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魂に背く出版はしない 第2回 渡辺浩章

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第2回 煙草と論語

 
 4歳の私が出会ったその人は、驚くほどのヘビースモーカーでした。煙草を持つ指の爪と銀髪は、煙草のヤニで黄色に変色していました。私と煙草とのつきあいはこのときに始まりました。
 私の父はその人を「親父(おやじ)」と慕っていました。大学時代にその人の家に下宿をしていた縁からです。血のつながりはなくとも、私にとっては「お祖父(じい) さん」です。
 その人は、私の名付け親でもあります。あるとき浩章という名前の示す意味を説き、君は新聞記者になるのだ! と幼い私に宣告しました。新聞記者にならずとも、説かれた意味に沿うような仕事をしていますから、その人はまるで予言者です。
 その人とは、立教大学の文学部(中国哲学)教授であり、野球部の部長であり、全日本大学野球連盟専務理事であった、野口定男先生です。
 野口先生がその当時に出版した本を、鉄筆文庫で復刻しました。『世俗の価値を超えて―菜根譚』です。復刻することは、私にとって必然でした。
 野口先生と、父と、私の奇妙な関係を、鉄筆文庫判の巻末に記してあります。以下、そのまま転載します。読んでいただければ、私がなぜ出版社を起ち上げたのか、どのような本を刊行しようとしているのか、ふんわりと分かってもらえる気がします。

 
 
刊行にあたって
 
 戦後間もない1949年のことです。故郷・福岡の高校を卒業した私の父は、本人曰くラグビー部に入部するために、立教大学に入学しました。勇んで上京したものの合宿所はなく、部屋を借りるお金もなく、「友達の部屋に転がり込んで」寝泊まりする日々を送っていました。ある日のこと、見かねた野口先生が、父に同居を勧めたそうです。野口先生は当時ラグビー部の部長代理であり、学生の指導係だったのです。これで父の人生は一変しました。大学構内にあったという野口家での下宿生活が始まると生活は安定し、徒歩一分の教室に通わぬわけにもいかず? 無事に大学を卒業することもできました。
 父は幼くして実の父親を亡くしていたので、大学時代は野口先生を親父と慕って過ごしたそうです。野口先生こそが俺の本当の父親なのだ、だから、野口先生はお前たちのおじいちゃんだ、と常々、父は語っていました。
 1964年に私は札幌で生まれ、物心ついたときには福島で暮らしていました。そして68年に一家は福島から東京へと引越します。以来、74年に福岡へ転居するまでの6年間、私たち家族は野口先生の御自宅を頻繁に訪問するようになりました。
 野口家は埼玉県の新座に居を移していました。志木駅の改札を抜けて陽の沈んでいく方角へバス通りを直進すると、駅から離れるほどに畑や林がひょっこり現われます。あるところで角を曲がって小路に入り、栗林の間を抜けると、木々に囲まれた一軒家に辿り着きます。野口先生の御自宅です。幼かった私は、そのようにして月に数度は野口家を訪問し、先生から「論語」の指導をうけていました。
 正直にいえば(先生には申し訳ないのですが)、論語そのものはあまり記憶に残っていません。栗林に続く小路への曲がり角の目印も忘れてしまいました。そもそもバス通りを歩いていたのか、あるいはバスに乗っていたのか……、どちらでもあったのかもしれません。でも、東武線の電車の床が木の板であったことや、木の床の放つ匂いは覚えています。帰り道、自宅近くの中華屋で食べたしょうゆラーメンの味を、ナルトの渦模様を覚えています。
 論語教室に通っていたのは私のほかに二人の兄と母との計4人でした。4人揃っての通学はなぜか平日の午後であり、授業が終わればすでに夕方なのにすぐには帰らず、応接間に居残って菓子や果物を御馳走になったこともしょっちゅうでした。それでも最後はしょうゆラーメン。いま思うと、しょうゆラーメンを誰よりも楽しみにしていたのは、母だったような気がします。
 野口先生の論語教室でもっとも強く印象に残っているのは、先生から手渡される手書きのテキストです。論語の文章を音読するために用意されたテキストには、万年筆で書かれた沢山の文字が原稿用紙のマス目に並んでいました。私のテキストは、すべてが平仮名でした。二人の兄のテキストは、漢字の使用加減がそれぞれに異なっていました。つまり、三兄弟それぞれの学力に応じて書き分けてくれていたのです。
 また、論語の講義の途中で先生は、子どもにも分かるようにやさしく、たとえ話をされていました。幼い私に論語は難解でしたから、たとえ話の方に興味をもって耳を傾けました。本書においても、「菜根譚」の訳文よりも先生のたとえ話の方になんともいえない優しさと魅力を感じてしまいます。本書の初刊行が73年で、論語教室に通っていた時期とぴたりと重なりますから、本書を読み返すたびに、当時の先生の話がそのまま活字になっているかのような錯覚をおぼえます。
 野口先生は、私たち三兄弟の名付け親でもあります。長男の名前が「泰成(やすなり)」、次男が「共久(ともひさ)」、三男の私が「浩章(ひろあき)」です。私の名前「浩章」は、「広く世の中を見渡して、本当のことを見つけ出して、それを文章にしてみんなに伝える」という意味だとあるとき先生から教わりました。「だから浩章は、新聞記者になりなさい」とも言われました。私は出版社の道を選んでしまい、新聞記者にはなれませんでしたが……。
 私にとって、本書は「座右の書」です。大手出版社を辞めて小さな出版社を起こした今では、その航海に欠かせない「羅針盤」となりました。鉄筆文庫として復刻した本書が、一人でも多くの方にとっての「座右の書」となり「羅針盤」となりますように願ってやみません。(以下略)(つづく)

 

【鉄筆の本】

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渡辺浩章(わたなべひろあき)

1964年北海道札幌市生まれ。福島、東京と転居ののち74年福岡県福岡市に移住。
83年福岡県立修猷館高等学校卒業、早稲田大学社会科学部入学。ラグビー部に所属。
88年早稲田大学卒業、(株)光文社に入社し「FLASH」編集部所属。91年「週刊宝石」編集部に異動。
97年~01年、村上龍スポーツエッセイ「フィジカル・インテンシティ」連載、光文社から単行本刊行。
99年~00年、団鬼六エッセイ「怪老の鱗」連載、光文社から単行本刊行。
01年「週刊宝石」休刊に伴い販売部へ異動。03年販売促進部へ異動。09年~13年まで書籍販売部部長。
09年7月、書店販促通信「鉄筆」を創刊、白石一文『翼』を連載し光文社から単行本刊行。
13年7月光文社退社、10月(株)鉄筆を設立。代表取締役。
14年7月、鉄筆文庫001『翼』(白石一文著)刊行。10月、鉄筆文庫002『反逆する風景』(辺見庸著)刊行。11月、文芸書『霧の犬 a dog in the fog』(辺見庸著)刊行。最新刊は15年4月刊行の鉄筆文庫003『世俗の価値を超えて―菜根譚』(野口定男著)。
ブログ「鉄筆通信」 http://teppitsu.blogspot.jp/
Twitter「白石一文『翼』鉄筆文庫001」 https://twitter.com/kounoeakira