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ハルムスを読もう! 最終回「私は未来を覚えている ――ヴヴェジェンスキーとチェーホフ」

harumus

 1920年代後半のレニングラードで過激なパフォーマンスを行っていた芸術家集団「オベリウ」に所属していたアレクサンドル・ヴヴェジェンスキー(1904-1941)は『イワーノフ家のクリスマス』(1938年) という戯曲を書いています。その戯曲は長いこと文学史の襞に埋もれていましたが、戦後の欧米の文学界/演劇界で一時代を築いた「不条理劇」と呼ばれる潮流を先取りしていたと、20世紀後半になって研究者らから評されるようになりました。今では20世紀ロシア文学のみならず世界文学を代表する作品といっても過言ではないでしょう。
『イワーノフ家のクリスマス』にはコミュニケーションの齟齬が目立ち、不可解な台詞や突拍子もない場面などが頻出します。たとえば、 «А о у е и я» や «БГРТ» といったアルファベットの羅列を登場人物が唐突に口にしたりします。
『イワーノフ家のクリスマス』に見られるこうした逸脱や混乱は、1930年代のロシア文学に突如出現ものではありません。レジス・ゲイロという研究者は、これを「不条理」とみなした上で、その萌芽を19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したチェーホフ(1860-1904) の作品の中に探り当てています。
『詩人アレクサンドルヴヴェジェンスキー』(モスクワ、2006年) という論文集に収録されているゲイロの一風変わったエッセイは、チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』に『イワーノフ家のクリスマス』を半ば強引に接ぎ木することから話を始めています。驚くべきことに、『ワーニャ伯父さん』の登場人物ソーニャは、『イワーノフ家のクリスマス』に「亡命」したのち、プズィリョーフ家の次女にして色情狂のソーニャに変貌したと言うのです(ちなみにこの戯曲には「イワーノフ家」は登場せず、代わりに「プズィリョーフ家」が出てきます)。
 読み手の妄想とでも言うべきこのかなり無茶な解釈をさらに推し進めながら、ゲイロは『イワーノフ家のクリスマス』におけるチェーホフ的なるものを次第に解き明かしてゆきます。またそれと並行して、『イワーノフ家のクリスマス』によって逆照射され浮かび上がってきたチェーホフ作品の不条理性をひとつひとつ指摘してゆきます。
 チェーホフ劇におけるノイローゼ気味の男たち、無秩序な登場人物リスト、そしてのちに不条理劇の特徴として知られるようになった噛みあわない会話――。ベケットやイヨネスコなど不条理劇作家と称される人たちがやがて盛大に茂らせることになる不条理の木の種や芽が、チェーホフ作品にも根を張っていることが確かめられてゆくのです。
 このエッセイでゲイロが行っているのは、『イワーノフ家のクリスマス』を読みながらチェーホフ劇を読み直すという試みです。つまり、より昔の作品により新しい作品の光を当てることで、その昔の作品の中に今まで気づかなかった面貌を見出そうとしているのです。若い母の写った古びた写真に皺の刻まれた今の面影を見ようとするように。これを思い切って次のように言い換えてみましょう。ゲイロの読みの中では、ヴヴェジェンスキーがチェーホフに影響を与えている、と。
 時間軸をひっくり返してしまったような、あるいは無時間というものを措定したような、時間の関節を外して「先行―後続」の位階関係をねじり破壊させるこういう読みは、20世紀後半になってフランスを中心に世界的に見られるようになりました。現代人の作り出すものはすべて過去の人たちが既に創造したものの模造・反復に過ぎないのではないかという「影響の不安」から逃れるために、遅れを取り戻すために、現代人が古典を読み直してゆく運動と捉えることができます。
 古典への軽蔑と尊敬がないまぜになったこのような読み直しの一環として、ゲイロは『イワーノフ家のクリスマス』に照射されたチェーホフ作品の相貌を私たちの眼前に投影してみせたのです。
 そもそも『イワーノフ家のクリスマス』自体が、不条理劇という未来の光線に当てられることで初めて不条理という形容句を冠せられました。過去はいつも未来によって見出されるのです。したがって、ゲイロが以下のように言明するのは決しておかしなことではありません。「私は未来を覚えている」。
 そしてもしそう言えるならば、チェーホフ作品のうちには『イワーノフ家のクリスマス』という未来の記憶が眠っていると言っても、あながち奇妙な発言というわけではないでしょう。
 締めくくりにヴヴェジェンスキーの言葉を引用しておきます。

世界はばらばらで、時間は粉砕されている、という感覚がぼくの根底にはある。これが理性と矛盾しているというなら、つまり理性では世界を把握できないということだ。
ヴヴェジェンスキー

Вот, собственно, и все.
実は、これでおしまい。
 
■この連載は著者の希望により横書きとしています。

sawatsuki

沢月尋(SAWATSUKI Hiro)

東京大学大学院。
ロシア語が読める児童文学愛好家を探しています。心当たりのある方はご連絡ください。
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