F T R @
九州発! 日本中が楽しくなるWEB文芸誌。美術館・博物館のイベント情報、気になる本や本屋さん、読みたい物語がきっと見付かります

ハルムスを読もう! 第二回「不思議な出会い」

kharms

非人間化するアヴァンギャルド――ハルムスとマレーヴィチの不思議な出会い

 

 まだ二十歳前後の若者たちがロシア・アヴァンギャルドを牽引した画家マレーヴィチを訪ねて、レニングラード(現在のペテルブルグ)の国立芸術文化研究所(ギンフク)の門を叩いたのは、一九二六年秋のことでした。
 その若者たちの一人バーフテレフは、その時の様子を次のように書き記しています。

「建物に入ると、ぼくたち(ヴヴェジェンスキー、カーツマン、ハルムス、自分)は靴を脱いで裸足で奥へ進んだ。マレーヴィチの部屋に入ると、膝立ちになった。するとすぐにマレーヴィチが立ち上がり、そしてぼくらの前で膝立ちになった。こうして、ひざまずいたまま、ぼくらは会話を始めたのだった」。

 全員膝をついたままの奇妙な会話の風景――。これは、ロシア・アヴァンギャルドの芸術家たちのエキセントリックな振る舞い――自らの顔にペイントして街を練り歩いたりした――を示す一つのエピソードに過ぎないのでしょうか。
 確かにそうかもしれません。しかしこの風景に違う角度から光を当ててみると、一つの具体例に留まらない何かの痕跡を認めることができます。

 

 裸足になって、二本足で立たない――このような姿勢は直感的に動物的な印象を与えます。
実際、ヒトの条件としてほぼ全ての研究者が一致して重要視しているのが、直立二足歩行です。二本の足で直立して歩くことができること。それが歴史的にヒトをヒトたらしめたと考えられているわけです。
 興味深いのは、ダニイル・ハルムスはこのような直立二足歩行をしない人間やあからさまに動物的な人間(動物のような声を出したりする)や、そもそも非人間的なものを進んで描き出してきたという点です。
 たとえば『エリザヴェータ・バム』(一九二七年)という戯曲には、特に理由もなく登場人物が四つん這いになるシーンがあります(これとは別に、「四つん這いになってちょうだい」と要求する台詞もあります)。
 登場人物たちは狼のように唸ったり、走ったり、訳の分からない言葉を呟いたりと、言動が尋常ではありません。人としてのタガが外れたような人物を、ハルムスは好んで描いてきました。
マレーヴィチとのひざまずいたままの会話は、登場人物が四つん這いになるハルムスの作品を想起させます。どちらも非人間的で、動物的です。
 しかしながら、この「非人間的」という姿勢は単に身体的なそれに留まりません。ハルムスに多大な影響を与えたロシア・アヴァンギャルド運動に底流する精神的な姿勢についても同じことが言えるのです。

 

 ハルムスらが訪ねたマレーヴィチ(一八七九?~一九三五)は『黒の正方形』などの絵画で知られる世界的に有名な画家で、一九二六年当時はギンフクで教鞭をとっていました。『黒の正方形』とは、キャンバスに文字通り「黒の正方形」が描かれた絵画で、何らかの対象を描き写すのではない、無対象芸術とみなすことができます。
『大衆の反逆』などで知られるスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは『芸術の非人間化』(一九二五年)というエッセイの中で、人間が描写対象とならない「非人間的」な「新芸術」について論究していますが、眼前の現実世界に存在する人間や事物以外のものをキャンバスに表現する無対象絵画は、二〇世紀前半の芸術における一つの大きな潮流でした。
 この「非人間化」という用語はアヴァンギャルド芸術に批判的な文脈からも使用されますが、しかし批判や擁護論を超えて、その本質を突いています。
 ロシア・アヴァンギャルドというのは、人間を超えようとした革命だからです。それは芸術を革新しようとしたのみならず、人間の知的・知覚的限界を突破し、宇宙の真理を透視しようとした試みです。そして人間を文字通りの意味で変革しようとしたのです。実際、ロシア・アヴァンギャルドを代表する画家マチューシンは、人間の知覚を生理学的に強化するための研究に励んでいました。
『黒の正方形』のような無対象芸術は、人間を超えてゆく思想が一つの形になったものと考えることができます。

 

 さて、ハルムスは『エリザヴェータ・バム』の中で「ザーウミ」と呼ばれる新造語を用いていますが、これはロシア・アヴァンギャルドの詩人たちが発明したものです。よく「超意味言語」と訳されますが、より本質的には、人間の理性や知を超越した言語のことです。
 ザーウミという言語は現実にある対象のことを誰かに伝えるための道具ではありません。その意味で、指示する対象を持たない無対象言語と言うことができ、『黒の正方形』のような無対象絵画と緊密に結び付いています。
 事実、「ドィル・ブル・シチル」というザーウミがよく知られている有名な詩人クルチョーヌィフはマレーヴィチと親交を結んでおり、二人は互いの仕事を認め合っていました。

 
 膝立ちのまま会話するという奇妙な風景には、『黒の正方形』やザーウミといった「非人間的」な無対象芸術の痕跡があります。つまり、ロシア・アヴァンギャルドを象徴するワンシーン――人間の理知の超越――なのです。

  
Вот и все.
おしまい。
 
※ハルムス『エリザヴェータ・バム』と並び称されるヴヴェジェンスキー『イワーノフ家のクリスマス』を、以下のサイトに訳出しました(「ハルムス以外の作品」)。ハルムスやヴヴェジェンスキーを知るための最重要文献であり、二〇世紀の世界文学の一つの達成と言っても過言ではない作品です。
http://japonsko-russko.jimdo.com/

sawatsuki

沢月尋(SAWATSUKI Hiro)

東京大学大学院。
ロシア語が読める児童文学愛好家を探しています。心当たりのある方はご連絡ください。
個人サイト「Kharms! Harms! Charms!」http://japonsko-russko.jimdo.com/
web連載「ロシア文学めぐり」https://i.crunchers.jp/s/54bc9e06ec11621c0702c7d2