまま同居人と鉢合わせなくちゃいけなくなるわけだから、僕に何のメリットも無い。仕事に行ってしまったら、再びあの扉は閉じられてしまうだろうし。アパートメントの癖に、流石同居人の家というべきか、あそこはセキュリティがとてもしっかりしているのだ。生半可なピッキングじゃ痛くも痒くもないだろう。
 帰れない、と思うと無性に帰りたくなるこの現象になんて名前をつけたらいいんだろうか。天邪鬼ですよ、と脳内の同居人が適当なネーミングを披露する。確かにそうかもしれないけど。
 途方に暮れた。まさか、こんなことになってしまうだなんて。
 腹立たしいことに僕のちっぽけなプライドはまだちゃんと機能していて、僕は同居人の「おかえり」を聞く勇気が無い。
 僕はとりあえず歩き出した。夜明けまではまだ遠い。歩いていかなければ夜に潰されそうだった。
 
 通りを歩いていくと、並ぶタクシーの列が見えた。
 僕の苦手なものの一つだ。歓楽街が近いからこんなことになっているのだろうけれど、誰を待っているのだろうと思って不安になってしまう。終電を逃してしまった人達を掬い上げて、朝には皆消えてしまうよ、とかつて同居人が教えてくれたけれど、これだけ沢山のタクシーがあると、どれか一台は誰にも選ばれないんじゃないかと怖くなってしまう。選ばれないものというのは怖い。
 昔、同居人が泥酔して、タクシーを拾わなくちゃならなかったことがある。同居人がまだ何の罪も背負っていなくて、あのアパートにも住んでいなかった時の話だ。
 実家に住んでいた同居人はお育ちのいいシンデレラで、十二時になるまでに家に帰りつかないといけなかった。
 それなのに奴は酒を煽りに煽り、僕の姿がモルフェウスに見えるくらいぐでんぐでんに酔っぱらった。止めればよかったのかもしれないけれど、顔色を少しも変えずに泥酔するという器用な真似をしてみせた同居人に、僕はすっかり騙されてしまったのである。
 同居人は華奢だったので、背負う分には何の問題もなかった。長い髪が僕の肩の前の辺りにかかり、まるで同居人と自分が癒着してしまったかのような感覚に、どうしてだか不吉な予感を覚えたことは酷く記憶に鮮やかである。
 流石に同居人を家まで背負っていくわけにもいかなかったし、電車に載せれば周りの迷惑になると思った僕は、大人しくタクシーを拾うことにした。タクシーはいつでも待っていてくれる。あの日も並ぶタクシーの列は途切れることなく並んでいた。まだ苦手意識なんて欠片も持っていなかった僕は、適当に、一番前にいたタクシーを拾おうとした。
 けれど、死んだように眠っていたはずの同居人が存外強い力で僕を叩き、それを止めた。予想外の出来事に苛立つ僕に、同居人が低い声で囁く。
「ごめん、待って」
「何? 車に乗ったら吐きそうとかそういうのやめてよ」
「違うの。向こうの……奥から二番目のやつに乗りたい」
「何で? 遠いんだけど。もう少し長く僕の背中にいたいっていう理由とかだったら、僕は盛大に手を離すぞ」
「そうしたら私は腕の力だけでしがみついてやるから。共倒れしてやろう」
 同居人の声が本気だった。そう考えると誰かを背負うというのはなかなかリスキーな行為なのかもしれない。言葉の響きがそもそも重いし。
 首の骨を折られたくはなかったので、僕は大人しく同居人の言葉に従った。今まで背負ってきたのだから、同居人が指定するタクシーのところまで歩いていくのはさほど辛くなかった。同居人はいつでも僕の首を折る心構えが出来ているのだな、という嫌なプレッシャーを除けば、の話だけれど。
 川のように一直線に流れるタクシーの列の麓の方までやってきて、同居人の指定したタクシーの前に着く。何の変哲もない普通のタクシーだった。
「これでいいの?」
「うん……いいの……」
 同居人は殆ど眠っているような状態で、僕の言葉なんて半分も聞いていなかったと思う。やっぱり酔っぱらいの戯言だったのか、と思いながら、僕は中の運転手に向けて話しかけた。
「すいません……乗ってもいいですか。背中の奴泥酔してますけど、多分吐いたりはしないと思うので」
 運転手さんの返事は少し遅れた。明らかに慌てているような様子だった。その様子をみた僕も慌てた。運転手さんが今まさに何を持って何をしようとしていたのかがわかってしまったからだった。
 運転手さんの左手には、やたらスタイリッシュな細身のナイフが握られていた。一体何処で入手したのだろう。ここは歓楽街が近いというから、狂乱の中でこっそり誰かから買い上げたのだろうか。柄の部分に彫られているのは何だろう、と思って目をこらすと、どうやら兎のようだった。兎ってあんなに流麗に、なおかつ恐ろしくデザインできるものなんだなぁ、と僕は場違いに驚嘆する。
 この運転手さんはどうやら左利きらしい。ナイフを持った方と反対の手、すなわち右手首には、言ってしまえばよくある、リストカットの跡があった。何かを数えるかのように……七本。血が滲む程度の力で傷つけられている。
 僕が同居人を背負いながら運転手さんに話かけた時、運転手さんはまさに、ナイフを振り上げて、最後の一本を乱雑に引いてやろうとしていたのだった。今までの七本は決心がつかなかっただけで、別に『八』に特別な意味を持たせていたわけじゃないと信じたい。八、なんて縁起のいい数字でこんなことに対する思い切りをして欲しくなかったのである。
「大丈夫ですよ」
「え、いや、その」
「大丈夫ですから。吐いても大丈夫ですから。乗ってください」
 僕の言葉で完全に調子が狂った運転手さんは、血塗れの手首を隠すようにナイフを持った方の手で抑え付け、裏返った声でそう答えた。タクシーの扉が開く。とうとうこれで、断って前のタクシーに乗ることも出来なくなってしまった。引き攣りながら、僕はタクシーに同居人を押し込み、自分も続けて乗った。
 躊躇い傷だけとはいえ、右手首からの出血はなかなか盛大で、ハンドルも窓も肝心のナイフもてかてかと黒っぽい血で濡れていた。
「ど、何処へ行きましょうか」
「そうですね……あっ」
 運転手さんが慌ててシートベルトを付けた時に、手のナイフはつるんと滑って後部座席の足元に落ちた。僕が先に驚きの声をあげた所為で、運転手さんは何も言えずに固まっている。近くで見れば見る程素敵なナイフだった。気のいい殺し屋さんが可哀想な幼女を悪から救う時に使いそうなナイフだ。血に濡れたそれに、手を伸ばす。
「そのままにしておいてください」
 ナイフを拾い上げる直前に、運転手さんは震えた声で言った。
「そのままにしておいてください」
 運転手さんは念を押すように繰り返す。血に濡れたナイフなんて進んで触りたいものじゃなかったから、その言葉には大人しく同意した。この状況を生み出した張本人は僕の隣で暢気に寝ていた。シートベルトを掛けるついでに揺り起こして、耳元で囁く。
「どうするの、これ。どういう顛末をつけるつもりなの」
「……顛末?」
「収拾って言ってもいいけどね。君がこんなタクシーを選ぶからこんなことになったんじゃないか」
「全部終わったでしょ」
「いつ自棄を起こすかわかんないじゃないか。それに僕と君が巻き込まれることになるかもしれないんだぞ。全く、君は自殺志願者の鮮やかな脳内を全然わかっちゃいない」
「大丈夫だよ」
 同居人はそこだけやたらはっきりと言った。酔っているとは思えないようなしっかりした口調だった。
「この人は、もう大丈夫。そういうタイミングがあるんだよ」
 そう言い残して、再び同居人が眠りにつく。少しえづくような素振りをみせていたのにも血の気が引いたけれど、何より、僕はとんでもないことに関わってしまった、という実感に血の気が引いたのである。
 世の中にはタイミングというものがあって、同居人は何故かあの日、それを確かに察したのである。同居人に選ばれなかったら、この運転手さんは多分死んでいただろう。そして新聞を読む習慣のない僕達は、そんな些末な事件を知らずに暢気に暮らしていたに違いない。
 同居人は選んでしまった。
 それは、運転手さんの命を救った。
 
(続く)

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斜線堂侑李(Syasendo Yuri)

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