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鏡の箱に手を入れる 3 穂崎円

summer

風船爆弾、あるいは弟によく似た人について
 
 弟にうりふたつの顔をした人を知っている。

 その人と会ったことは一度もない。というのもわたしが生まれたとき、既にその人はこの世の人ではなかったからだ。親戚の家の、浄土真宗特有の大きい仏壇に置かれた銀縁の写真立ての中、工学の研究をしていたというその人は、いつも鋭い目つきでこちらを見詰めてくる。ぶっきらぼうで頑固な人だったけれど、道理が通っていれば誰の意見も分け隔てなく聞く人だった、そんな風に聞いている。
何の折だったか、その人の若い時分の写真を見せられたことがある。学生時代の写真だったのだろう、詰め襟を着て頭を刈り上げにしたその人の顔は、当時中学生だった弟の顔とまったく同じだった。まるでタイムスリップだとみなに言われて、弟はひどく嫌そうな顔をしていた。
 本人に会ったことは一度も無いが、法事などで親戚が集まると年配者達がその人を話題に出すことは多く、幼い頃から彼に纏わるエピソードはわたしもよく聞かされていた。象牙の塔の住人、学者気質などという言い方がある。ニュースなどを見る限り今時の研究者はそんな風にやっている余裕はおよそ無いだろうと思うが、その人が存命の頃、学者はそのようにして生きることがまだ可能だったらしい。すなわち話を聞く限り、彼は典型的な学者気質――頭は良いが相当の偏屈者で場の空気を読むことなどしない人だったようで、周囲は彼の言動にひやひやしていたらしい。とはいえ話として聞くぶんには被害も及ばず面白いだけだったので、幼いわたしにとってある意味彼は憧憬の対象だった。
 頭が良くて偏屈な人間がいることは多々あるが、偏屈な人間がおしなべて頭が良いというわけではないし、頭が良くて偏屈ではない人間も当然存在する。
だから偏屈な人間に妙な憧憬を持つのは避けるべきである。そう気付いたのはそれから結構後のことだった。
 
 その人に纏わるエピソードのひとつに、風船爆弾の話というのがあった。
 彼が研究者として働いていた頃、日本は戦争をしていた。資源に乏しい日本は海外からの資材の輸入を絶たれ、兵器の生産があっという間に困難になってしまう。そうした中で開発されたのが風船爆弾だ。
 風船爆弾は陸軍研究所が開発したものだが、そこに彼も多少係わっていたらしい。風船爆弾とは名前の通り風船――こんにゃく芋で作った糊で和紙を何枚も重ね、貼り合わせて作った気球に水素を詰め、爆弾を付けて空へ放つものだ。アメリカ本土まで到達すれば風船に付けた爆弾が炸裂し、地上の敵を攻撃する。もとは陸軍少佐が考案したもので、女学生を秘密裏に動員、日本劇場や宝塚劇場などで作られていた。理由は簡単、天井が高かったからだ。実用化は一九四四年、翌年春まで利用された。
 風船爆弾がアメリカ本土に到達し人を殺傷した事例は一例のみだ。オレゴン州できのこ狩りをしていた家族連れが死んだという。気流に乗った風船爆弾はそれなりによく飛んだらしいが、飛ぶためには気球に十分な大きさが求められたので(何しろ日本劇場と宝塚劇場が使われたくらいだ)、日本から飛んでくる風船爆弾の存在にアメリカ側もすぐに気付いた。本土に到達する前に爆弾のほとんどは撃墜され、あるいは撃墜を待たず自然に海へ落ちたという。もっとも、気流に乗ってアメリカ本土に到達したということはそれなりの水準に達していたということでもあるだろう。
 和紙に糊、日本特有の技術を活かした日本にしか作れない兵器だと。
 そんなことが当時大まじめに言われていたらしいと、酒の回った年配者達は笑いながら言っていた。そう、風船爆弾の話は年配者たちの中ではいわば定番の「ネタ」だった。「日本人」の伝統技術を特集したテレビ番組などを観ていると、たまに思い出す。
 こんにゃく糊と和紙で出来た兵器。
 それを開発しながら、彼を含めた研究者達は一体何を思ったのだろうな、と思う。
 
 文系、理系という区分を採用するならば数学は正負の数、化学はモル計算で挫折した自分は間違いなく文系に分類されると思うのに、戦争と科学技術、及びそれに携わる人たちのエピソードについてわたしがつい気になってしまうのは、風船爆弾のような話を幼い頃から聞かされていた影響もあるのだと思う。映画「風立ちぬ」を例に挙げるまでもなく、科学技術はそれが利用されていくイメージが素人にも分かりやすいし、趣味の悪い言い方をすれば劇的で面白い。
 よく言われる話だが、戦争は技術を発展させる。ゼロ戦の技術は戦後に新幹線を産んだし、電子レンジに使われる電磁波はもともと軍事利用を念頭に研究されていたものだ(ただし兵器としての実用化はされていない……と思っていたのだが、この文章を書くにあたり改めて確認してみたところ、アメリカで十年ほど前に開発された非殺傷兵器が電磁波を利用していることが分かった。まさに日進月歩である)。缶詰はナポレオン戦争時代にレーションとして登場したのが最初だし、ベトナム帰還兵のためにアメリカでは義肢やリハビリテーション、PTSDの治療研究が急速に進んだ。
 もちろん、技術の平和利用は主張されてきた。ダイナマイトを戦争に利用されたノーベルはノーベル賞を設立し、原子爆弾開発についてアメリカ大統領に手紙を送ったアインシュタインはラッセル=アインシュタイン宣言に署名、核兵器廃絶と科学技術の平和利用を訴えた。
 学生時代、科学者の倫理について授業で取り上げられたことがある。授業冒頭に見せられたビデオ教材では若い研究者が軍の兵器研究への協力要請を受けて葛藤していた。要請を受ければいい待遇が受けられる。妻も子どもも優先的に守ってもらえる。でも兵器研究をするということはいわば間接的に人殺しに手を貸すことだ……そんな内容だった。アメリカ製の教材だったと思う。
 そんな単純なものかな、とビデオを見ながら思った。その二つは対等な二項対立として語れるものなのだろうか。そもそも戦争中に、そんなに分かりやすく人は葛藤することができるのだろうか。
 でもそれならその時、一体どう思うのだろう。
 多分、実験と論証の積み重ねで一般的には社会の価値観や感情から切り離されたものとされる科学というものが、感情を持った人間の都合により意味づけが変えられていくように見える、その過程を面白いと思っているのだと思う。
 
 科学、科学技術の歴史を紐解いてみたとき、宗教やオカルトとの関係は欠かせない。地球は太陽の周りを巡る惑星で球体だと主張したガリレオは宗教裁判に掛けられた。それは聖書の世界観を否定するものだったからだ。万有引力を発見したニュートンの時代になると科学は神の御業を証明するためのものと言われたが、ガリレオの時代のことを考えると、それは方便としての部分もあるのではないか、という気がする。ついでに言えばニュートンは錬金術研究でも名高く、彼の所属したイギリス王立協会では当時、占星術の研究も行われていた(ニュートンの時代は大航海時代と重なっており、天体観測のデータの積み重ねである占星術は、海運の観点からも重視された)。
 占いや錬金術と絡み合っていた科学はニュートンの時代以降少しずつ、これら分野との切り分けが図られていく。それでもダーウィンが「種の起源」を発表したとき、ガリレオの時代から二〇〇年は経っていたにも係わらず、宗教界を含め人々の反発は強かった。進化論によれば人は神の似姿ではなく、獣の一種ということになるからだ。
 こうしてみると科学的価値観による世界観を(比較的) 優位に置く価値観は極めて最近のものであり、それより前は宗教が長らくその位置を占めていたことに気付く。その一方で科学自体はどんどん発展し、ips細胞が話題になったのだって今となってはずいぶん前の話のような気がしてしまう。
 なぜ人は産まれて死ぬのか、死んだらどこへ行くのか。時に考えられないほど無惨なことがこの世に起こるのはなぜなのか、こんな恐ろしい世界でどうすれば恐れは無くなるのか。自分はどう生きるべきなのか、この命に意味はあるのか。
 こうした不安を解消するために信じる「物語」が宗教であると極めておおざっぱに定義してみたとき、科学、あるいは科学技術とは時に「物語」と「物語」を抱く個人の存在そのものを疑い、脅かす存在となりえる。
 わたしたちの体を構成する原子が何億年前も前に砕けた星の欠片だったということを解き明かしたのは物理学の成果であり、宗教ではない。砕けた星の欠片にわたしはロマンを感じるけれど、それは科学の営みの本質ではないかも知れない、と思うことがある。砕けた星の欠片に科学は意味を与えない。ロマンはむしろ「物語」に近い。
 不安を解消するために信じる「物語」が宗教なら、何の宗教も持たないことは難しい。クリスマスもお正月も初詣もまとめて満喫し、興味半分で各種宗教施設を見学しているばち当たりなわたしも、多分ぼんやりとした「物語」を持っているのだろう。ただ、それが科学とぶつかる場面が少ないだけで。
 そういえば以前、テレビ番組でネットの活動ログから故人のAIを創造する取り組みが取り上げられていた時、twitterの番組専用ハッシュタグを追っていると、その取り組みに激しい拒否反応を示しているアカウントを見かけたことがあった。
 多分、その人にとってはそこが「ぶつかる場面」だったのだろう。故人が故人であることを生者は受け入れるべきであり、それに反することは何一つすべきではないという「物語」と。
 科学者や技術者さえ、己の「物語」から完全に離れることはきっと難しい。それが誰かを傷つけるものであったとしても。
 ましてそれが自身の仕事と密接に関わっていれば、尚更。
 
 戦争と科学技術、及びそれに携わる人々に思いを馳せるとわたしは書いたが、もっとはっきり、悪趣味な言い方をすれば、わたしは戦争に利用された自らの研究について、彼ら自身はどう考えていたのかが気になっているのだ。それは彼らが彼らの壊れた(壊された?)「物語」をどう処理したかということでもある。ダイナマイトを戦争に利用されたノーベルはノーベル賞を設立し、アインシュタインはラッセル=アインシュタイン宣言に署名した。湯川秀樹は原子力委員会に所属したが、一年強で半ば強引に辞職した。
 映画「風立ちぬ」の主人公は燃えた飛行機の残骸を前にラストシーンでこそひとり呆然としているけれど、彼はノーベルやアインシュタインのようなことは絶対しなさそうだなあ、と思う。もっと資源があればと言いながら和気あいあいと勉強会をしていた彼の同僚たちは、戦後もあんな風に一丸となって新幹線を作っていくのだろうか。もちろん映画はフィクションだけど、でもどちらも実際にありそうな気がして、だからこそあの映画は怖かった。お前はどれだ、いいやお前には何かを作ることさえできやしない、そう言われているようで。
 ほら、貴方の作ったものがこんなに沢山の人を殺したんですよ。
「風立ちぬ」のラストシーンのようにそう言われるようなことが仮にあったとして、それを人は本当にちゃんと理解できるのだろうか、と思う。どんな立派な志があったとしても自分のやったことは結局誰かを死に至らしめていたのだ……仮にそう理解できたとして、ではそれにどう対応するのが「正しい」のだろう。
 軍事研究を持ちかけられた研究者の葛藤よりも、軍事研究を持ちかけられ、引き受けた後にその研究者がどうするのか、それについて何か葛藤するのか、できるのか、ということの方が個人的にはよほど気になるし、そちらの方が本当じゃないかとも思う。
 そして言うまでもなく、戦争で人を殺すのは科学技術だけでは決してない。創造的能力を持たなくても他者を死に至らしめることは可能だし、「物語」が壊れる(壊される、でも誰に?) のは技術者や研究者だけに限らない。
 
 風船爆弾の研究に関与していたその人が広島の平和記念資料館設立時に寄附をしていたと知ったのは、少し前のことだ。資料館が設立されたのは原子爆弾投下からちょうど十年後、一九五六年のことになる。
 どうして寄附をしようと思ったのか、どうしてそこを選んだのか。きっと何かしら経緯なり思いはあったのだと思うけれど、今となっては誰にも分からない。実は彼は他にも先の戦争に関連した寄附や援助をしているのかも知れない……そんなことを夢想したこともあるけれど、それだってやっぱり、分からない。
 個人的にはそれは彼の、壊れた「物語」への彼なりの対処の一貫だったと思いたいけれど、それはわたしがわたしの「物語」のためにそう思いたいというだけの話で、実際にはそんな感傷的な話ではないのかも知れない。そう思いながら、壊れた「物語」を立て直し向き合うのに必要なものは何だろうと、わたしは何度も考えてしまう。いや、そもそもどうすれば向き合ったことになるのだろう、そう考えてしまう。
 だってわたしは理系ではないけれど、「物語」が壊れること、うつくしい飛行機を作るのに夢中になって気が付いたら(でも何も気付かないなんて本当にあるのだろうか?) 誰かを殺すことに荷担していた、そういうことなら、この先いつか体験するかも知れないのだ。いや、今がまだそういう状態ではないと、過去にそんなことはひとつも無かったと、一体どうして言えるだろう。
 そしてきっと「物語」が壊れたらそれと向き合っていくには十年、二十年、時には一生かかっても足りないのだ。
 
 一九四五年、国会にひとりの研究者が招聘された。兵器開発の現状について質問された彼は、答えて次のように言ったという。必死でなく必中の兵器を生み出すことがわれわれ技術者の念願であったが、これが十分に活躍する前に、戦局は必死必中の神風特攻隊の出動を待たねばならなくなった。誠に慙愧にたえず、申し訳ない……。文学にも科学にも、およそあらゆる分野に報国会というものが設立されていた、そんな時代のことだ。
 自国の兵士が必ず死ぬ兵器ではなく、敵兵に必ず中って殺せる兵器を。
 そんな兵器の開発を国から求められること自体がそもそもひとつの悲劇ではないか、敵兵ならば死んでいいのかと。言われればまったくもって正論だ。それでも申し訳ないと言ったそれは、国が若い学生を無駄死にさせるような局面にまで至ってしまった一連の経緯、それを防ぐことに己が何も貢献できなかったことへの悔しさがあったのだと思う。答弁は新聞でも大々的に報道されたらしい。
 こんにゃく糊と和紙で出来た兵器を開発していた彼も、だからきっと記事を読んだはずなのだ。
 
 その時彼はどう思ったのだろう。
 一度も会ったことの無い、けれど弟にそっくりなその人についてわたしは考える。もうずっと、考え続けている。

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穂崎 円(Hosaki Madoka)つきのこども/あぶく。

http://mondekind.hatenablog.com/

nattuan

なっつぁん(nattuan)1995.9.19 愛知県生まれ

イラストレーター デザインの大学に在学中。