F T R @
九州発! 日本中が楽しくなるWEB文芸誌。美術館・博物館のイベント情報、気になる本や本屋さん、読みたい物語がきっと見付かります

ハルムスを読もう! 第八回「イワーノフのいないクリスマス」

kharms8


 アレクサンドル・ヴヴェジェンスキー(一九〇四~一九四一) とダニイル・ハルムス(一九〇五~一九四二) は、「オベリウ」グループの二枚看板です。
 二人の出会いは一九二五年、共に二十歳そこそこの頃でした。若い詩人たちによる詩の朗読会で意気投合したのです。それから何年もの間、彼らは同じ文学の道を足並みそろえて歩み続けました。同じ文学グループに加入し、同じときに脱退し、また新たに同じグループに加わり、その末に、共に「オベリウ」というグループを立ち上げたのです。盟友と呼んでも差し支えないでしょう。
 日本ではハルムスの方が知名度がありますが、世界的に見れば、ヴヴェジェンスキーもよく知られています。アメリカでハルムスが「発見」された際、実はヴヴェジェンスキーも一緒に翻訳されていました。彼はハルムスに勝るとも劣らない人気があります。
 ヴヴェジェンスキーの書いたものの中で最も有名なのは、『イワーノフ家のクリスマス』(一九三八年)という戯曲でしょう。これはのちに西洋で盛んになった不条理劇を先取りしていたばかりでなく、それを十年分追い越していたと言われます。
 これまで日本では詳しい紹介があまりなされてきませんでしたが、ヴヴェジェンスキーは「オベリウ」を代表する詩人であるのみならず、(不条理劇作家の)ベケットやイヨネスコと比肩しうる、世界文学史においても非常に重要な人物であることは間違いありません。
 

 クリスマス・イヴに、プズィリョーフ家の子どもたちが入浴しながらモミの木の到着を待ちわびている――そんなシーンから『イワーノフ家のクリスマス』は始まります。ところがその「子どもたち」というのは、一歳からなんと八二歳までの「男の子」と「女の子」の七人らしいのです。おまけに、両親の名字はプズィリョーフなのに、子どもたちの名字はペローフだとかオストローワだとか、てんでばらばらなのです。でももっと奇妙なのは、戯曲のタイトルにもなっているイワーノフ家が全然登場しないということでしょう。
 不思議なのは登場人物の年齢や名前だけではありません。彼らの話す内容も、意味のタガが外れたように、ときどき奇怪で、場にそぐわない、不合理なものになります。もはや言葉とは呼べない記号だけをつぶやくことさえあります。
 物語の筋立ても込み入っています。基本的には殺人事件とその審理を縦軸に話が展開してゆくものの、途中で犬が突然しゃべり出したり、口がきけないという樵たちが歌ったり、かと思うと裁判所では肝心の殺人事件そっちのけで別の審理が行われたりと、まるで本筋に読者の注意が向けられるのをヴヴェジェンスキーが嫌がってでもいるかのようです。いやむしろ、この『イワーノフ家のクリスマス』には最初から本筋も主題もなく、絶えず中心から逸れようとする運動があるばかりなのかもしれません。
 少し引用してみましょう。「三十二歳の女の子」ソーニャを斧で斬り殺した子守り女が精神病院に連れて来られた場面です。
 

子守り女 私は気違いです。赤ん坊を殺してしまいました。
医師   子供を殺してはいけませんね。あなたは健康ですよ。
子守り女 わざとじゃないんです。私は気違いです。処刑されてしまうかもしれないんです。
医師   あなたは健康ですね。血色がいい。三つまで数えてみなさい。
子守り女 できません。
看護師  一、二、三。
医師   ほらご覧なさい、自分ではできないなんて仰っていますがね。あなたは鉄みたいに頑健ですよ。
子守り女 こう言っても無駄でしょうが。数えたのは私ではありません、あなたのところの看護師さんです。
医師   今や真相を究明するのは困難ですね。私の言うことが聞こえていますか?
看護師  聞こえています。私は子守り女です、全て聞こえていなければなりません。
子守り女 主よ、私の人生はお終いだわ。もうすぐ処刑されてしまう。
医師   彼女を連れて行きなさい、それよりモミの木を運び入れた方がいいでしょう。確かにその方がいい。ちょっとは陽気になるでしょう。当直にはほとほとうんざりだ。おやすみなさい。

 

 子守り女は自分を「気違い」と釈明することで刑罰を免れようとしていますが、医師はそれにはまるで取り合いません。むしろ看護師による馬鹿げた演技の方を信用します。
 看護師が子守り女を演じる、こうした人格の交代は、精神病院が舞台のこの第五場に集中的に見られるモチーフです。驚くべきことに、看護師は他に絨毯も演じています。
 人格の交代に代表されるようなアイデンティティの危機は、不条理劇で好んで用いられるモチーフです。前出の不条理劇作家イヨネスコは『ノート・反ノート』の中で自作の登場人物についてこう書いています。
 

「彼らはもう存在することができず、ただ、だれにでも、なににでも《なれる》だけです。なぜなら存在しないがゆえに、彼らは他者でしかなく、人称のない世界のように、だれにでも置き換えられるからです。(…)そしてだれも置き換えたことに気がつかないでしょう。」

 

 自分の人格が置き換えられたことにだれにも気づかれなかった子守り女は、釈明の余地すら与えられず、これから死刑判決を受けに法廷へ向かうことになります。

 
※この戯曲に関心の湧いた方は、次のサイトに拙訳がありますので、お気軽にお読みください。
http://japonsko-russko.jimdo.com/%E3%82%AA%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81/%E3%83%B4%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/
 
■この連載は著者の希望により横書きとしています。

sawatsuki

沢月尋(SAWATSUKI Hiro)

東京大学大学院。
ロシア語が読める児童文学愛好家を探しています。心当たりのある方はご連絡ください。
個人サイト「Kharms! Harms! Charms!」http://japonsko-russko.jimdo.com/
web連載「ロシア文学めぐり」https://i.crunchers.jp/s/54bc9e06ec11621c0702c7d2