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はつ花かぞえ 葛引すい子

2015_10

第七回  十月 以呂波楓(いろはかえで)
 
 紅葉の季節です。この時期、天気の良い日に山へ行くと、燃え立つような綾(あや)錦(にしき)が楽しめますね。とくに、日の光を受けると、木の葉の一枚一枚が燃えるように輝いて、山腹が龍の鱗のように沸き立ちます。そして、雲にかかって影がさすと、しんと静まる。やがてまた日が照る、煌めく……もう少しで雪の季節ですから、あの青ざめた白と灰色におおわれるまえに、つかのまの絢爛を楽しんででもいるような、にぎやかさです。
 春の女神は佐保(さほ)姫(ひめ)、秋の女神は龍田(たつた)姫(ひめ)。春霞は佐保姫が織り、紅葉は龍田姫が織る、という謂われがありますが、紅葉のメカニズムが明かされていなかった時代にはなおさら、錦秋のみごとさを神の手わざとして、言祝(ことほ)ぐ気もちが強かったのかもしれません。
 しかし今回おはなしするのは、山々を彩る盛大な紅葉のことではありません。庭さきにたたずむ、ちいさないろは楓(かえで)の思い出を、ひとつ。
 
 
 いろは楓……いろはもみじ、とも呼びますが、これはわが国で「楓」と呼ばれているもののなかで、もっともメジャーなものになります。ですが、その分布域は南東北までで、私が暮らしたことのある秋田や札幌では、自生することはないと聞きます。その代わり、園芸種として愛されているようで、ひとの手の入る場所でなら、よく目にします。おそらく、子ども時代に庭で見たもみじは、このいろは楓であったろうと思います。
 いろは楓は、紅葉する植物のなかでも、とくにひとに愛されてきた木です。紅葉を「もみじ」と読むことで、楓の葉をさすこともあるように、その赤々とした色づきはイチョウの黄変などよりも艶(あで)やかで、ぐっと目を引きます。とくにいろは楓は、山でよく見るいたや楓などよりも、葉の造形や枝ぶりに都(みやこ)びた繊細さがあって、女性的なうつくしさを覚えます。だから子どもだった私も、紅葉といえば、この木のものがいっとう好きでした。そしてその木は、私が子ども時代の大半を過ごした、祖母の家の庭に植わっておりました。
 
 祖母の家といってもそれは、私が日ごろ寝起きする両親の家と棟つづきにありました。ですので、小学校から帰るとよく、両親の仕事が終わるまで、そこにいりびたっていたものです。二階建て、木造モルタルの古い家屋でした。庭の一辺に沿うように、横に長い造りになっていました。庭に面した部屋には、かならず縁側か大きなガラス戸がありました。子ども時分の私は、妹と連れだって、そこから庭に転がり出たものです。子どもは、外で遊ぶのが好きないきものですから。
 夏が過ぎ、秋がやって来ると、庭の木々は葉を赤に黄に染め、または茶色の葉を落としはじめます。夏や春とは、まったく違ったすがたになります。庭のすみっこや奥の方にある果樹……栗や柿、ひめりんご(これは、酸(す)いので食べませんが) の木には、ささやかながら、家人や野鳥が食べられるくらいの実が成ります。外に出るときは、かならず上になにか着るよう言い聞かせられる季節です。
 
 その日、祖母宅のいちばん奥にある和室(私がごく幼いころに亡くなった、曾祖母の部屋だったようです。日ごろあまり使われない部屋で、いつもなんとなくひんやりとしていたのでした)にいながら、縁側に面した障子をながめておりました。使うひとのいない部屋ですから、障子紙にできた小さな穴や裂けめは、繕われぬままにされていました(猫のしわざではなかったでしょう。穴はごくささやかなものでしたし、あのころいた三毛猫は、私たちの目つけ役をつとめるほどに賢い、すてきな猫でしたから)。
 その瑕疵(かし)がどうしても気になって、私は祖母に「どうして直さないの?」とたずねたのでした。すると、「むかしは紙を貼り直して使ったものだけれど、今はそうするひともいないのよ」との答えが返ってきました。その、むかしのひと、というのが、祖母の思い出のなかにある、特定のだれかをさしていたのか、それともばくぜんと「むかしのひと」一般をさすのかは、当時の私には分かりませんでした。祖母の家は、往時よりもずっと、住むひとの数を減らしていました。……少し気になったのを覚えていますが、それは置いておいて、私はつぎに、「ぜんぶはりかえるとたいへんなら、ちょっとのあなを直すのは、どうするの?」とでも訊いたのでしょう。すると、「和紙を花のかたちに切って貼ったり、落ち葉を貼ったりしたものよ」と教えてもらいました。
「じゃあ、落ちばをはってもいい?」
 祖母はいつでも、子どもの突拍子もない、稚気ゆえの思いつきを、受けいれてくれるひとでした。それは今でもあまり変わらないようで、祖母のなかには、彼女が子どもや少女であったころの魂が、褪せることなく息づいているのだなあ、と、よく思います。このときもまた、明るい笑いでもって承諾してくれました。そして私と妹は、庭に飛び出してゆきました。
 
 庭で私がひろったのは、一葉(いちよう)のいろは楓でした。地に敷かれた葉は、取りあげてみると枯れが進んでいるか、虫に食われているかしていて、よい恰好のものを見つけることはなかなか難しかったのです。まだ、枝についているものはうつくしかったのですが、だからといってもいでしまうのは、気が引けたのです。ですから、落ち葉のなかからこれぞ、と思えるものは、けっきょくそのいろは楓ひとつだけでした。そのたった一枚の葉っぱをもって、家に戻りました。妹は、よりシックに、ちいさな楕円の落ち葉をひとつ、もってきました。ちょっと同定はできかねますが……下に写真を載せましたが、なんの葉でしょう。むだに口数が多く、分かりやすい好みをしている私とは違い、妹はじしんの基準にしたがって、目の前のものごとに黙々と向き合う性格をしていました。その感覚は、とくに絵を描く才につながったようです。姉妹の違いが、選ぶ葉の一枚にも、よく反映されていたのでしょう。
 
 さて、葉をもってきたはよいものの、子どもの考えることですから、その底はわりと浅いのです。どうやって障子に貼りつけようか悩んだあげくに、のりではあと戻りがきかないので、さわりがあっては困るから、セロハンテープですませよう、と思ったのでした。居間の大きなちゃぶ台の下からセロハンテープをもってきて(そういえば、子どものときはセロテープと呼んでいましたが、どちらが正しい名称なのでしょうね。なんとなく、セロテープは商標のような気がします)、奥の和室へと運びいれました。しかし、私たちが取ってきた葉では、障子のどの穴も、裂けめも、ふさぐには足りなかったのです。そこで、ここが子どもらしいのですが、当初の目的を無視して、とくに傷のないところ、でもちょうど目の高さのところに、ぺとぺとと落ち葉を貼ったのです。その仕事がすんでしまうと、さっそく祖母を呼んできて、できばえを見てもらったのですが、これも笑って受けいれてもらいました。破れをほうっておかれた障子ですから、子どもがこれ以上いたずらをしても、とくになにも問題がなかったということもあるでしょうが、祖母特有の、このおおらかな慈愛に、私たちはいつも許され、包まれてきたのです。
 
 そして、この障子に貼られた落ち葉は、祖母宅が解体されるまで、そのままそこにありつづけました。祖母の家は、私が小学校を出るか出ないかのときに、空き家になりましたが、ほ(・)ど(・)か(・)れ(・)たのは、つい最近のことです。祖母たちは、一番年長の叔父(母には、三人の弟がおります)が庭に新しく建てた家に移ったあと、長いこと母屋(おもや)をそのままにしておりました。古い母屋が取り除かれることが決まったのは、つい二年ほどまえのこと、一番年若の叔父が、そこに新居を建てはじめたのがきっかけでした。
 古い祖母の家は、私たち姉妹の幼少期そのものでした。私たちはあの家のなかで、遊び、泣き、眠り、食べ、叱られ、かわいがられてきたのです。解体される少しまえ、そろって帰省していた妹といっしょに、長く閉ざされてきた母屋に入りました。妹はわりあいに写真をよくするひとですので、一眼レフのカメラをたずさえておりました。
 十年ぶりに入った母屋は、記憶よりもずっと低い……狭い、という感じはなかったのですが、なんでも低く見えたのです。幼いころの私は、とても背丈の低い子どもでした。思春期を迎えてから急に、一年に十センチほど伸びるようになって、ようやっとひとなみの縦はばになったのです。ですから、背が伸びてからはじめて見る母屋は、あらゆるものが低く見えました。猫のあとを追ってよじ登った戸棚も、おとなの脚のひとふりで上に立つことができるほど、低いものでした。昔は、はるかに偉大でしたのに!
 そんな、思い出深い部屋部屋をめぐり、一階のもっとも奥にある、あの和室へと入りました。縁側と畳じきをへだてる障子を見ると、あのいろは楓が、ちゃんと残っておりました。まっ赤で、うつくしい星のかたちをしていたいろは楓は、かさかさに乾いて縮れています。しかも、貼りかたが乱暴でしたので、ちょっとみばえがよくないのです。桟(さん)をはさんで向かいに、妹が貼ったツツジかなにかの、小さな葉があります。むかしから、手仕事のていねいな子でしたから、こちらはちゃんときれいでした。ふたりで懐かしがって、写真に残しておきました。
 
20151001 私のいろは楓。ちょっと……乱暴ですね……。
 
 
20151002 妹のもの。きれいに貼られております。
 
 今、あの祖母の家はありません。そこには、叔父の新居が建っていて、今年の春に生まれたいとこが、日に日に大きくなっていきます。かつて、年老いた三毛猫が歩いていた庭には、赤んぼうのいとこといっしょに暮らす優しい猫が、静かに散歩しております。その庭をとおって、奥にあるもうひとりの叔父の家に行くと、ろくに帰省しないこの不義理な孫を、祖母はむかしと同じ、大きな抱擁で迎えてくれます。
 あの古い家がなくなったことを、悲しいとはほとんど思いません。あの日、あのとき、幸せだったことは、その場所がすがたを変えてもなくなるものではありませんし、むしろ、変化は好ましいものです。変わらない、ということは、しかし着実にさびれてゆくことでもあります。だから私は、おのれの大事なところほど、変わりつづけていて欲しい、と、わがままかもしれませんが、そう思います。叔父の家は、ふたつとも新たな思い出を私にくれますし、そこに住まうみなが、活き活きとして日に日にありようを変えていくのを見るのは、嬉しいことなのです。
 それに、少しすがたを変えた庭には、なじみの木々たちが、ちゃんといてくれています。あのいろは楓も、以前お話ししたアジサイも。三毛猫のなきがらを埋めた黄蘗(きはだ)の木、毎年かならず爛漫と咲く花海棠(はなかいどう)……。記憶とはかすかに違うけれど、みんな、そこにいるのです。……ふるさとを離れても、古い思い出はいつだって、心のなかによみがえってきますし、たまに帰ってみると、新たな記憶を授かることができるのです。思い出は、すべて流れてつづいていくものなのですね。

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葛引すい子(Kuzuhiki Suiko) @KuzuhikiSuiko

90年1月生。秋田出身、札幌市在住。文系大学院に所属する学生。
写真は妹(右側)と庭で。94年、初春。

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ひらのにこ(Hirano Nico)

心の奥底に眠るものを、揺らぐ心を、少女を通じて淡く柔く描いている。
2014より都内を中心に合同展に参加。
アジア創造美術展2015(国立新美術館)にて審査員特別賞受賞。
http://www.nicohirano.com/