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伽鹿舎・青木のよしなごつ “おかわり!” 『同田貫とお城』

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『刀剣乱舞』のファンだというSさんから丁寧なお尋ねのメールを頂戴いたしました。

記事には、同田貫の刀が「御城拵」と呼ばれる朱鞘の拵に収められて常備されていたとありましたがこの拵は現存しているのでしょうか?
(もし現存しているようでしたら是非見学したいなと思いましたので……)
また、城備刀が使用された記録などは、例えば県の図書館や、博物館などに残っているものなのでしょうか?

 というわけで、Sさんのご質問にお答えします。
 
 同田貫(無銘の刀身が多い) が納められていた「御城拵」と呼ばれる朱鞘の拵は、天守閣内に常備刀として熊本藩時代には保管されていました。当時は御貸出具足(御貸鎧) と刀槍等の装備を含めて「御城備」と呼んでいたようです。
 このように装備を天守や特定の櫓で保管して戦時に備えることは姫路藩や福岡藩でも事例があり、江戸時代には一般的なことであったようです。
 但し、この「御城拵」という呼称については、僕に教示してくれた所蔵者が語った用語で、現在は公にはほぼ使われていないようですので、昔(昭和) に「御城備」の刀剣の拵を地元で呼称していたものと思われます。
 
kiyomasa 熊本藩の場合、「御城備」の管理は御天守方(熊本藩の天守閣等建物管理担当) が担当しており、本数や状態の管理が行われていました。刀槍については、常時使える状態にしていたものではなく、刀身に黒漆で錆止めを施し、いざ戦時には研いで使えるようにするという管理だったようです。
 明治4年の廃藩置県と鎮台設置で、熊本藩は廃止され、天守閣の備品である「御城備」は鎮台管理の熊本城共々、御天守方から鎮西鎮台に移管されます。明治6年の廃城令(全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方) 以降になって不用品として城内から転出したと考えられます。
 しかし、平成17年6―12月の発掘調査で熊本城本丸の長局御櫓跡から槍・薙刀・長巻が合計30振と太刀2振、刀2振、脇差4振、火縄銃のからくりが焼けた状態で出土しています(『熊本城』復刊61号) ので、明治10年の西南戦争で焼失した段階でも、「御城備」の一部は鎮台の管理のもとに本丸長局御櫓に集められていたようです。
 種別にまとめられて出土しており、特に刀は柄が揃った状態でしたので、箱などに収められて種別にまとめられて管理されていたのかもしれません(『熊本城』復刊71号)。ただ、薙刀と槍はまとめられているものの、穂先の方向が揃っていないので、焼失当時は無造作に束ねられていたと推定されています。
 
「御城拵」と呼ばれた常備刀の存在は、明治3年10月の「御城拝見」でも登場しています。昭和14年8月15日の採録された証言では「鉄砲其他の武器類がたくさんあった」とあります(『熊本城』復刊71号)。ここで見るように天守閣内の「鉄砲の間」などに武器種別に「御城備」の武具が保管されていたと考えられます。
 
「御城備」の「御城拵」は明治以降に拵えを改変したり、戦時中に軍刀に改変されたりと、拵えの原型は失われ、僅かに個人蔵で残すのみになったと聞きます。平成7年に私に「御城拵」を見せながらこの情報を御教示いただいた所蔵者の方は既に亡くなられて、その後コレクションが散逸しましたので、現在の保管地を追うことができません。
「御城備」は常備刀なので美的なものでもなく、実用本位の大量生産品です。一部に「清国」「同田貫」の製作者や製作年の銘が打たれていますが、殆どは「工房」の生産品で、無銘が多いです。拵も同様に大量生産品なので凝ったものではなく、流出後に刀身に合わせて改変される原因にもなったと聞きます。
 はじめにも述べましたが、このように「御城拵」そのものが価値が見いだせない、チープな拵えなので、売り物にはならなかったであろうと思われます。そのため市場にも出ず、熊本在住で、熊本城に誇りと価値を見いだせるマニアしか持たなかったと推測されます。
 従って雑誌に出ることもなく、地元好事家の間でのみ「御城拵」という愛称が通用したのでしょう。「御城備」も同様だと思われます。
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 「御城拵」の詳細ですが、柄が鮫皮包の黒漆塗りで燻革巻、無垢の赤銅の金具、鞘が赤漆塗でした。ものによっては番号が付されていました(個人蔵)。
 また昭和60年代までは熊本城天守閣に薙刀と槍等の「御城備」が展示されていました。これらは「御城拵」と同様のデザインで、朱漆塗の長柄です。刀身銘に「同田貫」「清国」と刻まれているものが含まれますが、殆どが無銘です。
 刀身銘に「同田貫」「清国」とあることから、「同田貫」工房をはじめとする工房で16世紀末~17世紀初頭に製作されたものと考えられます。
 また「御城拵」は戦時に藩が集めた兵(陣貸兵を含む) に貸し出される「御貸鎧(御貸出具足)」と共に藩が貸し出す装備品「御城備」で、戦時が終了すれば返還されるレンタル品でした。従って、個人が使用する個人の好みが反映したり、仕様が高級な拵えではありません。
 
 なお、八代市立博物館未来の森ミュージアムの平成26年度秋季特別展で展示された(財)松井文庫所蔵の「朱塗鞘打刀拵」が「御城拵」に近似しています。
 この拵はかつて「松井江」(現在は佐野美術館所蔵) が収められていた拵で、17世紀の熊本藩家老の松井興長または寄之の所用です。朱鞘の表面には所有者の「長岡式部少輔」と金蒔絵が施されています。金具も目貫が赤銅笠高文高彫色絵であったり、高級志向で、所有者個人の好みが反映しているオーダーメード品です。そのため大量生産品の「御城拵」とは仕様が異なりますが、同時代の同じ藩のものとして参考になります。
 なお、熊本藩の「肥後拵」は忠興の八代入封以降の17世紀以降の熊本藩の好みとして定着したものです。よく見かける朱鞘の肥後拵は幕末に流行するので、19世紀のものが多いようです。「御城拵」の年代はおそらく16世紀末~17世紀前半の年代観に収まるのではないかと考えていますが、まだ検討の余地があります。
 
 ご参考になれば幸いです。
 さて、せっかく「お城」が出てまいりましたので、みなさんがお城こと熊本城にお出でになるときのお勧めを。
 
 「熊本城 本丸御膳」をご存知でしょうか?
 これは江戸時代の肥後藩の献立を再現したもので、予約すれば昼食として熊本城で召し上がっていただくことが出来ます。
 非常に貴重な機会ですので、熊本城においでの際はぜひ召し上がっていただきたい。

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本丸御膳のご予約・お問い合わせ先
熊本城本丸御殿大御台所2階 096-325-0092(10:00~17:00)
※ご予約はお電話のみ。
※メールではご予約になれません。
料金 : 3,000円(お一人様)消費税含む
お支払 : 現金のみ
ご予約 : ご来店の3日前まで
詳細:熊本郷土料理 青柳

honmyoji また、熊本城といえば加藤清正ですが、地元で「せいしょこさん(清正公さん)」と親しまれるこの武将の菩提寺が熊本城から市電(路面電車) で数駅の場所にあります。
 本妙寺入口、という電停で降車すると、真っ直ぐに伸びた道が参道です。
 非常に長く続く参道ですので、徒歩ではつらいかもしれませんが、時間のある方はゆっくりたどっていただくと、古い町並みを堪能することが出来ます。

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 7月23日には地元民の楽しみとなっている、本妙寺最大のイベント「本妙寺頓写会」も行われます。
 これは清正公追善供養のために行う大法要で、県内の日蓮宗120カ寺の住職が700基の灯籠が立つ176段の石段を上って廟所へ向かい、1時間半に及ぶ写経の奉納と法要を行います。参道両側には約500もの露天が出店し、浴衣姿の女性や家族連れなどで賑わうのです。
 もし、このときに本妙寺を訪れることが出来る方は、参道にある「廣嶋屋」さんで是非「かき氷」をお召し上がりください。


kakigoori 廣嶋屋は参拝客のための旅籠が現在も残っているもので、民宿になっています。残念ながら今はもうお祭りのときにしか開けておられませんが、なんともいえず時代を感じられる、非常にいい宿です。一階部分で茶店を開いていますので、絶品のかき氷をご堪能あれ。
 本妙寺での参拝を終えたら、山の八合目までの石段を更にあがって清正公の銅像にも是非ご挨拶を。
 車でもう少し足を伸ばせば剣豪・宮本武蔵が五輪書を書き上げたという洞窟・霊巌洞を擁する雲巌禅寺にも参ることが出来ます。足元はスニーカー必須の場所ですが、時間がゆるせば、こちらも是非。

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青木勝士(Aoki Katsushi)

熊本県立図書館学芸員/伽鹿舎