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向かい風は南風。追い風はビル風。2 たかなしみるく。

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【たかなしみるく。×成田空港】
 
 

“HEY 敵多い 歯が立たん
攻撃ならやる意味ない 
さすらってる 行き倒れに
街は何の感傷もない

メルカトル図法によって
かかれた地図を見ながら
俺は 3号線を 狂う目から
可愛しいへ向かって”
♪URBAN GUITER SAYONARA / NUMBERGIRL

NUMBER GIRL – URBAN GUITAR SAYONARA




2015年4月半ば、土曜日、場所、成田空港、国内線ターミナルの、喫煙室。

 耳元から流れるこの曲が、私を此処までやってこさせたのだ。
「福岡市博多区からやって参りました、NUMBERGIRLで御座います。」
 そう。そんな単純な理由。単純な理由で、ちょっと福岡市博多区まで、行ってくる。
 ◇
NUMBERGIRL」と言うバンドを知っている人はどれぐらいいるだろうか。はたまた向井修徳と言う男を知る人はどれぐらいいるだろうか。知らぬ人は知らぬが、知る人はちゃんと知っている日本を代表するバンドだと思っている。1995年に福岡市博多区で結成され、1999年にメジャーデビュー、2002年に解散し、解散してからもなお、メンバー各々は各々として音楽活動をしている。日本のオルタナ系バンドとしては有名で、ナンバガに影響された今活躍するJ―ROCKアーティストの数もたくさんいる。ぱっと出てきたのがアジアンカンフージェネレーションだけれども、昨年のナンバガ15周年にコメントを寄せたのはあと同郷に生まれた椎名林檎だったり、他に宮藤宮九郎だったり星野源だったりする。
 私はあまり音楽のジャンルには詳しくないし、批評を書くほどの腕もない。私が音楽を、別段邦楽を聴くときに私が最終的に好き嫌いのジャッジの判断材料にするのは、如何しても歌詞だ。大体の事最終的には歌詞で決まっている気がする。メロディーや好きな音楽のタイプもあるけれども、最後に歌詞でぐっと心を掴まれてそのバンドをついつい何年も聴いている事は多い。尚且つその歌詞が、何時どんな西暦に奏でられていたとしても、或いは私が幾つの時に聴いても、歌詞に違和感を持たない・持てないからこそ、ついつい何年も聴いていられるのだろう。三島由紀夫とか太宰治とかが長く読まれ続ける理由は、時代の流れにも揺るぐことなく、個人の年齢の度合いにも揺るぐことがない文章を書いているからというのとあまり変わらない。好きな物は好きで、よいものはよく色あせない。レコード会社の悪知恵と言われればそれまでかもしれないが、結成15年が経った昨年から今年にかけて過去の作品がリマスタリングされてリリースされたり、今年は過去映像のブルーレイが出たりと何かと今だって、ちゃんと熱い。勝手に名前を出して申し訳ないけれど、片隅の人気作家井野さんなんてまさに向井修徳と同郷だし、以前メッセでナンバガの話をしていた記憶がある。(思いすごしだったらごめんなさいね)
 さて、NUMBERGIRLの曲の歌詞は、基本的に青春時代と言われる時代を描写していると思うのだが、これが決して青臭いと言う程でもない。どちらかと言えば、土臭いし、酒臭いし、体液臭いし、ああ、そうだ、生臭いと言うのか。私がナンバガを聴きだしたのが、ナンバガ解散より4年経った2006年、当時18歳の頃だった。私はその「生臭い」歌詞を「生臭い」まま受け取って、勝手に強くなったり勝手に凶暴になったような気になったり、反対に勝手に憂鬱を気取っていたりした。当時大好きだった(勿論今でも好きだが)曲は、“NUM-AMI-DABUTZ” だった。(もう一度書くが、今でもかなり好きである)
“現代。冷凍都市に住む 妄想人類諸君に告ぐ” と言う高圧的で、焦り自己探索に夢中になる若者の心をがっちり引き寄せる歌詞から始まるこの曲。曲調もやっぱりテンポ早くって、うねりあがり感性を煽る向井氏のギター音に載せて、一気に押し寄せる歌詞。歌詞ではない、一気に押し寄せる日本語。言葉。嫌だと言う位に押し寄せる、日本語臭い歌詞。いや、日本語。
“俺は極極に集中力を高める必要はない
メシ食う時は新聞を凝視する必要がある。
中間試験を受ける必要はない。 軍事訓練を行う必要はない。
赤軍派に感化される必要はない
俺はそんな俺の平和を歌う必要はない”
“必要ねぇぇぇぇぇーーーー!!”

 その煽りにテンションがガラッと変わる。こんな曲ばかりかいつまんで聴いてきた。今は今で、ラストライブを収めたアルバム「サッポロOMOIDE IN MY HEAD状態」に収録されている「Tattooあり」ばかり聴いている。ただまぁ、冒頭にあげたURBAN GUITER SAYONARA を「あ、これいいじゃん」と好き好んで聴くようになったのは、此処2年程の事ではないかと思う。
 NUM-AMI-DABUTZもそうだし、「売れる売れない二の次で かっこのよろしい歌ば作り、聴いてもらえりゃ万々歳 そんなあたしは傾奇者(かぶきもの) 人呼んで NUMBRE GIRLとあっしやす」の煽りMCが一層心を最高のテンションに持って行くZEGEN VS UNDERCOVER(MCはサッポロOMOIDE IN MY HEAD状態に収録されている)もそうなのだが、この辺の曲を聴いていると、メロのラインで自分の意志でして、自分の中に自分の感情をきわっきわまで溜めこむ。そしてギターがうねりだし、向井氏が叫び出すサビが、感情を溜めこんでいた一種の膜のようなものを切り裂いて行き、溜めこまれた感情は一気に飛び散って行く。飛び散る音はきっとするのだろうが、そんなものは音にかき消されて聞こえるわけもない。飛び散る感覚が気持ちいいことは間違いが無い。やるせなさふがいなさ現状への不満届かない気持ちコンプレックス、届かない慕情、何もかもを一式一回自分の中に溜めこむ、若しくは既にきわっきわまで溜めこまれている感情を、これらの曲を聴く事で何度もばーんと飛び散らかす。飛び散らかしたあと、残るものは結局弾けた自分の感情をまた返り血のように浴びた自分自身。
 
 確かに気持ちがいい。自分を自分だと意識して他に遠慮をせずに、自分の気持ちの事だけ好きに扱えればいいのだから。だけれども、毎回毎回ナンバガを聴くたびにそれでは疲れてしまう。「自分を自分の中に溜めこむ」曲が上にあげたような曲だとすれば、「URBAN GUITER SAYONARA」は、一度自分を「外に預ける」ための曲なんじゃないかなぁと思う。“街はなんの感傷もない”と言う歌詞が分かりやすい。別に自分に何かを言って欲しいわけでもない。全てが他人という大きな場所に自分の身だけ移すことで、きわっきわに高められた自分の感情による圧迫から解放される事が出来る。逆に言えば、その気もなかったとしても「NUM-AMI-DABUTZ」を聴いてたら、嫌でもこれまたきわっきわに感情を高められてしまって、勝手にまた切り裂かれてしまうぐらいだ。

 そうやって今度は自分の感情ないしは自分自身の預け先を外に預けることで得られる安堵感に気付いたのが、2年ほど前、26歳になる年だった。なにがターニングポイントでこの曲の良さに気が付いたのかはあまり覚えてないが、確かにその頃はもう一度大学に通い直した年だった。私は日々授業の為街に繰り出しては、空き時間はキャンパスのあたりを散歩していた。ひとつ26歳にもなって敢えてナンバガの曲を毎日聴き返していた理由をあげるなら、ナンバガの良さを説いてくれた人が大学の1つ上の商学部の先輩だった影響もあるから(そしてその先輩は今もなお向井修徳信者だと言っているなぁ)、大学時代の記憶とナンバガはとても相性がいい。これは間違い無い。
そうすると、これはただ単純に年を重ねて行くうちに、〈もう自分の中に置き切れない感情が増えてかさばりだした年齢≒自分の外に自分を一度預けることを覚えた年齢〉と、大学に通い直した年齢が合致しただけかもしれない。だからやっと26歳でこの曲の良さに気が付いて、この曲からタイトルを拝借した小説を書いた。小説どころか文章さえ私はなんて数多く書かないが、今読み返してあの話には今に通じる私がちゃんと詰まっている。10人そこらの人間しかきっと読んだ事のない話で、読んでくれた人誰からも何も言われた事のない話なんだけれども、私がその話好きだから、それで十分なのかもしれない。
 上記のように、自分の気持ちを外に預けて、感極まるものから解放された状態で、少し私の身が軽くなった状態で人が往来する街の中を歩くのは心地が良かった。2年前に私がいた場所は主に東京都千代田区であったが、如何せん歌詞の舞台は福岡県福岡市。この頃から既に、一度は“狂う目から可愛しいへ向かって” 北上してはみたいものだと一寸の憧れを持っていた。更に私は現在仕事で、ほぼ毎日福岡県の取引先に何かしらの電話を掛けている。歌詞にある“狂う目“の「久留米」と“可愛しい” の「香椎」なんて、毎日のように文字を追いかけているから、福岡市の市外局番は「092」だっていうことも覚えている。流石に毎日毎日この文字を目の当たりにして、電話先の人間がたまに漏らす博多弁のイントネーションを耳にすれば、余計に福岡に行きたくなっても仕方ない。現在はお陰さまでなんとか暦通りに働く生活を消費しているだけなのだから、一寸の憧れの為に福岡市に簡単な旅をすることなんて、今ならできる。

 そして私は抑えられるだけの経費を抑えた福岡への1泊2日の旅行を計画した。泊まる場所は繁華街から少し離れたシェアホテルで、移動手段は成田空港からPeachを使う。むしろ自宅からは成田空港の方が近い。国内線であれば往復2万円少しで飛行機に乗れる時代であることをよく知らなかった。荷物も、家の転がっていたユニクロの軽いリュックに1泊分の洋服と洗顔道具などを詰め込んだだけだった。飛行機と言えばスーツケースが当たり前だと思っていたものだから、こんなに簡単な荷物で飛行機に乗って旅行が出来る事が、少し変な感じもした。

 なぜならそれより前に私が乗った飛行機の記憶は、昨年1ヶ月間だけロンドンに語学の勉強と言う名目で遊びに行った時の事で、その時は23Kgの大きなスーツケース1つに、手持ち用のスーツケースと移動用の黒いPORTERの鞄を抱えていた。両親が自宅から空港のターミナルまで車で送ってくれた。着いた先の国際線第2ターミナルでは、色々な人種国籍の人間が往来をしていた。私は右も左もわからぬ状態で、人とスーツケースの間をすり抜けて、ヴァージンエアラインのお姉さんにパスポートとチケットを手渡す。この時は航空券だけで往復で15万掛かって、インターネットでチケットを予約する時も、予約のボタンがなかなか押せなかった。何度も航空会社に電話をして、自分が乗るべき飛行機を確かめた。飛行機に乗っている時間は片道12時間。簡単に行けるような金額と距離ではない。その決断が相まってか余計に、私だけの熱量ではない期待と緊張感、高揚した空気がターミナルのフロアに覆いかぶさっていたように見えた。
 ひととおりの手続きを終えた後、往来する人の波を目で追いかけている私に対し、両親に「何食べたい?」と聞かれたので、「じゃあ渡航前にそば食べる」と言って、搭乗前にざるそばを食べた。その後はにぎわう空港内のショップで、耳栓やらおかしやら、思いつく足りないものはひととおり買ったあと、本屋で父親が「向こうで読みなよ」と言って、英語とイギリスに纏わる文庫本を何冊か買ってくれたが、申し訳ないが当然そんなものはいまも読了していない。
 そして私は両親に見送られて私は搭乗口に続くエスカレーターを降りて行った。たった1か月の渡航でしかなく、しかも26歳にもなって涙が出そうになったなんて、ださくて書けないけれど、でも、確か半べそぐらいかいていただろう。今振り返れば、その時はなにかと、「大袈裟」だったなぁと、思う。大袈裟に、海外渡航前のお決まりのイベントを、ひととおりこなしただけなのかなぁ、なんて斜め上からあの時の自分の様子を皮肉ってしまう。因みにロンドンに行った後、極力日本語の曲は聴かないようにと心がけていて、(これもまたお決まりではあるのだが……)MUSEとKasabianかBBCのラジオを聴いていたのだが、どうしても日本語のリズムが愛おしくなった時には、やっぱりナンバガを聴いていた。

 然し、ロンドン渡航前の、その熱量はどこへか。

 今のわたしの荷物の少なさ。そして、ターミナルの閑散とした空気。むしろ、国内線ターミナルの待合場にはあまりご飯を食べるところもない事にきょとんとしてしまった。スタバに行きたければ、成田空港駅の手前まで戻らないといけないし、それ以外に飲食店が集まるところに行こうと思えば、国際線ターミナルをこえて行かないとない様子だ。国際線のターミナルに差し掛かるところまで足を運んでみたものの、そこは1年前と同じように、国際線の便を待つ人々の波。ここをくぐってまでご飯を食べなくても良いや、と思うほど、力を抜いていた。
 だから、私は煙草を吸う事にして、ここで煙草を吸っている。NUMBERGIRLを聴きながら、煙草を吸っている。周りにいるのは4名ほどで、全て男性。隣の2人組は欧米から日本に来ただろう旅行客だ。日本には慣れているような様子もあった。左側では、スーツを着たビジネスマンが電話でアポイントメントの確認をしている。これから出張でさっと何処かに飛ぶのだろうかなど、そんなことを思った。
 あの日あの時出国前の熱量は、今ここには無い。だけれどもそんな熱にうなされているだけが旅でもない。確かに1年前と比べたら、少し変な感じもする。少し変な感じもするが、総じて見れば、むしろ大きなトランク抱えて国際線のターミナルにいるよりも、こじんまりと国内線に乗って出かけるほうが、肌に合うんだと思う。
 日々の生活できわっきわまで抑圧されていた私の感情は、今ここで、少しずつ解けていく。悪いこともあって、泣きたくなることもいっぱいあって、だけれども、日々の生活に順応するためには、そんな感情もなるべく出さぬようにしなければならない。そんな感情が、今少しずつ解けて行く。そして解けた感情を、一度外に預ける。この曲に任せて、外に預ける。今は何も考えなくていい。ちゃんとこの歌詞とメロディーだけ追いかけていればいい時間がこんなに贅沢な時間だと、再認識したのはいつぶりのことか。なんだかちょっと安心していると、煙草の火が切れたので、しぶしぶと喫煙所を後にした。搭乗ゲートに向かうには些か早すぎるかもしれないが、チェックインカウンターにいても特にやることも、もうない。やっぱり搭乗ゲートに向かってしまおうと、ひとりぽつぽつ閑散とした土曜日、国内線ターミナルを上に上がって行く。私の前を歩くのは、黒い淵の眼鏡をかけて短髪の男性と、花柄のスカートに、明らかに旅行を意識しただろうローヒールのパンプスを履いた女性だった。ふたりとも、荷物はそれぞれショルダーバッグで身が軽そうだ。大きい荷物はもう機内に預けてしまったのだろう。仲良さそうに旅先で何をするか、なんていうことを話してるのが聞こえる。それでも私は、いまここに、ひとりでいる。そのことが、なんだかよくわからないけれど、不思議と誇らしく思えた。誰かと一緒に行く旅も楽しいのかもしれないけれど、その「誰か」との関係にヒビが入ってしまえば、旅自体の記憶も悪夢へと変わってしまうだろう。そんな考え方をしてしまう癖は、ずっと変わらない。そんな自分に誇らしさを抱いていていいのかどうか。この癖が、私の周りにいる誰かを傷つけたりはしないか。そんなことは、今はどうでもいい。そんなことを考えるのは後回しにして、博多に着いたらまず何をしようか考えよう。何をしようか、じゃないかな、NUMBERGIRLのどの曲を何処で聴くか考えよう。聴きながら、福岡市内を歩こう。きわっきわに高められた感情を、外に、外に、外に預けること。
 
“土曜に北上 黙々人(もくもくひと)の群れに出くわす
ハガクレの思想を持ってしても 歯が立たんヤツにでくわす”
 
 歌詞の通りに久留米から香椎へ向かえば方角は北上。そういうことだから、成田から福岡に向かえば北上どころかそれは南下。そんなこと、別に気になんてしない。私は土曜に北上。成田から福岡に向かって、北上する。ひとりで、少ない荷物だけ抱えてふらりと北上。いま、私は私の為だけに、北上する。誰からも見送られることなく。涙を流すこともなく。じゃあね、飛行機の搭乗時間だ。行ってくる。誰からも見送られることもなく。そして、迎えられることも、なく。

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たかなしみるく。

「感情の墓場を、詩と呼ぼう。」: note( http://note.mu/001203mm )、深呼吸する言葉( http://d.hatena.ne.jp/xxmilk69xx )
得意技は モテない・拗らせ・考えすぎの三拍子 エッセイ。