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【出版社物語】伽鹿舎:本恋う鹿は笛に寄る 第1回

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『伝えられない』を『伝える』ための『物語』を――
 
 間もなく、2015年が終わろうとしている。
 伽鹿舎が正式に活動を開始した4月から今日までに、8ヶ月と少しのWEB更新を行い、2冊の書籍が発行された。
 西日本新聞、大分合同新聞、熊本日日新聞、そして朝日新聞に取材をいただき、記事を掲載していただいた。今も、いろんなメディアが取材の申し込みをくださっている。
 同時に、たくさんの方にメールを戴き、作品を送っていただいた。
 
 きっと、伽鹿舎のやっていることは間違っておらず、同時に「珍しい」ものであったのに違いない。
 
 これから、伽鹿舎が何を思って始まり、どうやって今日までをやってきたのか、そして明日から何をするのか、未来に向かってどうしたいのか、を加地が語ろうと思う。
 それが、たった一つ伽鹿舎にしか出来ないみなさんへの「お礼」になると思うから。
 
 
■復刊って幾らで出来るんですか?
 
 つい先日、発売された当舎の「幸福はどこにある」は一二年前に出たNHK出版による翻訳本の再刊行だった。
 そこで読者の方から飛び出したのが、「復刊って幾らで出来るんですか?」という素朴な質問だ。
 これに直接答える前に、書いてみたい。
 
 この作品は夏ごろに上映されていた「しあわせはどこにある」(サイモン・ペッグ主演。一二月二二日よりKADOKAWAからブルーレイ・DVD発売、レンタル開始) という映画の原作本でもある。
 当然、配給会社は絶版になっていたこの原作本の復刊を求めた。しかし、実現しない。
 当時、その本はハードカヴァーであり、税別千五〇〇円で発売された。今これを再版することは、確かにとても難しい。
 
 少し、考えてみてほしい。
 本を出すと、著者に印税が支払われる。大抵は、売価に初版部数を掛けた金額の1割だ。勿論、他に装丁や本文デザインやDTPや装画、編集者の給料だって、広告代もポスターや送料やしおり代、書店用POP代なんてものも掛かってくる。本を高いという人を結構な頻度で見掛けるが、こう考えると、本は寧ろ安い。どうやって維持しているのかと心配になるくらいには、安い。
 ましてや、翻訳となると更に費用はかさむ。
 原著者に印税を払い、現出版社に権利料を払い、翻訳者にも印税を払うことになる。
 
 そもそも、翻訳、という仕事のなんと壮大で恐ろしく高邁なことか。
 翻訳とは、他言語を一つの言葉に訳すということだ。ただ正確に伝わればいいだけの新聞記事であったとしても、それは相当な困難を伴う、と加地は考える。
 何故なら、それは母語ではない。母語でない言葉の背景には、その言葉の生まれ、はぐくまれてきた長大な歴史があり文化がある。訳者は、全く違う土壌のうえにある言語同士を、もっとも近い、書き手の意に沿う言葉に置き換え、しかも原文のリズムを崩さず、雰囲気を壊さずに、更には訳された言語として不自然でないよう、訳文を作らなくてはならない。
 当然に、直訳ではそれは意のままには伝わらない。そもそも、言語などというものは、本当には書き手の意図を正確になど伝え得ない。そんなことが出来ればそれは神の領域であるし、そう出来るのなら、恐らくバベルの神話は誕生しなかった。ひとは、言葉では全てなど伝えることが出来ない。出来ないそれに挑み、試み、辛うじて物にし、それでも足りないとあがき続けるからこそ、「作家」は尊ばれ、敬愛される。ただ言葉を並べることなら、母語話者でさえあれば可能だろう。それでも現実に「作家」と呼ばれるようになる人が限られるのは、それが理由の大半だ、とそう思う。ならば翻訳は尚更だ。それは本当に神に挑む恐ろしい業と言うべきだろう。
 だから。
 加地は翻訳者を尊敬している。その仕事を愛してやまないし、最上級の敬意を捧げたい。「作家」と「翻訳者」はどちらも「作者」なのだ。
 「二人の作者」に印税を払い、しかもそれがその仕事量に見合うだけの対価になるようにしようと考えたとき、どうするか。全てがそうだとは言わないが、大半の出版社では、印税を幾ら払いたい→部数はこれだけしか刷れない→ならば必然として売価はこうなる→この売価で読者に納得させるにはハードカヴァーにせざるを得ないというようなプロセスを辿って売価や版型が決まっていく。そこに外注に出す必要経費や、社員の給料なども含まれるのだから、ことは印刷代だけの話では済まない。
 印刷というものは、どうやっても基本的にかかる費用が動かせない。これは印刷に限らない事ではあるのだが、たとえば原版を作成するだとか、校正用に刷り出しをするなんてものは、百部だろうが万部だろうが同じだけ費用が掛かるのである。したがって、部数が増えたほうが一冊あたりの費用は下がることが多い。
 
 もう、皆さんにもお分かりだろうと思う。
 何故、「幸福はどこにある」が再版されなかったか。映画化という絶好のチャンスを得ても、それに見合うだけの部数が販売出来るというめどが立たなければ、基本的には出版社は二の足を踏む。
 それはNHK出版だけの話ではなく、全ての商業出版社が抱えるどうしようもない現実だ。(なお、今回の伽鹿舎による再版に際して、NHK出版の方には大変なご協力をいただいた。ここに心から感謝を申し上げます)。
 さて、今回、伽鹿舎ではこの本をライブラリー版、という版型で僅か二千部のみ、再版した。
 冒頭の質問に答えるなら、この本を復刊する為に必要だったのは、印刷代のほか、シリーズとなる基本的な本の装丁デザイン案を出していただいたテツシンデザインオフィスへのお支払、装画を手掛けてくださった田中千智さんへの画像使用料(随分と安くしてくださった)、翻訳者高橋啓先生への印税(わずか8%)、原著者と原出版社へが同じく印税(先払いで合計わずか6%と破格の条件にしてくださった)、英語どころか日本語も少々あぶなっかしい加地にとって未知のフランス語圏との交渉という難所をなんなくお引き受けくださったフランス著作権事務所への手数料が約3万円に、フランスへの送金に必要な諸費用が約2万円、最後に当舎のデザイナー飯田への謝金と、たったこれだけである。
 残念ながら余裕もなければ効果のほどもわからないので広告をうつ予定はなく、版組みやDTPは加地が自力でやっているほか、細かい調整やデザインの修正も加地が自分でやっているし、校正や編集も加地がやっているほかには同じく当舎の木間が担当しているから、これらには費用が生じない。伽鹿舎のスタッフは大体6名といつも説明するのだが、メインは加地であり、ほぼ加地が一人で何もかも決めて動かしているし、実作業が莫大に発生するデザイナーの飯田にはすずめの涙の謝金を払うが、加地を含めた他のスタッフは無給なのである。
 逆に言えば、ほぼボランティアに支えられる非営利の出版社だからこそ、「幸福はどこにある」は再版出来たし、あの価格で販売できている。
 従って、「復刊って幾らで出来るんですか?」という問いへの答えは、やり方による、と言うほかはない。今回の再版は原著者から翻訳者まで、全ての人が快く僅かな謝礼を承知してくれたし、多大なる協力をくださったから、実現した。もっと安く出来る、という人もあるだろうし、絶対にこれでは出来ない、という会社が圧倒的に多くても、それは当然のことだ。
 
 
■『伝えられない』を『伝える』ために
 
 加地は、「幸福はどこにある」を、今の日本のたくさんのひとが必要としている物語だ、と感じた。強くそう感じて、届けたいひとたちがいたから、出すと決めた。
 先に「ひとは、言葉では全てなど伝えることが出来ない」と書いた。
 文藝は、小説は、それを敢えて伝えようとする試みだ、と加地は信じている。
 どうしても伝えたくて、伝える言葉がなく、やむを得ず全くの同じ体験を言葉によって追い掛けてもらうことでようやく僅か、伝わる可能性に賭ける、その為にストーリーがあり、登場人物がいて、「物語」が成立する、だからこそ「作家」は「小説」を紡ぐのだと、そう考えている。
 「物語」は「もの」を「かたる」ことだ。そこにある事象を、そこにあるものを、物自体が語り、物について語る、それによって、森羅万象を全部物語り世界に閉じ込める、そういう性質を孕んでいる。
 たくさんの、「物語」を投稿していただいた。「詩」であったり「小説」であったり、形は違っても、全ては「伝えられない」何かを「伝える」ために書かれたはずだと、そう思う。
 そうでないのなら、自分ひとりの心にしまっておけばいい。ノートに書き記し、そっと引き出しにしまっておけばいい。
 そうではなく、たくさんの人に読んでほしいと、お金を払ってでも読みたいと思ってほしいと願うならば、それは「伝えられない」を「伝える」ことをあなたが試みているのに違いないのだ。
 
 今年、一番たくさん書いた言葉は「あなたは何を伝えたいのですか」だった。
 ガツンと、どうしても伝えずにはいられなかった何かが篭った作品は、力を持っている。どんなに文章がつたなくとも、響いて揺さぶってくる。
 そういう作品を、「片隅01」に載せたし、この「WEB片隅」でも掲載した。これからも、そうしたいと思っている。どんなに小部数であっても、丁寧に、手渡すように作って届けたいと願ったから、始まった。
 それをやるためだけに、伽鹿舎は出来た。
 ゆく年、なんとか、最初の2冊を世に出すことが叶った。くる年、更に深い場所を、高い場所を、伝えられないけれど伝えたい何かを、目指したいと思う。
 伽鹿舎は、ここにあって、こういう風に、最初の一年を過ごした。
 どうか、あなたのところにも、「何か」が届けられていますように。
 
 次回から、出版社をやるってどういうことなのか、何故九州限定なのか、きっとみなさんが疑問に思っているそれらを、もっと詳細に書いていきたいと思っている。お付き合いいただければ幸いです。
 また、よければ知りたいこと、疑問・質問など、お気軽にお寄せください。

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加地 葉(kaji yo)1976.9.24 島根県生まれ熊本市育ち現在も在住

本業は事務屋。伽鹿舎では編集・デザイン補助・DTP全般ならびに運営と意思決定、対外交渉。
運動全般観戦専門。野球が好き。上司には大体「やれば出来るのにやらないヤツ」と思われている。