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向かい風は南風。追い風はビル風。5 たかなしみるく。

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人は死ぬ。いつか死ぬ。絶対に死ぬ。
【たかなしみるく×静岡県静岡市】

 
 ◇
 
「じいじいわく、明日の朝息していないかもしれないから、会いに来た方がいいらしい」
 
 8月最後の土曜日、曇天雨がちな日のこと。母親がこんなLINEメッセージを送ってきた。
 前後のメッセージからするに、どうやら今母親は、静岡の実家に帰っているようだ。
「なんで? 病気でもしたの?」と聞けば「昨日誰かが亡くなったらしいから、いつどうなるかわかんないってこと」と返事があった。
 
 ◇
 
 ……という事があったので、今月は祖父母に最後にあった日の話をする。因みにタイトルはオウム真理教の麻原彰晃の言っていた事からつけた。
 
 ◇
 
 冒頭のメッセージにあるじいじ と言うのは私の祖父の呼び名だ。大正15年生まれで、今年で89歳。年齢を考えれば何時亡くなっても「そんな急に!」と言う衝撃もないが、清水の自宅で普通に生活をしているため、まだ当分生きているだろうという甘い勘繰りもある。
 70過ぎてから建て替え修理したこの家は彼の誇りで、「じいじは絶対この家で死ぬ」といつも言う。病気に関しては数年前に前立腺のがんを発症したが、長いこと入院をしたわけでもない。飯も良く食うし、一応まだちゃんと歩けるし、まだ仕事もしている。祖父はもう何十年も石油関係の仲買の仕事をしていて、昔はよくお得意様周りの車に乗っけて連れて行ってもらったものだ。然しもう車で外回りを出来るほどの力はないのだが、電話で毎日オーダーの取り次ぎをしているだけでも大したものだ。
 それだけ元気なうちにまだ会いに来いと言われるので、私も年に2度ほど足を運んでいる。しかし、最近はどうも行く事を躊躇う。「いつ死ぬかわからないから会いに行けるときに会いに行かなきゃ」という気持ちと同時に、「結婚出産の話なんて聞きたかねえから行かねえよ」と言う気持ちがそれをはねのける。
 更に、顔を見るたびに身体が老いていく祖父母の姿を見ることが心苦しい。
 テレビで巨人戦の試合が流れれば「昔は伯父さんがなぁ、ドームのチケット取ってくれてなぁ、でももうドームには行かれんなぁ……」と祖父も漏らし、祖母も「そーだよ、あんたもうあの階段上れないよ」と言っている。巨人が負ける試合のハイライトシーンに向かって、「あんな球、俺だって打ち返せらぁ!」と突飛な文句を言っていたことも、懐かしく寂しい。
 そうやって祖父母のことを思う気持ちはあるから祖父母に会いに行った方が良いことはわかっている。でも、どうもそれだけの為に会いに行くのは気が重い。それに、せっかく行くのだから、静岡で最近流行っているものも食べたい。でも、祖父母の家に行けばご飯は勝手に出てくるか、彼らの選択でご飯が決まる。それを遠慮することも心苦しい。それに前もって「ちょっと静岡に行こうかなあ」と伝えると、「いつくるんだ」「泊りでくるのか」「新幹線でくるのか」「東京駅からバスでくるのか」「ご飯は何を食べたいだ」とか、物凄い量の質問を浴びることになる。
 母親が言うには「もう行くんなら行くって前もって言わないで、突然行くくらいでいいよ」とのことだ。きっと彼らには時間がないから、私に会える回数ももう限られていることを知っている。私より16歳年下のいとこは、以前祖父に「じいじは100まで生きるんだ!」って言ったそうだ。「だから俺は100まで生きなきゃなぁ」とかぼやいてはいたが、最近諦めの雰囲気を醸し出している。1日中祖父母の家にいては、今度私がその雰囲気に飲み込まれて苦しくなってしまう。
 とは言え、嫁に行く予定は皆無=結婚式に呼ぶ予定も皆無=曾孫を生む予定は皆無だ。幼き日から遡れば、「この子は東大に行ける」とかなり勝手に錯覚していたようだが、それどころか早稲田にも落ちたので伯父の後輩にもなれなかった。「じいじはお前の振袖姿を見るまで生きる」と言っていたのを知っていたけれど、成人式の時に振袖も着なかった。また、「これからは英語の時代だ」「英語出来るようになりなさい」「聡子(伯父の嫁さん) は東京女子出て、英語ペラペラにしゃべれるからなあ」と言われ続けていたが、続くわけでもない。就活は結局失敗して、たまったものは貯金ではなくリストカットの跡だ。
 そんな私の事情は棚に上げて、どこそこの誰はどこの大学を出て銀行員になって、結婚をしたとか、ナントカさんちのナントカ君はお前と同じ大学を出て静銀に入れてやって、今度嫁さんもらうとか、顔を見るたびにそんなことばかり言う。老人あるあるで片づけてしまえばそれまでで、聞き流すのが適当な話題だってわかっちゃいるけど背筋が震える。っていうか散々いい大学に行きなさい、英語ができるようになりなさい、いい会社に入りなさいと言われても、結局のところ「結婚して子供を産んで育てて家庭に入ることがお前にとってもじいじ達に取っても一番の幸せだ」と言うなら、じゃあ私が世間で名前は知れた大学に入った理由は、教養と自分で生計を立てるための力を身に着けるためではなく、将来年収1000万稼ぐような男に予め目星を付ける為だったのか? 貴方のおっしゃることはそういうことなんじゃないですか? と細かい引っ掛かりにもまた難癖をつけたくなる。
 うーん、そうなると余計、彼らが生きているうちに、彼らの期待を何一つ叶えられない。だからこそ、せめてもの償いとして顔を見せに会いに行くべきかと思う。そこまで気を遣わずに生きていていい筈なのだが、長女で初孫という肩書にどうも気持ちが左右されてしまう。そのことを母親にほろっと漏らすと「まー無理して行くぐらいなら行かなくていいし、なんかのついででいいんじゃん? 大学の時の友達に会いに行くとか、おでん食べに行くとか、コンサート行くとか。」と返された。
 確かにここ何回かは、浜松に住んでいる大学時代の友達に会いに行った帰りに、という口実で祖父母の家を訪ねた。昨年は年末に1泊2日だけ滞在して、大晦日の日に千葉に帰ってきた。そして誰にも邪魔されずに1人で年を越した。
 
 それから最後に祖父母にあったのは今年の5月の末だ。それこそ「ついで」と言う名目で、突然祖父母の家のドアを開けた。
 
 ◇
 
 何のついでかと申すと、静岡県内で流行の「さわやか」のハンバーグを食べに行くついでだ。27年間、年に1度は静岡に通い続けていても、流行りだしてから一度も足を運ぶ機会がなかったのは、祖父母に「静岡に行く」と言えば勝手にご飯が決まってしまうからに尽きる。だから私はハンバーグの為に静岡に行く。且つ「知り合いとご飯を食べる約束をしている為」と言えば間違いがない。「ついで」と言う理由がまかり通る。そんな私の「ついで」の口実づくりをサポートしてくださったのは本片隅でも“今日のいっぺん” を担当していらっしゃる添嶋譲さんで、「静岡駅まできていただければ車で拾いますから、インター沿いのさわやかに行きましょう」と言ってくださった。そういうわけで、お昼の12時ごろに静岡駅前で待ち合わせ、そして、その「ついで」に、祖父母の家を訪れる計算をし、9時半頃静岡に着くぷらっとこだまの予約をした。
 
 その日は朝の8時前から品川駅の待合室でプレミアムモルツを1缶あけたので、新幹線の中ではほとんど寝ていた。静岡駅で降りた際、手土産を求め構内をさまようが、その時間ではまだどのお店も開いていなかった。「どこかのコンビニでおいしいコンビニスイーツ買ってきゃあいいか」と決めて静鉄に乗って、最寄り駅で降りた。15分位歩く途中に私の知らぬ鯛焼き屋さんが出来ていて、手土産代わりにそこで3つ鯛焼きを買って行った。話を聞くと昨年の11月程に店を構えたらしく、ローカルメディアでは取り上げられているお店のようだ。
 玄関の前に着いたのは時刻にして10時半前だろうか。全く何も言わずにここまで来たからもしかしたら家にいない可能性もある。念の為チャイムは鳴らすが、居るならどうせ玄関の鍵は開いているのだろう。「はーーーい」と言う祖母の声がしてドアが開く。「こんちわ」と言えば「なんだみるくかね、どうした。」と言うから「こっちに用事があったついでに来た」と答えた。「じいじー、みるくがきたよーーー」と祖母が祖父に呼びかけ、私はお邪魔しますと玄関から家に入った。
 居間の扉を開けると祖父「なんだね、何も言わずにくるからおらびぃっくりしたっただね。」と言う。「今日はな、何とかさんとナントカさんと皆来て、うちで麻雀するもんでな。」とも言う。確かに客間を覗けば雀卓が用意されている。そういえば祖父は昔から麻雀が好きで「頭使うし指先も使うし、ボケ防止になるもんでな。」と言っていた。同じく祖母も手先が器用な人で、広い玄関一面には祖母が作った押し花アートが飾り付けられている。祖母も祖母でもう80近いが家事はやるし、町内の老人会も仕切るし、社交的で周りの老人たちのボスみたいな存在らしい。年の割に祖父母とも健在で、且つ2人だけで自宅で生活が出来ているというのは、考えてみればかなり立派なことなのかもしれない。そんなことを思いながら鯛焼きを差し出して、お茶を入れようと席を立つや否や、「あんた彼氏出来たんだってね」と祖母が大きな声で私に言った。私は恋人が出来たことを祖母に勿論言っていないし、母親にさえ告げていなかった。(勿論私の行動の変わり方とか各種SNSで恋人が出来たことを悟っていたのだろうが) 母親にも何も言われていないのに、そこをすっ飛ばして祖母に指摘されたことが結構いまもトラウマになっている。「あ、うん……。」と気弱に答えると、今度は祖父が「話はまとまりそうかね」と突っ込んでくる。
 そう、まさにこれである。これが嫌で辛くてしょうがないから、ここに丸1日もいたくないのだ。祖父の一言に対しては「はぁなに? まとまるわけなんかねーだろ」、と言ってやりたいところだったが、そこですかさず祖母が「どこ出身の人だ」と聞く。更に「写真みしてみ」と言うから「ないよ」と言うと、「携帯の中入ってるくせに。みしてみ」と言うが「ほんとにないよ」と答えた。「なんだね」と残念そうに言う祖母の声に被せて今度は祖父がお決まりの縁談話をだらだらと始める。「玲子ちゃんな、みるくも知ってるな? 青学の理系の院出て研究職ついて、今度職場の人と結婚して式長野で挙げるからな、じいじも行くんだ」とか。同じく「な、こないだ営業に来た清水銀行のナントカちゃんもな、もうすぐ商社勤めの誰かと結婚するって言ってたな?」とか。ふうんそうなんだね、と返せば「じいじもなぁ、死ぬまでにみるくの花嫁姿をなあ……」と言う話になる。だってさ、全くいちいち大学名を出さなくていいのにさ。
 1つ年上で理系の研究職に就いている青学卒業の玲子ちゃんと、東京女子を出て英語がよくしゃべれるキャリアウーマンの伯父の奥さんは本当に良く働く立派な女性かもしれない。一方私も出身大学の名前だけなら、青学とも東京女子とも同等だ。その割に私は何も達成できていない。大学出たからってどうにかなる社会ではないことは勿論わかっている。だが、祖父母が彼らの知り合いに「これは初孫でなぁ、大学はどこそこを出てなあ……」とやや自慢げに私のことを話すと、やめてくれ、と悲鳴をあげたくなる。そんな大学を出たって現実問題貴方たちの理想の孫にはなれなかったし、予定もつもりもない。別にそのことに対して酷く責められたことは一度もない。然し、銀行員だか商社マンだか研究職に就く男性、或いは貴方たちの息子や貴方たちの娘の旦那のような大手メーカーに勤める様な人と付き合うこともなければ、結婚することはないのだと思うと、申し訳ない気持ちと逆学歴コンプレックスに苛まれて涙が出てくる。だから、涙を堪えながら私は無理矢理話を変える。
「そういえばその写真、前も見せてもらったけどどこ行った時のってゆってたっけ?」と、リビングに置いてある、祖父が中心に写っている集合写真を指差す。すると「あーあーこれはな、じいじの兄弟の写真だ」と言って、機嫌よくこれが妹でこれが妹の旦那さんで、と親族構成を説明してくれた。そんな風にいとこがどこの中学受けるんだとか、祖母の習い事の話だとか、自分に関係ない話をいくつか振って、1時間そこに滞在した。
「お昼は寿司でもとるかね?」と言われていたが、「ごめん、今日は知り合いとお昼ご飯を食べる用事の為に静岡に来たから。」と用意しておいた台詞を言った。また、聞かれる前に「明日朝早く千葉で用事があるから、今日もう千葉帰る」とも言っておいた。
 
 ◇
 
「じゃあ、そろそろ出る」と言うと「折角来てくれたもんだから、足代ぐらいはな」と言って、祖父が私に1万円札を差し出した。「いいよ私用のついでだし」と断った。「いいの、もらっておきなさい」と祖母が言うので「じゃぁ……すみません。ありがとうございます。」と頭を下げて、財布にしまった。帰りは祖母が「お客さん来るし、買い物いくついで」と言って、私をJRの駅まで送ってくれた。祖父には「じゃあまた」と言って別れを告げた。
 駅まで向かう車の中で「来るたび思うけど、じいじ、年取ったね」と祖母に言うと「そうだよお。もう自分のこと1つ自分でやらなくなっちゃって」と嘆いていた。「昔は朝洗濯物干してたじゃん」と言うと「もう洗濯じいさんともほど遠いわよ」と返ってきた。
 そして、駅の手前で「じゃあ降りる。ばいばい」と言って、後ろの車が詰まる前にさっさと車から降りて、祖母にも別れを告げた。
 
 ◇
 
 JRの駅のホームに立った時に、焦燥感と切なさと悔しさと寂しさとやりきれない気持ちにぐっと飲み込まれる。この1時間で感じたありとあらゆるコンプレックスを原動にした感情たちをいつまでも引きずりそうになる。
 それでもぐうううううと腹は鳴る。早くハンバーグが食べたい。時刻を見ると1210分前だ。携帯を覗くと添嶋さんから「もうすぐこちら静岡駅着きますよ。どこどこまで来ていただけますか」と言うメッセージが入っている。「あと10分ちょっと待っていただけますか。場所はわかりました」と返したら、東海道線が滑り込んできた。
 
 ◇
 
 お陰様でそのあとのさわやかのハンバーグはとてもおいしくいただけた。そのあともエスパルスドリームプラザの観覧車に乗ったり、海辺に沿う国道をCapsuleのアルバムを流しながらドライブをしたり、七間町のスノドカフェに連れて行っていただいたり、実に楽しい時間を過ごすことが出来た。添嶋さんには「また静岡で遊びましょうよ」というお話をした。また静岡で遊ぶ、「ついで」を利用して、私も祖父母にまた顔を見せに行く機会が出来る。
 
 ◇
 
「じいじいわく、明日の朝息していないかもしれないから、会いに来た方がいいらしい」
 
 とは言え、もう、「ついで」「ついで」と言っているうちに、いよいよ会えなくなってしまうのだろうか。でも、それでももういいだろう。私はこれ以上の孝行はしてやれない。仮に孫に孝行をして欲しいと望むのなら、もういとこに期待をして欲しい。だって男の子だし。私じゃなくて従妹が会いに来ればいいし、さっさと早稲田中でも実業中でもどこでも受かってそこの制服着て静岡に来ればいい。そうすれば祖父母の鼻高々、私にこれ以上の未来への期待を掛けられることはなくなり、従妹の未来ばかりにスポットライトが当たってくれるだろう。そう信じたい。
 然し、きっとそんな問題でもないんだろう。
 ただ、純粋に、彼らは心から私のことを可愛がってくれて、私が生まれた日の話を何度も何度も私に言い聞かせる。私に会うことをいつだって心待ちにしていてくれたことも知っている。私の妹2人も同じように可愛がっていることも知っている。知っているからこそ、私はやり場のない気持ちを人より多く抱えてしまう。「ついで」と言う理由をつけないと会いに行けないぐらい、多くを考えすぎて拒絶してしまうが、「ついで」と言う理由をつけてまで「会いに行かなきゃ」と執拗に考えてしまう。会いに来いと言うなら、会いに行く日まで絶対に死なないでいて欲しい。そう思うと、私は祖父母が不死身の存在でいて欲しいと願っているのかもしれない。彼らが死ぬことを親族一同の誰よりも恐れている。だからこそ、執拗な感情が発生する。やっぱりいとこと同じく「じいじは100まで生きるんだ!」と声を大にして言いたいし、今ならそれよりも大きな声で「じいじもあーちゃんも、死なない! 不死身! 絶対不死身!」と叫べるかもしれない。それは単に私の恐怖心と身勝手な考え方にしか過ぎないのだが。
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たかなしみるく。

「感情の墓場を、詩と呼ぼう。」: note( http://note.mu/001203mm )、深呼吸する言葉( http://d.hatena.ne.jp/xxmilk69xx )
得意技は モテない・拗らせ・考えすぎの三拍子 エッセイ。