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ハルムスを読もう! 第三回「空を飛んだ狼」

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第三回 空を飛んだ狼
 

 ロシア・アヴァンギャルドは「人間」(とりわけ人間の理知)を超越しようとする運動であり、非人間的な表象はその延長線上に現れる、という話を前回書きました。
 例えば、ハルムスの戯曲『エリザヴェータ・バム』(一九二七年)には、登場人物が四つん這いになったり動物のように吠えたりするシーンがあります。

 

エリザヴェータ・バム (脇へ退き、そこから)ウウウウウウウウウウウーウーウーウ。
イワン・イワーノヴィチ 雌狼。
エリザヴェータ・バム ウウウウウーウーウーウーウーウーウーウ。
イワン・イワーノヴィチ メーエーエーエーエース狼。

 

 狼に擬するこのような振る舞いは、まさにヒトからの逸脱を読者に印象付けます。
 

 ところで、ハルムスの所属したグループ「オベリウ」のメンバーの一人であるザボロツキーが『気狂い狼』(一九三一年)という長詩を書いています。興味深いことに、そこに登場する狼は(ハルムスの登場人物とは逆に)獣からの逸脱を目指します。次に引用するのがその象徴的なシーンです。
 

首の関節を外すために
ある装置をあつらえるつもりなんだ。
そこに自分の頭を差し込んで
どうにかして車輪を回してみる。
そうして首が垂直になったとしても、
ぼくは嫌われて
笑われてしまうだろうさ
友人や貞淑な妻からはね。

 

 語り手である狼は「首の関節を外」して首を「垂直に」矯正しようとしています。なんために? 上空に輝く「星を見るため」です。その星に彼は「魂を奪われ」、自由に空を眺められるように自らの身体を改造しようとしているのです。
 彼はこの世の真実を求めて学問に励み、獣としての暮らしを放棄します。本能に言うなりの、いわばその「虜囚」に過ぎない獣たちとの付き合いを断ち、「知性」や「理性」を獲得することで自然の神秘を理解しようと努めます。
 そして遂に、「星が輝くのを見た者」として最後の「偉業」を成すために、断崖絶壁から空へ飛び立ってゆくのです。
『気狂い狼』において、星と天空は理知の圏域に、獣と地上は無知の圏域にあるのは明らかです。両者は鋭く対置されています。気狂い狼が地上から天空へ舞い上がるのは、無知から理知へ向かう飛翔の視覚的・劇的な現れだと言うことができるでしょう。
 ハルムス『エリザヴェータ・バム』において登場人物が狼のように振る舞ったり四つん這いになったりするのとは対照的に、ザボロツキー『気狂い狼』においては狼はヒトのように首を垂直に伸ばし、理性と知性を求めて学問に打ち込むのです。
 歴史上ヒトをヒトたらしめたのは直立二足歩行だということは、前回も書いた通りです。その意味で、『エリザヴェータ・バム』の登場人物が地べたに這いつくばるのは、退行ないし非人間化の体現と言えます。一方、『気狂い狼』の狼が首を垂直に矯正するのは、まさしく直立二足歩行の謂いと見ることができます。
 

 ここまで、ザボロツキー『気狂い狼』を理知への志向が強い作品として、ハルムス『エリザヴェータ・バム』と対蹠的に紹介してきましたが、別の文脈からこれを読み直すこともできます。
ロシア・コスミズム(宇宙主義)の系譜に『気狂い狼』を位置付けることが可能なのです。
 ロシア・コスミズムとは、フョードロフなどの思想家たちが信奉した一種のユートピア思想です。彼らは光合成を行う人間や死者の物理的復活について熟考し、人間の宇宙への進出を希求しました。
 これは知られざる秘教といったマイナーなものではなく、ロシアの文学や科学の領域において大きな影響力を持っていたことが知られています。とりわけフョードロフのドストエフスキーへの影響は有名です。また、ロシア・コスミズムを代表する一人であるヴェルナツキーは著名な科学者であり、その名を冠した大通りは今もモスクワ市内を走っています。そして忘れてはならないのはツィオルコフスキーです。彼は未来の動植物や人類の姿を夢想し、人間が宇宙を飛行できるということを科学的に証明しようと試みました。
 このツィオルコフスキーにザボロツキーは熱中し、何度か書簡を送っています。
 

総じて、未来の地球、人類、動植物に関するあなたのお考えに深く感銘を受けました。それはとてもしっくりきます。私は未刊の長詩や短詩の中で、できる限りそれを解決しようとしてきました。
(一九三二年一月一八日)

 

 この「未刊の長詩」の一例として挙げられているのは、『農業の勝利』という、『気狂い狼』の前年に書き上げられた詩です。しかしこの手紙がしたためられた時点でザボロツキーの執筆した長詩は『農業の勝利』と『気狂い狼』の二作だけであり、「長詩поэмах」が複数形になっている以上、彼が『気狂い狼』においても「未来の地球、人類、動植物」について考えを巡らせ、「それを解決しようとして」きたのは明白です。
 また、地上から天を目指す点でも、『気狂い狼』とツィオルコフスキーの宇宙論、更に言えば宇宙への進出を最大の課題とするロシア・コスミズムはその志向が一致しています。
 

 ロシア・アヴァンギャルドは「人間」を超越しようとする運動です。ハルムスは『エリザヴェータ・バム』で人間の理知に反逆しようとしました。ところがザボロツキーは『気狂い狼』で知性と理性を求める狼を描いています。一見すると正反対の志向ですが、しかしザボロツキーは未来の人類とその宇宙進出を説いたツィオルコフスキーに強く共感していました。やはり「人間の超出」(より高次の人間への進化)という思想に憑かれていたのです。
 しかしながら、当時ハルムスとザボロツキーの考え方は大きく隔たっており、事実ザボロツキーは一九二〇年代末には「オベリウ」を脱退しています。

sawatsuki

沢月尋(SAWATSUKI Hiro)

東京大学大学院。
ロシア語が読める児童文学愛好家を探しています。心当たりのある方はご連絡ください。
個人サイト「Kharms! Harms! Charms!」http://japonsko-russko.jimdo.com/
web連載「ロシア文学めぐり」https://i.crunchers.jp/s/54bc9e06ec11621c0702c7d2

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