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はつ花かぞえ 葛引すい子

2015_8

第五回  八月 松葉菊(まつばぎく)
 
 小学生のころ、夏休みの自由研究として、マツバギクの観察日記を作ったことがありました。マツバギクは、菊の名はついていますが、菊ではありません。南アフリカ原産の多肉植物です。
 この花は、朝に開き夕には閉じる、という性質をもっていましたから、朝と昼、そして夜のすがたを、一週間かけてポラロイドカメラで撮影しました。日中だけ赤むらさき色に開き、朝と夕には眠るように閉じている花の写真が、白い画用紙の上にぺたぺたと貼られてゆき、やがて休み明けには教室のかたすみを飾りました。
 こどものころは、花が閉じる、というのは枯れる、ということだと思っていましたので、咲きつづけながら閉じたり開いたりするマツバギクの習性は、とてもふしぎなものでした。花も起きたり寝たりするんだなあ、ぜんぜんすがたが違うなあ、というような素朴なおどろきを、感想に書いたのかもしれません。
 じつはこのマツバギクは、よそのお宅のものだったのですが、祖母を介して話がついていたように思います。研究課題に悩んで、猫といっしょに床の上に転がったり、手もちぶさたにノートのページにほおをべったり載せていた私に、マツバギクにするがいいよ、と教えてくれたのも祖母でした。私が育ったのは古い町でしたので、近所どうしのつきあいがわりあいに濃かったように思います。
 今回お話しするのは、マツバギクのことではありません。そんなふうに、せまい町のなかを屈託なくふらふらとしていた、幼い日のことを。のら猫が、今よりもずっと多く、ちまたにあふれていたときのことを。お話しようと思います。
 
 そのまえにまず、この思い出がひじょうに忌まわしいものであるということを、最初にお断りさせていただきます。のら猫に対する暴力についての記憶だからです。なお、ここで読むのをやめた方のために、それは私がしたことではないということを、言い添えておきます。
 
 もし、おつきあいいただけますならば、どうぞよろしくお願いいたします。幼いころのもろもろを思い返していると、すり減ることを知らない古いヤスリをつかんでしまい、どうしようもなく心がざわつくことがあります。その最たるものが、この記憶なのです。時間にするとほんの数分の、ごく短い思い出なのですが、いまだ忘れることができません。
 
 
 私の家のすぐ近く、細い道を二本ほど挟んだならびの向こうに、名も知らぬおばあさんが手入れする小さな菜園がありました。マツバギクは、いろんなお宅に咲いていましたから、この道でもそのすがたを見たおぼえがあります。
 菜園の細く短い畝のあちこちには、いつも数匹ののら猫が寝そべったり、たたずんだりしておりました。おばあさんは猫好きな方でしたので、えさなどを与えていたのかも知れません。私もちいさいころから猫が好きでしたので、その菜園のそばを通るときは、顔なじみたちに遊んでもらっていました。
 そんなある日、いつものようになじみの猫の背をなでていると、菜園の主であるおばあさんが話しかけてきました。彼女とは以前からよく話していたのかも知れませんし、あいさつていどしか交わしていなかったのかも知れません。それはもう忘れてしまいましたが、ただ、そのとき聞かされた話だけが、切り取ったような鮮やかさで思い出されます。
 
 菜園にたむろするのら猫のなかには、まえ足の一本が欠けた黒猫がおりました。その黒猫は、私に構いつけなかった猫のひとりでありましたので、その欠損が生まれつきのものなのか、そうでないのかは、そのときまで知りませんでした。彼女(たぶんメスだったと思います)を指して、おばあさんは「あの足は、悪いおばあさんが、怒って切り取ってしまったものなんだ」と私に教えました。そのとき自分が、なんとあいづちを打ったか覚えてはおりませんが、おそらくなにも返せなかったことでしょう。
 それでも、おばあさんは話を続けました。人形のように黙ったまま、しかし人形とはちがって食い入るように自分の話を聞く、耳だけの身となった純朴な聞き手が欲しかったのかもしれません。
 
 曰く、あの黒猫にはそっくりな母猫がいて、それがたいそう悪さをする猫だったのだそうです。そしてとうとう、ある悪いおばあさんが、家に現れた黒猫を捕まえて、まえ足の一本を斧で切り落としました。こうすればもう悪さをしないだろうと、たぶんに恨みをこめての行いでした。しかしそのあと、自分が足を落とした黒猫は、本来斧を下ろすはずであった猫のこどもであることに気がついたのだそうです。しかしそう気づいたとて、取り返しのつくものではありませんでした。だからあの猫は母猫と間違えられて、なんの罪もないのに三本足になってしまったのだ、と。それで話は終わりました。
 私はそのとき、彼女の言う“ある悪いおばあさん”が、本当は昔の彼女自身なのではないかといぶかしみました。しかし、そのおばあさんは本当に猫が好きな、やさしい顔つきをした方だったのです。とても、想像することもおそろしいほどのことをするようなひとには見えませんでした。
 きごとに対する言いしれぬ恐怖と、おばあさんを根拠なく疑ってしまったことへの罪悪感、そしてなぜおばあさんはその出来事を知っていて、ほとんど通りすがりといっていいこどもにそれを話したのかという疑問……これらの感情は、どうしようもない居心地の悪さを私に与えました……。
 
 もう十年以上も昔のことです。三本足の猫はもちろんですが、おばあさんも亡くなったとききました。真相がなんであれ、おばあさんはこのできごとをだれかに話さずにおれなかったのだろう、と思います。
 もし、そのおばあさんがほんとうに猫の足を切ったのなら、そのときの情の激しさと、今の穏やかさが、同じ人物のなかに宿っていることになります。もしそうでないとしたら、おばあさんは、一部始終を知りながら、猫を助けることのできなかった悔いを、ずっと抱えていたことになります。そのどちらにせよ、たいそうつらいことであったろう、と思います。だからこそ、こども相手にしか語りえぬことだったのでしょう。
 
 あのころは、単純だと思っていたこの世界が、じつはそうではなくて、ほんとうは恐ろしいほどの複雑さをもったものなのだ……とおぼろげながら、わかり始めていたときでした。
 花は、開いたらそのまま咲きっぱなしで、枯れるまでそのままでいるのではありませんでした。マツバギクは、花弁を閉じたり開いたりすることを、一日たりとも休みませんでした。彼らがどうしてそうするかにも、それなりの深い理由があるようでした。
 また、おとなたちは昔からおとなだったり、ある日とつぜんおとなになるものでも、どうやらないようでした。ひとりひとり違う道を歩んで、今のすがたに落ちついていったのです。おばあさんの後ろには、三本足の猫が影をさしていて、彼女の背に重くのしかかっているようでした。ほかのおとなも、いろんな光と影とをせおって、今の性格になったようでした。おとなたちは、いろいろな場面で見せるすがたを変えました。
 あのころ、気づきはじめたこれらの複雑さは、今でも解き明かすことのできないものです。むしろ、謎はいっそう深まりまったように感じます。ただ……思いがけず、指さきがその核をかすめたとき、身のうちに走ったふるえのひとつひとつを、忘れることはありません。

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葛引すい子(Kuzuhiki Suiko) @KuzuhikiSuiko

90年1月生。秋田出身、札幌市在住。文系大学院に所属する学生。
写真は妹(右側)と庭で。94年、初春。

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ひらのにこ(Hirano Nico)

心の奥底に眠るものを、揺らぐ心を、少女を通じて淡く柔く描いている。
2014より都内を中心に合同展に参加。
アジア創造美術展2015(国立新美術館)にて審査員特別賞受賞。
http://www.nicohirano.com/