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はつ花かぞえ 葛引すい子

2015_6

第三回
六月 額紫陽花(がくあじさい)

 こどものころ、自分がものを忘れるよりも、ほかのひとが忘れものをしたときのほうが、ずっと悲しかったのを覚えています。そう思うようになったきっかけは、庭に咲くガクアジサイのもとに置き去りにされた、ひとつのぬいぐるみにあります。
 
 こどもはものをよく落とし、忘れ、置き去りにするいきものです。私ももちろんそうだったと思います。よく注意の散漫になるこどもでしたから、なみよりも、忘れものは多かったはずです。それでも自分のした忘れものについては、なにひとつ思い出せません。私はおとなのそばから離れたがらないこどもでしたので、忘れものはほとんどすべて、彼らによって拾い上げられてきたのだと思います。だから覚えていないのでしょう。ですが、妹のある忘れもののことを、いまだに忘れられずにいます。
 
 私が生まれた次の年、すぐに妹は生まれました。仲はひじょうによろしかったようです。
 ある日、もう丹精するひとのいなくなった庭で、いつものようにふたりで遊んでおりました。この庭を手入れしていたのは、母方の曾祖父、そして祖父だったのだそうですが、そのどちらとも、私が生まれるまえに亡くなっていました。人の手がほとんど入らなくなって数年をへた、それはまさしく荒れ庭でしたが、こどもにとっては楽しい遊び場でした。縁側に面して広がるのは、麦畑の背の高い草がぼうぼうと生えた芝生。片隅には、壊れた盆栽を載せ、はんぶん崩れたひな壇。壇の向こうには、涸れた池。池のほとりで繁茂する、ユキヤナギにレンギョウ、夾竹桃(きょうちくとう)。そこではいつも、元気な虫がぶんぶんとうなりながら飛んでいました。羽のない虫は足もとで、ひとつの社会を作っています。飛び石のうえには土ぐもが走り、アリたちは触角であいさつを交わしてすれ違う。
 
 そのようにうっそうと茂る庭木のなかに、水色のガクアジサイがあったのです。このアジサイは、なかなか満開にならないんだなあ、とふしぎに思う私に、おとなのだれかが「ガクアジサイだからね」と答えるというやりとりを、毎年くりかえしていたように思います。こどもの一年は、そのくらい長いものでした。ガクアジサイの茂っているあたりは、芝生と木だちのさかいめになっていて、転がって遊ぶによいところでありました。いわば、このアジサイは、私たちにとっての古なじみだったのです。ですが、香りもなく、花群れの中心をつぼみのように堅くしたまま、まさしく「額ぶち」あたりにだけ、ちらほらと花を咲かせるこのアジサイは、こどもにとっては風流にすぎました。こどもの目にうつるその姿は、あまりにも素っ気ないありようでしたので、さほどたがいに干渉せずにいたように思います。私たちはガクアジサイのそばでいつも遊びながら、その存在をあまり意識することなく、庭での日々を過ごしておりました。ガクアジサイにとっても、とりたてて世話もいたずらもしてこない相手のことですから、ただ気ままに花を咲かせているばかりだったのです。
 
 あのころの宝ものは、だれがくだすったのかは忘れましたが、私にはきつね、妹にはくまという、おそろいのぬいぐるみでした。ぬいぐるみは部屋のなかで遊ぶものだと分かっていたはずですが、ほんの少し庭で遊ぶときですら、外に連れ出してしまうほど、気に入っていたのだと思います。あのきつねの、無表情ながらに、どこかはにかむようなところのある、うつむきがちの面ざしの子細を、今でもありありと思い出すことができます。
 さて、庭で遊んでいるうちに、にわかに雲ゆきがあやしくなってまいりました。ガクアジサイがみごとに咲く季節でしたから、梅雨だったのでしょう。祖母の声で屋根のなかに入り、妹といっしょに、痩せて老いた三毛猫(母が若いころに拾ってきた猫です) に話しかけたりなぞしていたのでしょう。そのとき私は、自分のきつねはここにあるのに、妹のくまはどこなのだろう? と漠然と思っていたことを、おぼろげながらに記憶しております。
 雨が降る前に、あの子に「くまはどうしたの」となぜ言ってあげられなかったのか。
 
 やがて雨が降ってまいりました。篠突(しのつ)くような大雨で、その日の夜半まで降り続いたように思います。夕ご飯どきになると、両親の仕事が終わり、家政婦さんが私たちを迎えに来てくださいました。そのころには、妹は庭にくまを忘れ、雨のなかに置き去りにしてきたことに気づいていました。確か泣いていたように思います。私も泣いていたでしょう。ですがあまりの大雨に、外に出ることは止められ、おとなもまた、外に行くことをしませんでした。
 そして家に帰り、くまがかわいそうだ、と泣く妹の声を、止まない雨の音とともに、夜じゅう聞いておりました。もし自分がきつねを庭に置き去りにするよりも、今の方がつらいだろう、と思い、いくらかの逡巡はあったものの、妹にきつねをあげる、と申し出ました。しかしそれはことわられました。
 私にとってのきつねと同様、妹にとってもあのくまは、なにものにも替えられないものであるようでした。
 
 翌朝、雨は止んでおりました。
 ふたりで一目散に庭へ行きましたが、一晩じゅう大雨に打たれたぬいぐるみは、泥にまみれてほんとうに無残なありさまでした。そのそばに咲くガクアジサイは、いつものように、しんと黙っておりました。
 洗濯をしても、ぬいぐるみを損なう痕はぬぐえませんでした。私のきつねがふんわりと、汚れひとつないやわらかなおなかをしているのに対して、ついこの前までそれとそっくり同じであったくまは、ぺしゃぺしゃとつぶれたままでありました。そこでまた、妹は泣きました。
 
 あのころ、私たちはどうしようもなくこどもでありましたので、もの言わぬぬいぐるみにも心はあると思っていました。くまは、一晩じゅうつらく悲しくおそろしい思いをし、また、今となってはきつねのそばにいたくないだろう、と思いました。そして妹は、くまを連れて歩くことをしなくなりました。
 
 くまと妹が味わったであろうつらさ、またあのとき「くまはどうしたの」と言ってやれず、そのあと私のきつねでなくてよかった、とふと思ってしまった自分の罪悪、それらを思うと、私ののどは見えざる手に締められるように痛みました。そしてなにより、くまと妹があんまりにもかわいそうでした。おまえまで泣く必要はない、と怒られましたが、どうしても泣かずにはおれませんでした。
 
 やがて時が過ぎ、ガクアジサイの花は、そのままのかたちを保ったまま、かさかさに乾いてゆきます。その水色は、うすい茶に変じます。あのぬいぐるみも同じように、乾いた茶色に染まり、日の当たらないところでまんじりとしています。……そんな一年をなんどもくりかえした今では、ガクアジサイもぬいぐるみも、いつのまにかゆくえ知らずになっています。荒れた庭はひらかれ、古いぬいぐるみの群れはどこかへ去っていきました。あのころはこどもだった私も、ガクアジサイのもつ詫びた風情に、したわしさを感じるようになりました。
 
 それでも、なにかこどもの忘れものを見るたび、またどこかであのかわいそうなできごとが起きているのではないかと、ふと心がざわつきます。とくに、ガクアジサイの青色がかすむほど、強い雨の降っているときには。

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葛引すい子(Kuzuhiki Suiko) @KuzuhikiSuiko

90年1月生。秋田出身、札幌市在住。文系大学院に所属する学生。
写真は妹(右側)と庭で。94年、初春。

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ひらのにこ(Hirano Nico)

心の奥底に眠るものを、揺らぐ心を、少女を通じて淡く柔く描いている。
2014より都内を中心に合同展に参加。
アジア創造美術展2015(国立新美術館)にて審査員特別賞受賞。
http://www.nicohirano.com/