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小説のタネ 2 吉川英治

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空想の遊びが功徳
 
 僕っていう人間は、少年時分からまるで空想で生きてるような奴でしてね、「忘れ残りの記」にもちらちら書きましたが、早熟な方でしたろうね、すれ違う少女の匂いに敏感でしたよ、近ごろの十代みたいに直接行動はなんにも考えないんですがね、内攻性はかえって逞しかったんじゃないですかね、その結果が空想に遊び空想を愉しむ習癖に行ったのかもしれませんね。あの時代の家庭や世間の躾もそうでしたから、その拘束が自然、少年の胸に、多感を醸す酒ツボになるわけです、だから一篇の物語みたいなものは始終胸に出来ていましたよ。
 小説みたいな物を書いてみた初めは十一、二の時でしたね。もう盛んに江戸文学やら翻訳物の柔かいのを匂いで嗅ぎ分けては読んでいたんです。ところが、それを親父に見つかって、風呂場の焚きつけにされたとき、
『読んでばかりいないで、書いてみろ』
 と言われたんです。それへ、むきになって、ちょうど、自分の家の近くの普門院に捨子があったのを、或る朝、見に行って、捨子を題材にして書いたんですよ。それも、親父には示す勇気もなかったですが、義兄に見せて、笑い草にされました。だから、その頃の空想癖は、ただ空想の中で堂々めぐりしてるだけでなく、それの噴出口を与えられれば、いつでも、書くなり行動に移せるほどな大真面目なものだったことがわかります。稚気は苦笑されますが、こわいもんですな。だから「忘れ残りの記」に書いた貧乏も、その頃、自分自体はそう深刻にはちっとも思ってなかったですね。おそらく空想の遊びが助けていたんでしょう。切れ草鞋を履いて歩いた朝でも僕は必ず空想していたんだよ。たとえば、ドックの高い足場板を渡るときは恐らく足がすくむんですよ。しかし、仕事に向うと手だけの事で頭は完全に遊べるからすぐ空想に入るんです。つまり仏典でいう末那識まなしきの境になるんですね。まあ、白昼夢でしょうな、それで救われてましたがね。やがて、そのドックで落ちて一ヵ月余入院しましたが、その時、いよいよ退院の日は淋しい気がしましたよ。なぜかって、入院中、ベッドでの空想をあんなに愉しめたことはなかったからです。ちッとも退屈しなかった。そういう空想ぐせは、今日もまだ続いていますね。
 戦時中なんかも、殊に僕はそれで救われたな。終戦近い時に、忘れもしない、神田の駿河台辺で、空襲警報が鳴り、右往左往、人影も無くなっちゃった。空にはB29の巨体が見える。夢中で町の横丁の防空壕へ駈け込んだ。防空壕の入口に残雪があったのでまだ二月頃だったでしょう。ふるえながら、中のムシロにちぢまっていた。長いんだなあ、解除になるのが。だが、そんなときも、空想に遊んでましたね。幾つもの俳句が出来たりしたね。句は忘れましたが、そんなときも、僕はすぐそっちへ自分を持って行けるたちなんですよ。自然、恐さも忘れるんです。
 大体、作家というものは、みんなそういうものを持ってるんじゃない? つまり、西鶴が世之介をつかって、渡し舟に乗り合せて隣り合った女の肉体を、空想の中で完全に自分のものとして味得してしまう、ああいうものを持ってると思うな。作家ならたれでもですよ。ですから作家の隣りに自分の女房はうっかり腰かけさせられないよ。すました顔していても、人妻でも美人だと或る場合には彼に姦せられているかも知れないからね、アッハッハッハ。