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伽鹿舎・青木のよしなごつ『加勢以多(水前寺成趣園 ㈱香梅 古今伝授の間)』

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 旧熊本藩主細川家別邸の水前寺成趣園をご存知でしょうか?
 第一回でもご紹介したのですが、今回はまた、水前寺成趣園に戻ってきました。
 水前寺成趣園を訪れたことのある方なら、おそらく「古今伝授の間」と呼ばれる小さな茶屋をご覧になったことがあるでしょう。今回は、その「古今伝授の間」にまつわるよしなごつです。
  
 さて、水前寺成趣園の特徴は、なんといってもその豊富な湧水です。
 この湧水を細川家17代の護貞氏は「成趣園の水に心無しと謂う人ありや(あの水は毎日何かを語っている様に思えるの意)」を 菅三品(菅原文時) が詠う「冷泉院池亭花光浮水上」詩序のうち「誰謂水無心(だれかいう水に心なしと)」に擬えていますし、徳富蘆花は水の様を「幸福のつく息ならで何だろう」と評しています。句では夏目漱石が「しめ縄や春の水湧く水前寺」、中村汀女が「朝蝉や水輪百千みな清水」と表現しています。 
 
 いつもどおり、この場所の位置関係から把握しましょう。
 水前寺成趣園は託麻原台地の南縁辺に位置しています。
 園内で噴出する湧水は上江津湖に流れ込む加勢川の源流の一つでもあります。加勢川は託麻三山の一つの神園山の南麓谷を源泉とする藻器堀川を源流とし、全長約8kmをほぼ南北に流れて、水前寺成趣園から流れ込む水前寺川(江津川) と合流し、県立図書館前の砂取橋で加勢川に名を変えて江津湖に注いでいます。水前寺川(江津川) は、行政での河川管理台帳では藻器堀川と呼んでいますが、地元では藻器堀川のうち、水前寺成趣園から砂取橋までの区間を水前寺川または江津川と呼んでいます。
 水前寺成趣園の湧水は、九州地域の高水量の降雨が地下に浸透するという水文的要因と、大規模なカルデラを有する阿蘇外輪山の西側に位置するという地形的要因、更に透水性の良い阿蘇火砕流堆積物や多孔質の砥川溶岩が地表下浅部に広く・厚く分布するという水理地質的要因とが可能にしています。
 この大規模な地下水系は阿蘇外輪山西麓斜面域に発達する林地や田畑で涵養され、帯水層を通じて熊本市域まで流れ、京町台地や託麻原台地などの台地と平地との境界に位置する多くの地点で湧水しています。託麻原台地の南縁辺に多くの湧水点があるのはこれが理由で、その湧水が加勢川の河川膨張湖である江津湖の水源になっています。
 水質はアルカリ土類金属炭酸塩型の地下水で、Ca2+、Mg2+、Na+の3種類のイオン成分がほぼ等量ずつ含まれる特徴があります。
 このため国内に流通するボトルウォーターと同等以上の美味しさを持ち、水前寺成趣園内の出水神社境内の湧水は「長寿の水」と呼ばれる名水として知られています。
 
「長寿の水」が湧く出水神社手水石は、細川忠興が「袈裟」と名付けて愛用した袈裟型手水鉢と伝えられ、一説には文禄の役で加藤清正が朝鮮王宮の建物の礎石を持ち帰って忠興に贈ったものと言われています。
 花崗岩製で、僧衣の袈裟文のような線が陽刻されているため袈裟型手水鉢と称され、同型が忠興の菩提寺の大徳寺高桐院(京都府左京区) にも降蹲踞として置かれています。また、高桐院と同じ大徳寺の塔頭である大徳寺総見院の彫り貫き井戸に同じ出自が伝承されています。石質を分析する必要がありますが、利休遺愛と伝えられる春光寺利休袈裟型手水鉢(八代市古麓町)  や大徳寺高桐院石燈篭も花崗岩製ですので、16世紀に畿内西部・瀬戸内地域の花崗岩で製作された可能性があります。
 そもそも、この水前寺成趣園は寛永13年(1636) 11月に国府御茶屋として、豊前羅漢寺から細川忠利と共に熊本にやってきた玄宅のために建立した水前寺と共に、寛永9年12月3日に熊本に入封した忠利が建立しました。
 庭園の作事に忠利が直接差図しており、配石デザインを御茶道頭の初代古市宗庵が担当しています。
 初代古市宗庵は利休の四女の婿であった円乗坊宗圓の娘婿で、寛永2年に豊前小倉で忠利に200石で召し抱えられた人物です。以後代々300石で御茶道頭を務める家になります。
 国府御茶屋には「利休所持」で天正15年(1587) の「北野大茶湯」で忠興に譲られた手水鉢が据えられており、小規模ながら由緒がある茶亭だったようです。
 この茶亭の数寄屋の位置は、のちの酔月亭(現在の古今伝授の間) と考えられており、寛文10年(1670) 3月~11年4月の綱利による現在の水前寺成趣園の規模に改築された際に、数寄屋も酔月亭に建て替えられたと考えられます。
 酔月亭は元禄16年(1703) に修復され、宝暦5年(1755) に酔月亭を除く建物が解体撤去され、寛政2年(1790) に再度酔月亭が修復されて維持されていました。
 何度も修復されている酔月亭ですが、明治4年(1871) の廃藩置県ではついに熊本藩の管理を離れ、水前寺成趣園ごと旧熊本藩主家の細川家に譲渡されることになりました。
 その後は、明治5年6月19日の明治天皇の西国・九州行幸で休憩所に使われるなど、いずれにしても格式の高い建物であったことは確かです。
 しかし、残念ながら明治10年(1877) の西南戦争に巻き込まれて酔月亭をはじめ建物が焼失してしまったのです。
 現在、水前寺成趣園に鎮座する「古今伝授の間」は、大正元年(1912) に酔月亭跡地に新築されたものです。
 
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 ようやく、「古今伝授の間」にたどり着きました。
 そもそも、古今伝授の間とは慶長5年(1600) 3月25日に細川幽斎(藤孝) が八条宮智仁親王に古今集を講釈した八条宮屋敷(京都市) の建物とされ、学問所であった、と伝えられています。
 この建物は万治3年(1660) までには八条宮家の知行所であった開田(長岡) 天満宮(京都府長岡京市) に「八条殿茶屋」として移築されていたとみられ、元禄11年(1698) と享和元年(1801) には「開田御茶屋」が修理されたと記録が残されています。
 この頃には連歌舎が増設されており、現状とはずいぶん違う建物であったことが平面図からわかります。
 また「古今伝授」の建物と言われ始めるのは文化・文政の頃(1804-29) で文書に「長岡古今伝授間」と現れます。
 八条宮家領は、明治4年に公有地に接収され、開田御茶屋は古今伝授の由来の建物として熊本藩に譲渡され、解体された部材が熊本藩大坂蔵屋敷の保管されることになりました。
 ところが、同年の廃藩置県により熊本藩が解体し、蔵屋敷の御用商人であった清水常七がそのまま管理することになり、明治44年に清水勉が細川家に部材を寄贈することになって、大正元年に旧酔月亭跡地に古今伝授の間として再建される事になったわけです。
 しかし、残念ながら、この段階で部材がどのように組み合わされるべきものなのか判らなくなっており、旧材を利用した現状にほぼ新築されることになったのでした。
 この「ほぼ新築」という事実が判明したのもつい最近で、平成23年の解体修理工事でのことです。歴史的建造物については、このように新事実が次々と判明する一方、時が経てば経つほどにわからなくなる事も増えるという、なんとも味わい深い感慨を突きつけてくるものです。
 その古今伝授の間で㈱香梅が販売しているのが、細川家伝来の菓子の加勢以多です。
 18世紀には将軍家に献上されていた大名菓子で、マルメロ(カリンの一種) の果実を、薄い羊羹状に伸ばし、それをもち粉でできたおぼろ種ではさんだものです。
 名前はポルトガル語の「Caixa da Marmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ)=マルメロジャムの箱」が由来とされており、「Caixa da」が漢字の当て字で「加勢以多」と表現されたようです。マルメラーダといわれるマルメロのジャムは薬効もあり、スペインでは貴族への献上品にもなっていたそうです。
 熊本藩では19世紀には緑川の堤防(宇土市走潟) にマルメロを植樹しており、献上品製造のための原料生産を行っていました。廃藩置県以降は熊本藩御菓子司の山城屋が製造していましたが、昭和60年頃に閉店し、その製法を伝えられた㈱香梅が独自にアレンジして製造しています。

kaseita「加勢以多」
 16枚入 価格(税込): 1,620 円(本体価格 1,500 円)
 ㈱香梅HP:加勢以多 古今伝授の間

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青木勝士(Aoki Katsushi)

熊本県立図書館学芸員/伽鹿舎