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はつ花かぞえ 葛引すい子

2015_9

第六回  九月 薄(すすき)
 
 九月ですね。九月のもっとも大きなもよおしごとといえば、十五夜、すなわち中秋の名月でしょうか。今年の中秋節は、二十七日になるそうです。このエッセイが公開されるのは、毎月二十三日と決まっておりますから、もうすぐ十五夜お月さまがお空に昇ることになります。晴れていたら、よいですね。
 実家では、この十五夜にあわせて、いろいろと準備がされていました。芋名月ですから、祖母がお芋の料理をつくったり(十月の十三夜は栗名月ですから、そのときはたしか栗を食べたような気がします)、両親が近所の野原からススキをとってきたり……。日ごろ、ススキは主役として活(い) けられることはありませんが、この夜ばかりは月の光をすなどるかのように、中秋の象徴としてだいじにされます。寂しい空き地にそっと群れているすがたも、わりあいに好ましいものではありますが。
 
 お月見にはススキ、というこの組み合わせが、いったいいつごろから始まったのかは存じませんが、由来を少し調べてみました。どうやら、刈り穂にみたてて秋の収穫をことほぐため、そして、月の神さまである月読尊(つくよみのみこと) の依りしろとするため、という説があるようです。となると、ススキのふんわりした穂先のなかに、月読尊がひっそりと宿っていることになるのでしょうか。
 月読尊……きょうだいである天照大神(あまてらすおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと) とともに、世界を三つに分けて統治したはずのこの男神ですが、とても謎めいた存在です。父である伊弉諾尊(いざなぎのみこと) から「夜の食国(おすくに)を知らせ」られた、つまりは夜を治めるよう命じられた彼には、ほかのきょうだいのように、多くのエピソードがあるわけでもない。古事記ではその誕生しか語られていませんが、日本書紀ではひとつだけ、彼にまつわる有名なおはなしがあります。それは、食物をつかさどる女神、保食神(うけもちのかみ) を殺害する、というものです(ちなみに古事記では、素戔嗚尊がおこなったことになっています)。
 姉である天照大神の命によって、保食神のもとをたずねた月読尊は、女神からぜいたくな食事で歓待を受けます。しかし、それらは女神の口から吐き出されたものであったため、穢らわしい、と憤慨した月読尊は、保食神の体をばらばらに捌いて、これを殺してしまいます。しかし、保食神の死体からは、牛馬、五穀に蚕など、のちに人間たちを育む重要な作物が生まれました。天照大神は、これらの誕生にたいへん喜びましたが、月読尊の凶行そのものにはおおいに怒り、彼と訣別いたしました。それゆえ、天照大神の統べる昼と、月読尊の統べる夜とが混じることは、これよりなくなったのだそうです。すなわち、月読尊による保食神殺害の神話は、農耕牧畜の誕生と、昼夜の成立について語っているのですね。
 この保食神は、五穀の祖として、稲荷(いなり) 神社で多くまつられている神です。お稲荷……お狐さま。狐というと、ススキや月にイメージがつうじるものがあるのですが、皆さまはどうでしょうか。十五夜に捧げられたススキに、そっと宿った月読尊を、野原の狐はながめてでもいるのでしょうか。保食神の眷属として。
 
 
 さて、この狐ですが、個人的に浅からぬ縁を感じるいきものでもあります。北海道に住んでおりますので、通学路などでちょくちょく姿を見る、ということもありますし、むかし動物園で、とてもなつこい狐と出会ったからでもあります。なかでもとりわけ、父から聞いたあるむかし話が、ひじょうに強く印象に残っているのです。
 
 父方の一族は、もともと遠野の山中、宮守村(みやもりむら) という集落に住まいしておりましたので、かの柳田国男が採集したような伝説が、ごく身近なできごととして、いくつか語り伝えられています。そのうちのひとつに、高祖父が狐に化かされ、娘を丙午(ひのえうま) の生まれにしてしまった、というお話があります。今はあまり気にされることもありませんが、「丙午の女は夫を殺す」という俗説がありまして、当時……明治、大正のころには、とてもよろこばれたものではありませんでした。
 ほんとうのところ曾祖母は、丙午のまえの年に生まれていたのです。彼女は八月生まれのため、ハツと名づけられました。しかし、戸籍のうえでは、丙午である明治三十九年四月の生となっています。曾祖母が生まれを八ヶ月も遅くされ、丙午の女となってしまったのは、高祖父が狐に化かされて、役所に出生届を出せなかったためでした。
 
 ハツさんが生まれる少しまえ、高祖父は庭さきで薪割りをしていました。すると、すぐそばに子狐がやってきて、その作業をじいっとながめはじめました。高祖父は、婿養子だったこともあり、ひじょうに温厚な人物として知られていたのですが、このときばかりは違ったようです。もしかしたらすでに、「狐につままれていた」のかもしれません。最初は愛らしく思えていた子狐の目が、だんだんとたまらないほど腹立たしくなってきて、ついに彼は一片の薪を、子狐めがけて投げつけてしまいました。もちろん、当てるつもりはありませんでした。ちょっとおどろかすていど、子狐が逃げて、その目で見つめるのをやめてくれれば、それでよかったのです。しかし、地面を跳ねた薪は、子狐の小さい体にぶつかってしまいました。ぎゃん、と痛ましい鳴き声をあげて、子狐は草むらに消えてゆきました。高祖父はそれを見てハッとなり、「ああ、なにも悪さをしていないものに、なんとむごいことをしてしまったのだ」と、ひどく後悔したのだそうです。
 それからまもなくして、ハツさんが生まれました。高祖父は、遠野の役場に出生届を出すために朝早く家を立ち、山の中を歩いていたのですが、そこでふしぎな光景を目にします。なだらかな峠の上のほうから、小さな茶色い鞠がふたつ、ころころと降りてきたのです。その鞠は下りきると上まで登り、またころころと滑ってくる。よくよく見ると、それは二匹の子狐でした。いっしょになって、坂を滑りっこして遊んでいるのです。下りきりそうになると、器用にまえ足をつっぱらせて、速度を落としたりなぞしています。珍しいことをするものだ、と感心した高祖父は、そこに腰を落として、キセルを一服しつつ見物することにしました。しかし、そのひと吸いが終わると、あたりはすっかり暗くなっていました。まだ昼のことであったはずなのに、キセルの短い一服のあいだに日が暮れるとは! これは狐に化かされた、と思って急いで立ち上がった高祖父は、なんのためにこの道を来たのかを、すっかり忘れておりました。そうして、そのまま宮森の家へと帰ってしまったのです。
 それから、高祖父は娘の出生届を出すことを、ずっと忘れたままにしておりました。ようやっと翌年の春、ほかに用事ができて役場へ行ったとき、とつぜん思い出したのだそうです。しかし、もはや年は丙午となっていました。
 薪を当てた狐のしかえしだ、と悔いた高祖父は、ハツさんにことの次第を隠さず伝えましたが、彼女は父親のことも、狐のことも、まったく恨みに思いはしなかったのだそうです。ひどく優しく、遠慮がちなひとであったという高祖父は、曾祖母にとって大好きな父でした。その愛情ゆえに、彼のあやまちをなじる気はまったく起きなかったのだそうです。やがてその曾祖母も、ちゃんと婿を迎え、私の祖父が生まれました。
 
 
 祖父は長じてのち、盛岡に居を移し、父もそこで育ちました。遠野にあった家屋敷は十年ほどまえにほぐされ、今、宮森に住む親族はおそらくおりません。かの地で蚕を育て、短いながらも富に恵まれたというその家を、裔(すえ) の私は知りません。ですが、そこでおこったさまざまな物語は、いまだこうして語り継がれております。狐のほかにも、はかない栄華をもたらした座敷童のこととか、近所の馬飼いと河童のこととか……。そんなお語を耳にしてきた父は、柳田の『遠野物語』を「あえて読む必要をあまり感じない」と言います。また機会がありましたら、座敷童のことなどを、お伝えするのもよいかもしれません。まだ文字にしるされていない、遠野の物語のひとつとして。
 
 遠野の山中にあった宮森の家は、もしかしたらススキにおおわれて、森に帰ろうとしているのかもしれませんし、新しいだれかのお家が建っているのやもしれません。そこには狐は出るのでしょうか。その狐は、今もひとを化かしたりするのでしょうか……。皎々と照る月のした、ゆれるススキの穂の影で。

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葛引すい子(Kuzuhiki Suiko) @KuzuhikiSuiko

90年1月生。秋田出身、札幌市在住。文系大学院に所属する学生。
写真は妹(右側)と庭で。94年、初春。

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ひらのにこ(Hirano Nico)

心の奥底に眠るものを、揺らぐ心を、少女を通じて淡く柔く描いている。
2014より都内を中心に合同展に参加。
アジア創造美術展2015(国立新美術館)にて審査員特別賞受賞。
http://www.nicohirano.com/