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伽鹿舎・青木のよしなごつ『同田貫と長者饅頭(玉名市高瀬 菊水堂)』

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同田貫正国の墓 昨今、大人気オンラインゲーム『刀剣乱舞』の影響で、熊本県玉名市を発祥とする刀工『同田貫正国』が非常に注目を集めているとのこと。
 せっかくですので、『同田貫正国』をより深く知っていただくためにも、玉名とはどのような場所なのか、併せて知っていただけるともっと楽しいのではないかと、今回は玉名にスポットを当てる事にしました。是非とも玉名にご来訪の際は、周囲をめぐっていただければと思います。
 
 同田貫は16世紀に活動した刀工集団で、銘を「九州肥後同田貫」「肥後州同田貫」「肥後国菊池住同田貫」などと切っていることから、当初は菊池で作刀していたのが菊池川に沿って広がったものと考えられます。
 但し、南北朝期に菊池で作刀したとされる延寿派とのつながりは明確ではありません。個銘では刀では「九州肥後同田貫藤原正国」「同田貫上野介」、「同田貫兵部」、薙刀では「同田貫又八」が見られ、作品としては「天正十七年十二月日銘」が最も早いと見られます。
 国勝・信賀兄弟は加藤清正から名の一字を与えられたとされ、兄・国勝は清国、弟・上野介信賀は正国と名乗って清正のお抱え刀工になったとされます。
 同田貫は加藤清正から文禄・慶長の役での刀槍や熊本城常備刀の発注を受け、「正国」「上野介」「兵部」銘の刀が「御城拵」と呼ばれる朱鞘の拵に収められて明治4年まで天守閣や本丸御殿等に常備されていました。またその数の多さから同田貫は正国らを頭領にする工房で作刀され、刀工銘は各刀工の受注刀と監修刀に限って彫られたものと考えられます。
 
 では、何故この地で同田貫は作刀し、現代までその名を残すことになったのか、少し歴史を紐解いてみましょう。
高瀬裏川
 有明海と不知火海に面した熊本県には、肥後国と呼ばれた中世~近世までの約500年間、港湾都市として栄えた3つの港がありました。いずれも内陸と海を結ぶ川の河口に立地し、街道が貫通しています。河川交通と内海交通と陸上交通の結節点であり、肥後国の経済流通の中枢を担っていました。北から菊池川の高瀬、緑川の川尻、球磨川の徳淵といいます。今回はこのうちから高瀬を取り上げます。
 高瀬は現在の菊池川河口から3km遡った位置にありますが、史料で最初に見える建武2年(1334) でも河口から2km遡った場所であったと考えられます。15-16世紀の港湾都市として有名な博多や堺のように海に直接面した港湾都市ではありません。これは海流と潮の干満差が大きい有明海の立地が影響していると考えられ、外洋船が長時間を安定的に停泊できない沿岸であったため、比較的流れが安定する河口から遡行した川岸に港を作ったものと考えられます。外洋船は横島(玉名市横島) の端部の京泊に停泊し、川船に荷を積み替え、菊池川を遡行して町に荷揚げしていたのでしょう。

船着場は昭和に入っても使われていた
 現在の菊池川の河道は1本しかありませんが、慶長10年(1605) 頃までは唐人川と呼ばれる支流が高瀬から本流を分かれ、横島に注いでいました。その2本の菊池川河道の結節点(分流点) が高瀬でした。
 鎌倉時代の高瀬は安楽寺領玉名庄(玉名西郷)、仁和寺領玉名庄(玉名東郷)、筥崎八幡宮領大野別符、宇佐八幡宮領伊倉別符という4つの行政区域の結節点で、これらの荘園の年貢積み出し地(倉敷地) でもありました。併せて玉名郡衙と肥後国衙(熊本市) を結ぶ「大道」の菊池川の渡河点で、「大道」が貫通する場所でもありました。
菊池川本流
 そのため交易地としても栄え、11-14世紀の宋・元代の龍泉窯系青磁や15-16世紀の明代の景徳鎮系染付が菊池川河畔で多く採集され、15世紀の李氏朝鮮王朝時代の日本案内書『海東諸国記』にも見え、永禄4年(1561) にはイエズス会宣教師アルメイダが立ち寄り、天正4年(1576) には口之津経由でポルトガル船から入手したと思われる「石火矢」(青銅製艦載砲) を高瀬で陸揚げし、豊後府内へ陸送するよう大友義鎮が城蔵人太夫に指示しています。また、天正15年(1587)4月13-15日には九州攻めの途中の豊臣秀吉が高瀬の願行寺に本陣を置いて宿泊し、翌年には高瀬を含めた300石の地域を直轄領の豊臣蔵入地に指定しています。
秀吉の投宿した寺
 このように秀吉をも注目させる高瀬は16世紀では博多に次ぐ九州第2の港湾都市であったとみられ、14世紀から堀に区画されて周囲の荘園から独立し、16世紀には高瀬談義所宝成就寺で町衆によって自治が行われた姿は、織田信長や秀吉が屈服させた日本屈指の港湾都市の堺を思わせるものがありました。
 この高瀬の卓越した経済力と流通能力は、豊臣秀吉による天正20年(文禄元年・1592)-慶長3年(1598) の文禄・慶長の役では、朝鮮に外征した加藤清正の軍需物資の負担と積み出しに動員されました。清正は戦闘で消耗する刀槍の補充をたびたび領国の留守居に求めました。これを受けて川尻では町衆が刀槍を生産し、提出しています。高瀬も同様の負担をしていたと考えられます。特に高瀬は、豊富な小岱山の松等の燃料と砂鉄による9-13世紀の小岱山麓製鉄遺跡群が近く、有明海を巡る15世紀の鐡廻船による搬入があって多くの鉄材を入手しやすい地理環境にありました。
 高瀬の周辺地域の石貫(玉名市石貫)、伊倉(玉名市伊倉北方・南方)、亀甲(玉名市亀甲) には15-19世紀に刀鍛冶が確認できます。いずれも延寿派の流れとされ、石貫では「文明八(1476) 丙申二月日」の「肥州玉名住石貫景介作」銘の脇差が作例として残り、伊倉と亀甲では同田貫の木下家と小山家があります。
小山家
 延寿派は系譜的には大和国尻懸の弘村を始祖とし、その子国村が南北朝期に菊地氏の招聘で菊池郡隈府(現熊本県菊池市)に来住して作刀したことに始まります。国村が大和から京都に出て来国行の下で修業をし、女婿となったとされることから、山城国(京都府) で鎌倉中期から見られる来派の分流とされています。
 南北朝期までに国吉・国時・国泰・国安・国資・国信・国清等の名工を輩出したとされ、菊池氏の軍事力を刀槍で支えた勤王鍛冶とされていますが、現存する作品には無銘が多く、当時の古文書がないので詳しくはわかりません。また菊地で作刀した痕跡を確認することもできません。
 建武2年(1335年)11月に菊地武重が足利直義を破った箱根山竹ノ下合戦で竹に短刀を結わえた即製の槍をもとに、短刀様の穂先の槍を延寿派に作らせたのが菊池千本槍で、槍の始祖と俗に言われていますが、平安期に薙刀や長巻があるので、短刀様の穂先のこの槍が俗説のとおり槍の起源とは断言できません。但し、幕末の勤王党の志士には勤王菊地氏ゆかりの千本槍として人気で、槍拵えを短刀拵えに仕立て直して、短刀として再利用されている作例が多く残っています。
 延寿派の作風としては、鎌倉時代から南北朝時代までの作品を「古延寿」と称し、山城伝風の踏ん張りのある、反り深く、上品な姿格好で、来国俊や来国光の優美な作域を踏襲しているものが多いとされます。地肌はよく錬れて潤いある小板目・梨子地肌を基調としながら、来派と比べると鍛えに流れ柾を交えて刃寄りに「棒映り」が立ち、黒みを帯びた異鉄が青江の澄肌のような形で顕れる「延寿肌」と呼ばれる景色が特徴です。

yoshi2_5 同田貫のニ家、高瀬に最も近い亀甲の小山家は正国を祖とし、屋敷地内に初代正国、9代正勝、10代宗広等の墓碑を残しています。伊倉の木下家は清国を祖と伝えています。
 文禄・慶長の役が終わり、慶長8年の徳川家康による幕府の開府、慶長12年の熊本城竣工以後は刀類の大量需要がなくなり、正国以降は作刀が停滞したと見え,作例が見えなくなります。18世紀の新々刀期になると正国から数えて小山家9代の正勝が薩州正幸より鍛刀の術を習得し、10代宗広、11代宗春で新々刀期の同田貫を復活させます。特に宗広は寿太郎、延寿太郎を称し、延寿派の流れと刀銘に記しています。幕末になると海防の必要性から、坂下手永(南関町坂下) で同田貫鍛冶が鉄砲を製造したり、南関手永(南関町関東) で伊倉の惣庄屋の木下初太郎親子が鉄砲製造を推進した記録が残っています。
同田貫の碑
 作風は16世紀の新刀期の作品では、身巾尋常ながらも重ね厚く、刃肉豊かにつき、切先伸び、反り浅く、長寸のものが多く、鍛えは板目肌流れ、白ける、とされます。さらに直刃、小乱刃を焼いて在銘が少ないのが特徴です。18世紀の新々刀期の正勝以降の作品では身幅広く重ね尋常、切先伸び心で反り深い、鍛えは無地鉄に見える小板目で、肥前刀のような小糠肌も見られるほか、主に備前伝の丁子乱れ刃を焼き、稀に直刃を焼く、とされ、中茎は切りに筋違の化粧鑢をかけ年期、注文銘を切るのが特徴です。
 このように同田貫は、新刀期と新々刀期の2期がありますが、一般的に「折れず曲がらず同田貫」と言われるのは、重量がごく重く、地鉄、板目がよく錬れた、16世紀の文禄・慶長の役に適した新刀期の実用刀です。このため漫画「子連れ狼」の主人公拝一刀の愛刀が「胴(同)太貫」、時代劇ドラマ『破れ傘刀舟悪人狩り』の主人公叶刀舟の愛刀が「胴太貫」、時代劇ドラマ『三匹が斬る!』の主人公の一人、「千石」こと久慈慎之介の愛刀が同田貫、時代劇ドラマ『必殺仕事人』の登場人物の一人畷左門の愛刀が同田貫などと設定されています。
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 このように歴史深い高瀬には古くから店舗が並び、近代でも地方商業の中心として栄えました。
 その地に昭和22年2月2日に「店はお客様の為にある」の理念のもとに高瀬大橋際に創業したのが菓舗菊水堂です。洋・和菓子共に商品ラインナップが揃う中、代表菓子が玉名に伝わる疋野長者伝説をモチーフにした「長者饅頭」です。一口サイズにしたものを「小判長者」と命名しています。昭和22年の創業以来、菊水堂が研究を重ね、試行錯誤を繰り返しながらたどりついた、玉子の風味がほのかに広がる優しい甘さが特徴の黄身餡をソフトなクッキー生地で包み焼き上げた菓子です。甘すぎず、あっさりと口溶けする黄身餡のなめらかさは絶品です。表面にまぶしたグラニュー糖が味わいも食感も楽しい県北を代表する銘菓です。
 同田貫をめぐる旅の際は、ぜひとも賞味いただきたいものです。

長者饅頭

【商品名】「長者饅頭」1個115円(小判長者は1個65円)
※金額は税込み、個数は相談可
【住所】熊本県熊本県玉名市高瀬524-4
【電話番号(問い合わせ)】0968-73-2223



こぼれ話:『夕鶴』で著名な劇作家の木下順二は東京生まれですが、同田貫の名鍛冶左馬之介清国を祖とし、現玉名市伊倉で代々惣庄屋を勤めた木下家の末裔です。氏は、父弥八郎の帰郷にともない、11歳から22歳までを熊本で過ごしており、たびたび伊倉へも足を運んでいました。無骨な中にも素朴な美しさがあるのが、同田貫らしさなのかもしれません。(この項:加地)

同田貫を展示中の玉名市立博物館こころピア同田貫を展示中の玉名市立博物館こころピア
開館時間:午前9時~午後5時まで(入館時間は午後4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(当日が祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日(その日が日曜日のときを除く)、年末・年始(12月28日から1月4日まで)
観覧料:一般300円(210円) 大学生200円(140円) 高校生以下は無料。「こどもの日」「文化の日」は無料日です。
住所:〒865-0016 熊本県玉名市岩崎117
電話番号:0968-74-3989

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青木勝士(Aoki Katsushi)

熊本県立図書館学芸員/伽鹿舎